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2.店長とあたしの秘密の関係

「覚えてないん?」

 店長に聞かれて、あたしは正直にうなずいた。

「四軒目のラーメン屋まではなんとなく……でもそこから先は記憶が飛んでて」


 ふうん、と切れ長の目があたしを見つめる。大きな唇が重たそうに動く。



 ラーメン屋の後はなあ。おまえをタクシーに乗せようとしてん。せやのにおまえ「五軒目連れてってくれないとやだ!」ってごねるし、また居酒屋連れてってやな。乾杯して、おまえの高校んときの初カレから始まってあのリーマンの話までもいっぺん聞き直して、もうええやろ思てタクシー乗って。そしたらおまえ「気持ち悪……吐く」って言うし運転手が不安そうにこっち見てるし途中で降りたんや。そんでおぶってうち連れてって。トイレで吐かせて、ゲロついた服脱がせて洗濯してついでにおまえも洗って。Tシャツ着せよ思ても嫌がるし、エアコン効いてるしもうええやろ思てベッドに転がして。おれはシフト確認したりイベント企画したりサイトいじったりして。



「で、今やけど?」

「…………すみませんでした」


 あたしはシーツに額をつけた。

 言われてみれば、なんとなく思い出してくる。ごねたりとか……吐いたりとか……記憶がある……うう、確かに記憶がある。


「めっちゃ飲んでたけど。大丈夫なん?」

「はい……酒強いほうなんで。記憶飛ぶのは滅多にないんですけど」

 店長がじっとこっちを見てる。

「……ほんとにすみません」

「やってええの?」

「……は?」

「ええ眺めやけど」

 あたしは目線を下げる。まる見えだ。もう隠すという行為さえ忘れてた。

「や……やりたいん……ですか?」

「そりゃ好みの女が裸でおれのベッドにおるんやし?」


 さらりと言われて、あたしは回らない頭をフル回転させる。順調だと思ってた彼氏……いや、元カレは既婚者の子持ちで。元々カレはキャバ嬢だからとあたしを振って。店長は――あたしの愚痴に付き合ってゲロまみれのあたしを介抱してくれた。迷惑をかけた罪悪感? ある。自暴自棄になってる? もちろん。もうなんでもいい。頭がうまく回らない。やりたいんだ。そっか。なら、やりたいならやらせてあげようホトトギス。じゃないけど少しはチャラになるかも。なんて思いながら、あたしは口に出す。


「いいですよ、やっても」

「あ、そ」

 そう言って、店長はあたしを組み伏せる――なんてこともなく、あいかわらずキーボードを打っててあたしは拍子抜けする。

「なにしてんですか?」

「ブログの更新」


 毛布を身体に巻きつけてベッドから下りる。店長の骨ばった指がリズムよく黒い四角を叩いてる。パソコンの画面には、昨日のクリスマスイベントのオフショットが映ってた。

 トン、と指先が止まり、店長があたしを振りかえる。

 髪を一房つかまれた。「蘭」と呼ばれて、「蘭じゃないし」と思ったときにはもう、唇が重なっていた。




 送るという店長の申し出を断って、あたしはマンションを出た。遠くの空が赤くてもう夕方になってる。ふうん。これが一夜限りの(日中だけど)関係ってやつか。なんて他人事みたいに思う。店長はチャラい見た目に反して紳士だった。これまでの誰よりも――なんだか勘違いしそうなほどに――紳士だった。でもあたしは勘違いしない。こんなの初めてだけど、つまみ食いなんて店長にはよくあることかもしれないし。好きだとも付き合おうとも言われてないし。こんなの、ただのギブアンドテイクの行為でしかない。



