23話 薔薇の側の一日半
アーノルドに催眠の魔法をかけられて眠ってしまった翌日の朝、私はぱっちりと目を覚ました。
目を覚まして、まず、ここがどこなのががぴんと来ない。昨夜の記憶が突然ぷっつりと途絶えているので、今の状況と結び付かないのだ。
ゆっくりと辺りを見回し、ここが旅先の宿の自分の部屋だと確認する。
それから、昨日の事を思い出してみる。
昨日、宿に着いて部屋に入った後、宿の馴染みの女将に王都のお土産を渡そうと1階へ向かうと、アーノルドとカインが食堂の隅で知らない男と話しているのを見かけた。
私は何故か分からなかったが、本能的にすぐに2階へ引っ込んだ。
何だろう?
何となく隠れて引っ込んでしまったが、そんな必要はなかったのでは?と部屋で考える。
「お知り合いですか?」と聞けば良かったのでは?
あの知らない男のせいだろうか?
腑に落ちないまま、アーノルドとカインと夕飯を食べた。
夕飯後、部屋で体は清めたが、寝巻きには着替えずに廊下の様子を伺った。
ただの予感ではあったが、予感があった。
何かあるような予感。
予感は当たる。
夜更けにアーノルドとカインが部屋を出たので、距離を取って後をつけた。私の尾行はマリーほど上手くないのだ。
宿の裏手で、2人はあの知らない男と落ち合っていた。
そこで私は男の身のこなし方が、護身術を教えてくれた師と同じだと気付く。それは隠密業をたしなむ者の足運びだ。
それできっと先刻、私は隠れたのだろう。と納得する。
隠れたのは、何となく関わってはいけない、と感じたからだ。
今回もきっと関わるのは危険だが、だからと言って、夫と護衛の騎士が今やしっかり関わっているようなのに事情も聞かずにいる訳にはいかない。
カインはともかくとして、アーノルドは夫なのだ。
妻として事情は知っておくべきだ。
そう、妻として。
大体、妻に何も告げずにこんな夜更けに出かけるなんてどういう事だろう。
心配するとか考えないのだろうか。
心配するとか。
心配するとか。
私は師の「素人が玄人の間合いに気配を消して入るな。」という教えをきちんと守って、知らない男とカインの間合いからはきちんと距離を取って声をかけた。
反射的に攻撃された場合、マリーならともかく、私ではきっと防げない。
騎士だってきっと、師の言う゛玄人゛の部類に入るはずだ。
「どこに行くんですか?」
3人がはっとする。
知らない男が身構える。距離を取っておいて良かった。
そして、アーノルドとしゃべっていた所で、ぷつんと記憶がない。
最後に見たアーノルドは杖を構えていたと思う。
何か、私に魔法をかけた?
しばらく考えて、そうなのだろう、という結論に達した。
でないと記憶がない説明がつかない。
眠らされるとか、意識を失わせるとか、記憶を消す、とかきっとそういうやつだ。
また、私に一方的に魔法をかけたのだろう。
、、、、、、。
、、、、、は?
ふつふつと、怒りのようなものが沸いてくる。
何考えてるんだろう。
なんで、心配する妻にそんな事してるんだろう。
夜更けに心配して様子を見に行った妻に。
ちょっと信じられない。
シンジラレナイ。
と、そこで、ベッドサイドテーブルの手紙に私は気付いた。
怒り心頭のまま、さっと目を通す。
そこにはこう書かれていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
カインとジャンと少し出掛ける。
樵用の小屋。
朝には帰ります。
アーノルド
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「、、、、は?」
今度は声に出てしまった。
「、、、、もう朝じゃない。」
そう呟いた声は自分でもびっくりするくらい細く、掠れていた。
もう朝で、この手紙がここにあるという事は、アーノルド達はまだ帰ってきてない、という予感がした。
帰ってきていたら、この置き手紙の意味はないから、回収すると思う。
私はドキドキしながら、アーノルドとカインの部屋へと向かった。
もぬけの空だった。
「もう、朝なのに。」
帰っていない。
それは、何か嫌な事に巻き込まれている、という事だろうか。
帰れない何か。
何だろう。
どうしよう、どこかに通報した方がいいのだろうか、でも、知らない男とはアーノルド達の意思で共に出掛けようとしていた。
それに、アーノルドもカインも大人だ。
それに、昼までは朝だ、という考え方もできる。
それに、一体どこに通報するのか。
しばらくアーノルドとカインの部屋で意味もなくうろうろして、私は自室へ戻った。
もう一度、手紙を見てみる。
「、、、ジャン?」
知らない男の名前だろうか。
そういう事にする。
「樵用の小屋、、、。」
これについては後で女将に聞こう。
「、、、まずは、朝ごはんを食べましょう。」
そして朝食を食べ、女将に樵用の小屋について聞いた。
確かに存在するようだ。ふむ。
行ってみようか、とも思うがまずは昼まで待つ事にする。
午前中の間に私は約束していた毒ガエルを受け取り、粘液を採って瓶に詰める作業をした。
心配事のある時に作業があるのは嬉しい。
おかげで、午前が終わった。
昼。
昼になったが、アーノルドは帰ってこない。
「帰ってこないじゃない。」
ぽつりと言ってしまう。
あの、馬鹿。
馬鹿馬鹿馬鹿。
樵用の小屋に行ってみよう。
1人はさすがに危険かもしれないから、毒ガエルをお願いしていた狩人に付いてきてもらおう。
そう決意して私は部屋から出た。
そして、宿の受付にいる4人の男達に気付いた。
村の者ではない。
狩人の格好をしているが、足付きが違う。狩人は屋内で足音を忍ばせたりしない。
あの歩き方、時々くせでマリーがする歩き方だ。
部屋の中でされると気味が悪いからやめて、と注意する歩き方。
たぶん、ジャンと関係がある男達だ。
と私は思った。
声をかけるかどうしようか、迷う。
昨晩、アーノルドだけでなく、カインもジャンとは知り合いのようだった。
という事は、ジャンは少なくとも、王国の騎士団の敵ではない、という事だ。
でも、この4人がジャンの仲間なのか、敵なのかは分からない。
でも、今のままでは何も分からないし、何もしようがない。
今は真っ昼間で、ここは宿の食堂だ。私は女将とは知り合いで、この村には何人か顔馴染みもいる。
よし!
