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5.あたしが会いたい彼女

「おはようさん」

 目覚めたら隣に店長がいた。いつの間にか帰ってたんだ。時計に目をむける。

「朝の七時や」


 渡されたペットボトルの水を飲んでたら、視線を感じて横をむく。店長がじっとあたしを見てる。


「で? なんか言うことは?」

「なんかって……なにが?」

「別れるって話は? ナシか? それでええんか?」


 店長の目にあたしが映ってる。距離が近い。このまま「ナシ」って言ったらそれで元どおり? たぶんこの後またセックスして、あたしはアパートに戻って――それから? 消えないモヤモヤを抱えて店長と付き合ってキャバも続けて、それから? 四回生になって大学を卒業して、それから?


 ――やっぱりこのままじゃ、だめだ。


「あの話……ほんとなの?」

「なんの話?」

「色管の。店長が昔……色管して……キャストが自殺未遂したっていう」

 ああ、と店長の声がする。あたしは握りしめたシーツを見下ろす。白い海みたい。店長の声は一段低くなった気がする。

「聞いたん? おまえの担当から?」

「違うの! たまたま噂を耳にして……」

「噂ねえ。ま、ええけど」


 ほんまやで、と店長は言う。


「どおしても付き合いたい言うから、ほな色管やで、って本人に念押ししてん。ほんで付き合うたのに、メンタルやられて手首ざっくりいきよったわ。縦になあ。浴槽が赤い海みたいやったで。怖いよなあ」


 あたしは店長の顔を見る。なんの表情も読み取れない。この人はなんでこんな話を世間話みたいにできるんだろう。


「……あたしも?」

「なんが?」

「あたしも色管なの?」

 店長が黙りこむ。細い目がシャッターを下ろすみたいに限界まで細められる。

「……なんや。そういう話か」


 唇に自嘲の笑みがあらわれる。


「色管やない言うたら? 信じるか、おまえ?」

「……信じたい……けど……」

「信じられへん?」

「…………」

「ほな色管や言うたら?」

「…………別れる」


 へええ、と冷たい声が響く。


「じゃ、もうどっちでもええやん。おまえはおれが信じられへんのやろ? やったらおれの言葉とか意味あるん?」

「……そうじゃなくて!」

 言ってほしい。あたしが好きだって。仕事じゃない。あたしが好きで付き合ってるんだって……だけど。

「店長……あたしのこと一度も好きって言ったことない」

「ああ? そうか? 好きや言うたらええんか? 好きやで? これでええ?」

「もういいっ!!」


 あたしは布団をはねのけてベッドを飛びだした。服を着て部屋を出るまで、店長はひと言も喋らなかった。あたしも後ろを振りかえらなかった。



 通勤途中のサラリーマンや制服を着た学生たちが通りすぎていく。あたしは家と逆方向に歩き続けた。行きたいとこもないけど、家にも帰りたくない。気づいたら代々木公園の池の近くまでやってきて――あたしは目を疑った。


 すらりとしたモデルみたいな男――去年の五月に、店を辞めた黒服が立っている。


「あれ? まどか? なにしてんだ?」


 無邪気に笑う男にあたしは胸がざわついた。こいつは――あたしの初カレでもある。地元の高校の同級生で、付き合ってたのは三ヶ月間だけ。こいつもたまたま上京してて、去年思いがけなく再会したんだ。その頃あたしは会社員の元々カレと付き合ってたし、別に何かあったわけじゃない。だけどもし高校の時こいつと別れてなかったら――なんて一度も思わなかったわけでもない。


「……彼氏とケンカして別れたっぽい」

「え? あの会社員の?」

「それは元々カレ。妻子持ちなの隠してて別れた」

「うわ、最低だな」

「あたしは最低な男とばっか付き合うんだ……」


 こいつはすっと目をそらした。そうだ。自分も元カレの一人だもんな。


「ぽいって? そいつと別れたのか?」

「分かんない。でももーいい。知らない」

「ちゃんと話した?」

「話したくない。聞くの怖いし」


 ぴたと動きを止めて見つめられる。あたしは落ち着かなくて目を伏せた。


「まどかはさ……」

「なによ?」

「シャットダウンするよな、けっこう」

「はあ? パソコンの話?」

「じゃなくて。なにかあっても自己完結して強制終了するよな。俺との時もそうだったし」


 あたしは口をとがらせた。こいつと別れたのは誤解があったからで、それが解けたのは去年再会した時だった。確かにあたしは当時、こいつの話に耳を貸さなかった。言い訳なんて聞きたくなくて――うそ。ほんとは向き合うのが怖かったんだ。


「もういいじゃん。あん時は悪かったって」

「俺のことじゃない。そいつのことだよ。ほんとにいいの?」

「いいってば……」

 こいつは困ったように笑う。

「まどかがいいならいいけど……俺はちゃんと話したほうがいいと思う」

「そんなの! 余計なお世話だってば!」


 あたしは口をつぐんだ。いつもそう。こいつには素直になれない。ううん、こいつだけじゃない。誰にだって……自分の心の弱い部分なんて見せたくない。見せられない。あたしは上目遣いでこっそり見る。呆れられたかな。


 だけどこいつは優しい顔をしてて――ばかじゃないの。なんで?


「約束あるしもう行くけど……まどか、覚えてる? 店長が言ってたこと」

「は?! なんで店長が今っ……」

「もっと人に頼れって。俺がバイトしてた頃、そう言われてただろ? あれは……人を信じろってことだと思う。強制終了する前にぶつかってみれば? それでダメなら連絡しろよ。ヤケ酒ぐらい付き合うし」


 軽く手を上げて、そいつは並木道に消えていった。




 空を見上げたら真っ青に澄んでて、あたしは息を吐き出した。あいつの言ってることはたぶん正しい。だけど店長を信じきることはできなくて――それは自殺未遂したキャストのことが魚の骨みたいにずっと心に引っ掛かってるからだと――ようやくあたしは気づく。原宿駅に向かいながら、店長のお姉さんに連絡する。


 そうだ。あたしはずっと彼女のことが気になってたんだ。

 品川駅で新大阪までの切符を買って、あたしは新幹線に乗った。

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