4.合コンにバットを持った彼氏がやってきた件
「ねー、まどか。顔ヤバいんだけど。どうした?」
「あーーーダメ男に引っかかり過ぎて反省中」
「うわ、かわいそ。ね、合コンいく?」
「合コン?」
「そ、今日の夜にA大のテニサーと。ちょうど一人足りないんだ。来てくれたら助かるんだけど」
「でもあたし今日ずっとこのテンションだよ? いまあがるのむり」
「いーよいーよ。いるだけでいいからさ」
というわけで、あたしは合コンに行くことにした。店長と別れたのは昨日の夜。まだ17時間と少ししか経ってない。LINEのアドレスは消さなかった。ううん、消せなかった。ブロックもできなかった。昨日は部屋に戻って、店長とのメッセージを読み返してた。くだらない話ばっかり。缶コーヒーは無糖のブラック一択だとか。アザラシに取り囲まれる夢を見ただとか。夜中に551の豚まん食ってもうたわだとか。そんなのばっか。延々と上にスクロールして八か月ぶんさかのぼって気づいたら朝になってた。あたしは泣いた。なんでこんな痛みを掘り返すみたいな真似してるんだろって思いながら。
五限のあと、着替えのために家に戻ることにした。大学を出てスマホを見たら、店のオーナーから着信が残ってる。なんで担当でも店長でもなくてオーナーから? 緊急の時のために番号を教えてもらったけど、もちろんかけたことは一度もない。今日は出勤日じゃないし。あたし何かしたっけ? もしかして店長との関係がバレたとか? あたしは恐る恐るコールバックした。
「あ……あの、片桐です」
「片桐さん?」
「あの、LUXの。ヘルプで入ってる片桐まどかです。源氏名は蘭です」
「あ、まどかさん。ごめんごめん、俺からかけといてごめんね。あのさ、俺の友人でまどかさんと連絡取りたいって人がいるんだけど。アドレス教えてもいい? 一応確認しとこうと思って」
「え……と、オーナーさんの友人の方ですか?」
「うん。変な奴じゃないから安心して」
「……どのような用件でしょうか?」
「それは直接話してほしいんだけど。だめかな?」
「……分かりました」
なにがなんだか分からないまま電話を切る。オーナーさんとは二、三回しか話したことがないけど、礼儀正しくて常識的な人だと思う。その友だちなら変な話(AV出演とか愛人に誘われるとか?)でもないだろし。それから数分も経たないうちに知らない番号から着信がきた。
「片桐まどかさん?」
電話は女性の声だった。どこかで聞いたような声。記憶を探り当てるより先に不快な気持ちが湧いてくる――どこで――どこかで。
「私、須藤彩と申します」
須藤――店長と同じ名字。目の前が暗くなって歩道の端に座りこむ。既婚者かあ……そこまで元カレ(ううん、今となっては元々カレ?)と一緒だなんてもう笑えてくる。
「なんの用ですか?」
「突然ごめんなさい。私のせいで弟とケンカしたんじゃないかなーって、ちょっと心配になっちゃって」
――お姉さん。
いや待って。
世の中には義理の姉だっているんだから。
油断はできない。
「店長……須藤さんのお姉さんですか?」
「そう! 私、敦の姉でー、それでトラオの友だちでー、あ、トラオはLUXのオーナーね! そんで敦がなんかすごいへこんでるからヤバいと思って電話したの。旦那とケンカしてもームカついてさあ。新幹線飛び乗っちゃったんだよねえ。で、あの子んち泊めてもらって愚痴聞いてもらおーって思ったの。でもまどかちゃん来るしー、敦すっごい顔でにらんでくるしーーうわヤバ、本気で怒ってるーって思って。ってもさすがに敦のスマホでまどかちゃんのアドレス探すのはだめじゃん? だからトラオに聞いたらわかるかなーって。わかってよかったあ! ね、ね、誤解してない? あの子ともう仲直りした?」
――マシンガンみたいに耳元で明るい声が響く。
「そのう……つまりあなたは店長のお姉さんで、オーナーさんの友人で、昨日は旦那さんとケンカして急に東京に来られた、ってことですか?」
「うわあーわかりやすい! そうそう! そーなの!」
「……そーですか」
――義理でもなんでもない。ほんとにただの姉弟だった。
「あのねー、あの子、まどかちゃん追いかけたけどすぐ戻ってきたのね。で、大丈夫ー? って聞いたら『いま話しても冷静になれへんやろし時間置くわ』って言ってたの。ね、もう話し合った?」
「いえ、わ……」
別れました、と口に出しかけて黙りこむ。こんな話の後で言ったらお姉さんが気にしそう。それに――店長はもしかして別れたと思ってない? とにかくこれはあたしと店長の問題だし、お姉さんのせいでもないし。あたしは言葉をにごして電話を切った。
◆
シャワーを浴びたあと、メイクをして仕上げにパウダーをはたく。
――合コン。行く? ほんとに?