男達が受付を終えた所で、私はかまをかけてみた。
「すいません、ジャンという方を知っていますか?」
4人がぎょっとして私を見る。
当たったみたいだ。
「失礼?貴女は?」
4人の内、金髪の巻き毛の男が聞いてくる。完全に狩人の口の利き方ではない。
「人に聞く前にはまず名乗るべきでは?」
「、、、私はロイです。」
偽名っぽい。
「セレスと言います。」
「セレスさん。ジャンを知っているのですか?」
「それはこちらの質問なのですが?」
「私にはセレスさんが、敵なのか、味方なのか分かりません。」
「それは、私もです。」
「、、、確かに。では、私達がジャンを知っていればどうしたいんです?」
「知っているんですか?」
「ふむ。」
ロイは少し考えてから、一枚の書状を取り出した。
中身は見せずに書状の一番下のサインと印を私に見せる。
王室のサインと印だった。サインはフィッツロイ王太子殿下のものだ。
私はほっとした。
私がそれを認めて安心した様子を見ると、ロイは書状をしまい、もう一度聞いてきた。
「貴女はどなたですか?」
私は、ふう、と一息ついてから答えた。
「セレスティーヌ・ノースと言います。夫はアーノルド・ノースです。」
たぶん、アーノルドの名前を出した方が話が早いだろうと思って出したのだが、果たしてそうだった。
「えっ、アニーさんの?」
今までどこか冷めていたロイの顔に、驚きの表情が広がる。他の3人もちょっとざわざわする。
うちの夫は私が思っているよりずっと顔が広いようだ。
「、、、、アーノルドさんもここに居るのですか?」
「いいえ、恐らくジャンという人と一緒です。昨晩から一緒のようですが、私は事情を知りません。朝には帰るはずでしたが帰っていません。」
「詳しく話を聞かせてください。」
「今のが、ほぼ全貌なのですが、、、、でも、分かりました。」
私はロイに昨日からの事と、手紙について話した。樵用の小屋の場所も教える。
4人はすぐ小屋へと向かった。
4人が小屋へ向かってくれて、ほっとする。これで、もし、万が一、アーノルドとカインが小屋で助けを待っていたりしても、何とかなる。
最悪の状況については、考えないようにした。
私は、やる事もないし、ただそわそわと宿の部屋で時間を過ごした。
一時間と少し経った頃、ロイともう1人が戻ってきた。
「セレスさん、ちょっと事情は話せないのですが、、、、。」
「夫とカイン卿の事だけ分かればいいです。」
「はい。それなら。小屋からは昨晩の内に移動しているようです。あの3人なら捕まるとか、殺されるとかはあまりないと思うのですが、あ、すいません。」
私の顔色が悪かったのだろう、ロイは申し訳なさそうに言葉を切った。
「今、他の2人が痕跡を追ってます。追跡に優れた者達です。ジャン達は夜半の移動なのでそんなに遠くへは行ってないでしょうし、その内に追い付くと思います。」
「はい。」
「夜半に一度、追跡している2人から連絡がくるはずなのですが、一緒に待ちますか?」
「はい。どうせ眠れないでしょうし、部屋におりますのでノックしてください。」
「分かりました。、、、、あの、」
「はい。」
「ジャンは仕事ができる奴です。アーノルドさんは優れた魔法使いで、カインさんもいます。無事ではあると思います。」
「ありがとうございます、ロイ。」
そうして、夜半、ロイの仲間から「無事にアーノルド達3人と合流して、こちらに戻りつつある。」という連絡を受けた。
早朝には村に着く、との事だったので、降っていた雨が止んでから、私はロイ達とアーノルドとカインを迎えに行った。