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3.騙された!

 それから二ヶ月が過ぎた。梅雨入りして最近はずっと雨。更衣室のヘアメイクさんが、湿気でうねったあたしの髪と格闘してる。隣に座ったユカが意味ありげに視線を寄こした。


「蘭、辞めないんだって?」

「うん、あと一年続けるつもり」

「何気にシフトも増やしてない?」

「あーうん。稼げるうちに稼いどこっかなって」

「最近営業もしてんでしょ? かなり頑張ってんじゃん」

「まあね」

 ヘアメイクさんに髪を巻いてもらいながら、ふふ、とユカが笑った。

「蘭、だいじょうぶ~?」

「な、なにが?」


 店長の顔を思い浮かべながら、あたしは素知らぬふりをする。まさか……なんか勘づかれてる? 店長はあれから普段どおり。あたしも店ではただのキャストとして振る舞ってるつもりだけど。


「担当に色管されてない?」

「……へ?」

「ほら、蘭、担当とけっこう仲良しじゃん」


 担当っていうのは、シフトの相談をしたりする黒服のこと。あたしの担当は、面接のとき案内してくれた男の子だ。軽いけどいい奴だし、確かに仲は悪くないけど――てか。


「イロカンってなに?」


 ユカは「あ~~蘭ヘルプだもんねえ」と言いながら、スマホの画面を見せてくれる。

 色管、つまり色恋管理。黒服や店長がキャストと恋愛関係になって、キャストの仕事を店に都合よく管理すること。らしい。

「担当に言われてんじゃないの? 蘭がいてくれたら助かる~とか、ナンバー入ってほしい~とかさ。蘭、学生なんだから無理しちゃだめだよ~」

「……はは、そんなのないない」

 ありがと、と呟いて、あたしはユカから目をそらす。


 色恋管理。

 いいヘルプや思てんで。

 ナンバークラス目指してほしいぐらいや。

 店長の声がこだまする。

 まさか――ないない。


 スマホが鳴る。お客さんからのLINEだ。確かにあたしはシフトも増やしたし、こうして営業LINEや電話もはじめた。就活も先延ばしにしてる。地元で就職するつもりだったけど――仙台と東京は遠すぎる。卒業後は店のレギュラーに――とはさすがに思わないけど――そんなの、進学を応援してくれた父さんに会わせる顔がない。だけどもし店長から「レギュラーになってほしい」って言われたら? 百パーセント断われる自信もない。スマホをタップしながら、あたしはそんな自分にゾッとする。


 もしかして――あたしはもう管理されてるのかな。



「どしたん? なんや元気ないやん?」

「あ……や、別に」

 ちら、と店長の顔を見上げる。目が潤んで眦が赤く染まってて、こんな白い狐のお面があったなあ、なんてぼんやりと思う。

「ええ……っと。そう。元カレに会ったから。ちょっといろいろ思い出して」

「元カレ? ってアレか? 妻子持ちのリーマンの」


 あたしは「そう」と苦笑いする。



 元カレに会ったのは三ヶ月前――三月の終わり頃だった。あたしが大学から戻ったら、アパートの入り口に立ってたんだ。去年のクリスマスに別れて以来、一度も会わなかったのに。あたしが逃げようとしたら「ごめん!」と大声で叫ばれた。



「青森に戻ることになって、その前に一度謝りたかったんだって……今さらだけど」

「で?」

「それだけ。ごめんって」

「ほんまに?」

「え?」

「そんな三ヶ月も前のこと、まだ気にしてんねや? へええ?」

「いや……あの……」


 気にしてるのは色恋管理されてないかってことです、なんて言えるわけない。あたしは目をそらす。からだがプレスされるみたいにまた体重を乗せられた。



 夏が来た。だけど雨が上がっても心のモヤモヤは晴れない。あたしがそんなテンションだから、店長もなんだか機嫌が悪い。いいかげん何とかしたい。でも店長に話す勇気はない。あたしはようやく、担当に聞く決心をした。


「へ? 色管っすか?」

「そう。したことある?」

 ないっす、と担当がさわやかに言う。

「ほんとに? 他の黒服も? ……店長も?」


 ないない、ないっすよ、と担当はひらひらと手を振った。



 その店長の方針っす。この店で色管はなし。好きなら付き合え。でも絶対バレるな。バレたら罰金。それかクビ。それがうちの決まりです。



「……そうなんだ」

 店長らしい言葉に顔がにやけてしまう。なんだ。もっと早く聞けばよかった。あたしが勝手に不安になってただけじゃん。疑って悪かったな。次に会ったら正直に打ち明けて、二人で笑い話にしてしまおう。