グロスを塗って髪を巻く。
――浮気でも不倫でもない、ただの誤解だった。だったらこのまま付き合える? 付き合う? あたしは店長との関係を続けたいの?
ニットのロングカーディガンを羽織る。香水を首と手首にプッシュする。
――色恋管理で自殺未遂。
クラッチバッグを持って、パンプスを履く。
――だめだ。やっぱり怖い。怖いけど……店長に聞くのも怖い。
玄関の扉を閉めた。
◆
カラオケの店の一室で、あたしは「げ」と声を上げた。集まった面子のなかに見知った顔がいる――大学の元々カレ。あたしを見て、そいつは嫌そうに横をむいた。
「ね、ね、A大って言ったよね? なんであいつがいるわけ?」
「ごめん! まどかの元カレだっけ? なんかA大の子の友だちらしくて誘われたみたい。気まずいよね、ごめん。帰る?」
「もーここまで来たし、いいよ。なるべく離れとく」
そう。なるべく離れて。あたしは大人の対応をしようと思ったのだ。大人だし。
「なんだよ、まどかも来てたんだ? キャバクラでいい男見つかんないの?」
なのに元々カレはあたしの前にやってきて、嫌な笑いを浮かべてる。なんだこいつは。小学生かな?「キャバクラ?」「そー、こいつキャバ嬢なんだぜ。おまえちゃんと言っとけよ、みんなに。フェアじゃないだろ?」薄暗い室内に微妙な空気が充満する。そんな空気を読まないBGMが明るく流れ続けてる。
「えーっと、まどかちゃんだっけ? 確かにうん、すっげー綺麗だなって思ったわ」
「だよな、キャバ嬢とただで付き合えるとかむしろラッキーじゃん?」
フォローとかフォローになってないような微妙なフォローとかを気持ちだけもらって、あたしは愛想笑いする。どうする? 帰る? 友だちが申し訳なさそうにあたしを見てる。女の子たちは迷惑そうにチラ見してるし、男の子たちの顔にはむきだしの好奇心。帰ろっかな。でもなんか今出てくのも負けたみたいで悔し――スマホが鳴った。あたしのだ。
【今なにしてるん?】
いつもの素っ気ない一行メッセージ。夕方にお姉さんから電話をもらわなかったら、きっと既読スルーしてたと思う。店長がなにを考えてるのか分からない。だけど今は――会いたい。会いたくない。今すぐ会いたい。会うのが怖い。あたしの指はあたしの気持ちを無視して画面の上を動く。
【合コン来てる】
【楽しいん?】
【ぜんぜん楽しくない】
【店どこ?】
店の名前と部屋番号を伝えるとメッセージが止んだ。
◆
いつの間にか誰かが歌いはじめてて、合コンはそれなりに盛り上がってる。手を叩きながら、あたしは頭のなかで出るタイミングを見計らう。出ればいい。別に誰も気にしないはず。だけど――あたしは待っていた。
自覚したのは、ドアが開いた時だった。
あたしが最初に気づいたから。
そのドアを開ける人を、あたしは待ってたんだって。
マイクを握る男の子が声を止めた。みんなが彼の視線を追いかけた。視線の先、ドアの前には――店長がいる。右手にバットを持って。え? なんで?
