かけられた呪いは
よろしくお願いします。
その美貌と品位で社交界の薔薇と称えられるセレスティーヌ・トトウ嬢と、希代の魔法使いで変人と噂のアーノルド・ノース子爵が電撃的な結婚をした。
そしてその結婚は白い結婚であり、それはセレスティーヌ・ノース夫人にかけられた呪いのせいであることは、渦中の2人が結婚後、初めて参加した夜会での出来事で人々に広く知れ渡ることとなった。
その夜会でアーノルド・ノース子爵はいつもの仕事用のローブ姿ではなく、きちんとした正装で出席し、これもまたいつも無造作に縛られていただけのアッシュグレイの髪の毛も艶やかにまとめられていた。
子爵は元々長身で整った顔立ちでもあったので、隣の新しい子爵夫人の美しさには及ばないまでも不似合いではない程度の魅力を放っていて、列席者達はまずそれに驚いた。
隣の子爵夫人については、いつも通りだった。
通称“社交界の薔薇”、ここ最近はその瞳の色をとって“孤高のエメラルド”とも称される子爵夫人は輝く金髪を美しく結い上げて、黒の細身のロングドレスを一分の隙もなく着こなしていた。
ドレスは胸元からのデザインで無数のクリスタルが散りばめられ、裾はマーメイドラインになっていて少し広がっている。肩は全て出ているが、ドレスと同じ生地の手袋によって腕の大半は隠れていた。
鎖骨のラインが美しいデコルテには、サファイアとダイヤのネックレスが揺れ、イヤリングは彼女の瞳の色と同じエメラルドで小振りなものだった。
中々にお似合いの2人の登場に、人々はやはり結婚は本当だったのだとひそひそと言い合い、そして子爵が夫人をエスコートしていない事を不思議に思った。
エスコートしていない謎はすぐに解かれることとなる。
夫妻が入場してすぐに、噂好きの少し節操のないあるマダムが聞いてくれたのだ。
「子爵様、子爵夫人様、この度はご結婚おめでとうございます。ところでなぜ子爵様は夫人をエスコートされてないのです?」
かなり不躾な質問に夫人の眉がぴくりと動くがこちらは沈黙を守り、代わりに隣の子爵がにこやかに返事をした。
「私が妻に呪いをかけてしまったのですよ。」
「えっ?まあああ……呪い?」
子爵は25才にして魔法塔の副長官を勤める男で、稀代の魔道士だ。そんな彼が言う“呪い”は現実味があってマダムは驚愕した。
周りの人々もざわめく。
「大丈夫ですよ。そんなに怖い呪いではありません。妻の意中の者ではない、妻への好意を持つ異性が彼女に触れると触れた部分が燃える、というものです。ほら、こんな感じです」
笑顔のまま子爵は右手で夫人の手をそっと取ると、すぐに子爵の右手が輝く炎に包まれた。
「きゃあっ」
「火がっっ」
辺りは騒然として、話しかけたマダムは腰を抜かした。
子爵夫人は少し眉を上げたが、表情は崩さない。
「あっ、大丈夫ですよー。灯り用の火魔法で使うような炎なので、長時間は良くないですが、短時間ならちょっと熱いなー、くらいで火傷もしません。ね」
子爵が夫人の手を離すと炎は消えて、その右手には何の跡も残ってなかった。
「ほら、大丈夫でしょう。愛する妻とは王命と俺の片想いで無理矢理結婚してもらったんです。だからこの呪いは自分を戒めるために妻にかけました」
子爵は周囲の人々を見回してにっこりした。
朗らかにそう説明する夫、アーノルドの横で彼の愛する妻である私、セレスティーヌは少し眉をひそめた。
***
話は一度、この夜会の2ヶ月前にさかのぼる。
その日の朝、私は父であるトトウ侯爵の書斎に呼ばれ開口一番こう告げられた。
「セレスティーヌ、私の愛しいセレスや。すまない。お前に縁談がきてしまった」
「え?」
私は頭から冷水を浴びたように固まった。
えんだん?