「それに店長のハナシ聞くと色管こえーって思いますもん。ないっすよ、ほんと」

「店長の話? 怖いってなにが?」


 あっ、と担当が口元を手でおおう。あたしはその手をつかんで、ぐいと顔を寄せる。「ね、なんの話?」「もー蘭さん、目力ヤバいっす!」バックヤードを見まわして、「ここだけの話っすよ」と担当はぼそぼそ小声で話しだした。



 店長、地元が大阪じゃないすか。五年前こっちに来るまで、難波の店で黒服してたらしいんす。そんときナンバーワンの子の担当してて。かなり好かれてたみたいで、付き合いたいって言われたそうで。断っても諦めないし、それなら店を辞めるとまで言われて、店に相談して「色管なら」ってことで付き合い始めたそうなんす。でも色管ってきついらしいじゃないすか。一年付き合って、結局その子がメンタルやられて自殺未遂したんすよ。で、別れて、店長はその店を辞めて上京した、って言ってました。



「……だから色管はやめとけって。うちの黒服はみんな、入店のときにそう聞かされるんす」


 自分がなんて答えたのか、あたしははっきりと覚えていない。頭がズキズキして、適当に相づちを打って更衣室に逃げこんだ。

 店長が色恋管理して、相手のキャストが自殺未遂した。

 その事実は重い石みたいに、どっかりとあたしの胸に沈みこむ。




 あたしはそれからも、いつものペースで店長の部屋に行った。飲んで、寝て、飲んで、寝て、の繰りかえし。別れたいとは思えなかった。シフトも営業も変わらずだった。店長は最初のうちは「どしたん?」と聞いてくれたけど、そのうち何も聞かなくなった。あたしが何も答えなかったから。

 八月のほとんどを、あたしは仙台で過ごした。地元企業の夏期インターンに参加して、お盆は父さんと一緒にお墓参りに行った。




 九月の最初の日曜日。今夜はひと月ぶりに店長と会う約束をしてる。支度を終えてあとは出かけるだけ――ってときにスマホが鳴った。ざり、と不安が胸を引っかく。あたしはわざとゆっくりスマホに手を伸ばす。【今日は無理やわ、ごめん】デジャブ? 既視感? こういうのなんて言うんだっけ? 去年のクリスマスを思い出す。一時間前のドタキャン。素っ気ないLINEのメッセージ。マンションであたしを出迎えたのは――奥さんと子どもさん。


 真っ黒なモヤモヤが膨らんでいく。


 あたしは玄関の鏡を見る。メイクは完璧。髪も巻いてる。デコルテの開いたワンピースは先週買ったばっかりのやつ。大丈夫――たとえ何があっても、少なくとも「もっときれいにしとけばよかった」なんてみじめな思いはしなくて済みそう。この部屋で黒いモヤモヤと過ごすより、いっそ引導を渡されたい。


 あたしは玄関を出て、山手線の駅に向かった。




 分厚いドアをじっと見つめる。だけどもちろん、それで開くはずもなく――あたしはチャイムを鳴らす。

 出て。出ないで。出て。いやだ。頭のなかがぐちゃぐちゃになる。早く出て――出ないで――出て。カチャ、と音がする。扉が開いてしまう。


 あたしの前にいたのは――女の人だった。


「だれー?」

「……」

「ねー敦、この子だれよー?」

「ああー? 誰が来とんのや?」


 部屋の奥から聞き慣れた声がする。女の人があたしを見てる。あたしより少し年上みたいなきれいな人。太ももまである白いTシャツを着てる。店長の服だ。それ以外なにも身につけてない。もしかして――この人が――色恋管理されてた人なんじゃない? そう思った瞬間、あたしはマンションの廊下を駆けだした。


 道路を走ってたタクシーを停める。エントランスから声が聞こえる。あたしは扉を閉めて行き先を告げる。声がまだ聞こえる気がする。分からない。一度も振り返らなかったから、ただの空耳かもしれない。スマホが鳴る。あたしは着信を無視してひと言だけLINEを送った。【別れる】既読はすぐについたけど返信はない。一分待っても、一時間待っても、日付が変わっても、返信はない。既読スルー? それともブロック?


 こうして、あたしたちはあっけなく別れた。

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