「まどか」
「うん」
「出よか」
あたしは急いでスマホとバッグをつかんだ。だってバット。バット持ってるし。いやほんとなんでバット?
「あ……あの、それ」
いい声をエコーさせながら、マイクを握る男の子が指をさす。指の先には店長のバット。誰だっけこの人……たしかM田くん? 勇気があるなM田くん。
「あ? ああ、これなあ……どないしたん?」
「あなた誰ですか? それ、どうするつもりですか?」
「おれはその子の彼氏やけど? これ? どないしたらええと思う?」
「あなた……まさかそのバット、彼女を殴ったりしませんよね?」
店長がちらりと手元を見下ろす。M田くんは顔をこわばらせてる。まずい。なんか誤解が生まれないうちにとっとと出なきゃ。
「M田くん、あの、大丈夫だから! あたしもう行くね!」
みんなの膝を避けながらドアに向かう。店長があたしの右腕をぐいと引っぱる。ソファの角につまづいて、あたしはバランスを崩す。左手の先にバットがあって――思わずつかむ。
ぺこん。
なんかそんな感触だった。
「あー、そんなつよ掴んだらあかん。空気抜けてまう」
あたしを支えながら、店長はぺこんぺこんとバットを振る。
「次のイベント、部活コスやねん。せやけどバットって野球部やん? テニスとかチアならともかく需要あるんかなあ。使ってやらな買ってきた黒服がへこむやろし。な、どう思う?」
店長はM田くんにへらりと笑う。
「え……え? イベント? いや……ソフト部とか? あ、それに女子の野球部とかも結構ありますし……」
「へえ、そうなん? せやんなあ、今どきあるやんなあ。ほなサッカーとかもアリかなあ……ありがとな、M田くん。きみええ子やなあ」
「え、いえ、そんな……」
M田くんはいい声でマイク越しに返事をする。声がやたらと通る店長はともかく、音楽に負けて普通の声量じゃかき消されてしまうので。
「どや? うちの黒服にならへん?」
「へ? 俺がですか?」
あたしは店長の背中をぐいぐい押して部屋を出た。なんでこの人は合コンで黒服をスカウトしようとしてるわけ?
◆
「で?」
「なんで……ソレ持ってきたの?」
「あーーおまえにLINEしたとき持ってたからついな」
「威嚇しようって?」
「バレた? おまえに言い寄る男がおったら殴ってやろかと思て」
後部座席にはあのバットが鎮座してる。たいしたダメージはなさそうなビニール製のそれをチラ見して、あたしは運転席に視線を戻す。
「なんや?」
「なんで…………」
迎えに来てくれたの?(バットつきで) LINEくれたの? でもその前にあたしのLINE既読スルーしたの? 別れたの? 別れてないの?
「なんなん?」
「……そっちこそ。なんなん」
「なにが」
「別れるって言ったよね?」
「おまえがな」
「既読スルーしたくせに」
「せやから、おれは別れるとは言うてへんし」
「うわ詭弁」
「へえ、むずかしい言葉知ってんなあ」
車の行き先は分からない。店長に聞いても「あー」とか「うん」とか答えをはぐらかされてしまう。夜の街を走りぬけて、着いた先は店長のマンションだった。
「店抜けてきたんでしょ? 戻らないの?」
「あー戻る戻る。すぐ戻る」
ぐいぐいと背中を押されてベッドに座らされる。この流れは……。
「店長?」
「うん?」
「て……」
それ以上喋らせてはもらえなかった。すぐ戻ると言いながら、店長はすぐには戻らなかった。二時間後、あたしはベッドに置き去りにされた。今夜の店長は紳士じゃなかった。あたしはぐったりと疲れ果てて、起き上がれずにそのまま眠った。