「嫌です」
22才にもなって、思わず子供のような声でそう言ってしまう。
「知っているよ」
父の顔が悲しそうに歪んだ。
父は私の仕事への情熱を認め、結婚しない事も認めてくれている。
それなのに一方的に縁談を告げるなんて、侯爵家でも断れない家門からなのだろう。
娘に非情な事を告げる覚悟で呼んだ父の気持ちを思うと、私は先ほどの子供のような言葉を後悔した。
「……どちらの家門からですか?」
「オルランド公爵家だ。」
私は息を飲んだ。
オルランド公爵家は、複数の皇后を輩出している名門中の名門だ。代々の当主はそのほとんどが優れた騎士で、現当主も軍のトップの1人だ。
「公爵家嫡男のカイン・オルランド卿から婚約の申し込みがきている。正式にだ」
父は一言一言、絞りだすようにそう言った。
「お会いしたことはありませんが」
「…………」
冷たく言うと、父はまた悲しそうに顔を歪める。
「お断り……は難しいのですね」
「すまない」
父の声は小さく掠れていた。
「ごめんなさい、お父様。来たところですが下がらせていただいてもよろしいですか?少し1人になりたいのです」
「返事は1ヶ月中にとある。私の方でも断る理由は探してみるが」
それが難しい事は、父が一番よく知っているはずだ。
「下がってよい」
父が力なくそう言い、私は書斎を出た。
書斎からすぐに足早に自分の部屋へと向かう。
廊下で私付きの侍女のマリーとすれ違うが、顔を向ける余裕すらなかった。私はきっとひどい顔をしているのだろう、マリーのはっとした様子だけが伝わってきた。
神様、ひどい。
結婚なんて、望んでいないのに。
望んだことはないし、そうならないよう努力もしたのに。
私は自室にたどり着くと、ベッドに突っ伏した。
涙がボロボロと出てくる。
よりによって、オルランド公爵家なんて、絶対に仕事を続けることは出来ない。ひょっとしなくても婚約した時点で仕事は辞めざるをえないだろう。
ああ、神様、なぜですか?
私の美貌も、ドレスも宝石も、身につけた立ち振舞いも、話術も、すべて薬の研究と開発のためです。
それ以外に使ったことなどないのに、なぜですか?
12才で、叔父のしている薬の研究の虜になった。魔法を使わずに病気や怪我を治す薬。時には、魔法でも治せないものにすらも効果がある薬。
なんて素晴らしいのだろう、と思った。
私はこれに生涯を捧げると決め、叔父に弟子入りした。15才の時には叔父の働く王宮の薬師塔で働きだした。周囲からは、侯爵家の長女が働くなんて卑しいとか、当時薬師塔の副長官であった叔父のコネで王宮に出入りしたいだけだ、と散々言われたが全く気にならなかった。
薬師塔で働く人達は叔父も含めて、12才からの3年間、塔で学んでいた私を大歓迎で同僚として迎えてくれたからだ。
そして実際に働きだして、私は薬師塔の政治力のなさに愕然とする。研究に使える予算は雀の涙程度しかなく、設備も使っている魔道具も全部古い。こんな環境でよくまあ叔父はいくつかの薬を開発していたと思う。
だから、私はがんばった。
薬の研究にかける情熱を社交にも注ぎ込んだ。
幸い容姿は母譲りで整っていたので、身ごなしのセンスを磨き、ダンスを特訓し、社交で役立ちそうな知識を詰め込んだ。
しょぼくれた薬師塔への予算の確保、領地内への薬草採取の許可、完成した薬の流通販売の円滑な承認、等々を得るために16才のデビュー以降、私は社交界での地位を築き上げてきたのだ。
けっこんのためじゃない。
気が付けば22才。貴族の令嬢としては、そろそろ嫁き遅れだが、仕事とその為の社交は順調だった。
最近は夜会でも、私の社交界での立場に気後れして声をかけてくる若い男はほとんどいなくなっていて、とても過ごしやすかったのに。
全て、順調だったのに。
カイン・オルランドなんてしらない。
私のがんばりはけっこんのためじゃない。
私は一週間、部屋に閉じ籠った。