 年末年始は帰省して、年明けから二週間が過ぎた頃。

 LINEがきた。見覚えのないアイコンで名前は敦。誰だよ敦。でも文面ですぐに予想はついた。


【今夜空いてる?】

【誰ですか?】

【は? おれやん?】

【オレオレ詐欺ですか?】


 なんてばかげたやり取りをして、あたしはまた店長の部屋に行く。



「てかな、蘭。おまえがあの日しつこくLINE交換しよ言うてんで? おれは基本キャストとは交換せんのに」

「すみませーん」


 だって覚えてないのだ。仕方がない。


「店長、敦って言うんですね」

「須藤敦。あんとき言うたやん?」

「言いましたっけ?」

「この酔っぱらいが……」

 呆れた目をむけられて、あたしは肩をすくめる。

「店長だってあたしの本名覚えてないでしょー?」

「まどか。片桐まどか、やろ」


 フルネームで呼ばれて、思わずびくりとする。店長に名前を口にされると――背中を羽根で撫で上げられたみたいな気分になる。

 テーブルの上のビールもつまみも無くなって、日本酒の一升瓶がだいぶ空いた頃――店長があたしの名前を呼ぶ。あたしは目を閉じる。店長に抱きしめられて息を吸いこむ。雪原のなかの針葉樹みたいな匂いがした。



 二週間に一度のペースで店長はあたしを誘う。あたしから連絡することはない。いつも会うのは部屋のなかだけ。飲むか寝るか。デートもしない。店ですれ違っても態度は全然変わらない。だからこれはそういう関係なんだろう――いわゆるセフレってやつ。




 そしてまた春がきた。あたしは大学の三回生になった。


「あー就活ゆううつ。まどかは? もう自己分析シート作った?」

「作ったけど……いろいろ迷い中」

「バイトは? まだキャバ続けてんの?」


 食堂でお昼を食べながら、あたしはフォークを齧ってうなずいた。キャバクラは先月で辞めるつもりだった。短期インターンとかあるし、エントリー先の会社にバレたら印象がよくないかもだし。


 でも辞めれなかった。


 あたしは店長の彼女じゃない。店にはきれいな女の子がいっぱいいるし、店を辞めたら――店長はもうあたしに興味がなくなるかも。そう思ったら辞めるのが怖くなった。あたしはいつの間にか店長のことが――好きになっていた。



「えっ? 辞めへんの?」


 シーツの上であぐらをかいて、店長が細い目を丸くする。いつもひょうひょうとしてるのに、こんな驚いた顔もするのか。


「春になったら辞める言うてたのになかなか辞めへんなーとは思ってたけど……え? ほんまに辞めへんの?」

「辞めてほしいんですか?」

 あたしは布団のなかに潜りこむ。こんな情けない顔見られたくない。いやあ……と店長が呟いた。

「どうせ春になったら辞めるしええかと思って手出してんけど……せやったら止めといたらよかったわ」

「うわあ……最低」


 あたしは思わず布団をはねのけた。店長がきょとん顔でこっちを見てる。


「え? なんで?」

「なんでって……辞めるからセフレで都合がよかった、ってことでしょ! そんなの思っててもわざわざ言わなくていいじゃん!」

「あ? セフレ? 誰が?」

「セ……セフレでもないってこと? じゃあなにあたし? ペット?」

「え? 彼女やん?」

「は?」

「え?」


 しばしの沈黙。


「彼女やん?」

「彼女なの?」

「やから風紀やん? 春までやしバレんかったらええかと思て。いやほんまはあかんけど。でも続けるんならさすがになあ、店長が風紀はなあ……黒服に示しつかんしなあ」

「フウキって?」

「ああ……風紀違反、な。店内の風紀を乱す行為。ま、要は店の男とキャストが付き合ったり寝たりとかな。客からしたら金払って遊んでんのに、その女が店の男と関係もってるとか腹立つやん?」

「じゃあもし……あたしと店長のことがバレたら?」

「罰金百万かなあ。おれ店長やしなあ。クビにはならんやろけど」

「ひゃくまん……」

「別におまえが払うんちゃうし」

「あたし、やっぱ辞めたほうが」

「でも続けたいんやろ?」

「……あたし、いる方がいいですか?」


 そんなんおまえが決めることやん、とかバッサリ切られるかなって思ったんだけど。


「よう気がつくし、空気読めるし華もあるし。いいヘルプや思てんで。学生やなかったらレギュラーでナンバークラス目指してほしいぐらいや」

「褒めごろされた……」

「照れんなや」

「照れるわ」


 顔をのぞきこまれて、ぷいと目をそらす。恥ずかしい。頬が熱い。両頬にふれる店長の手が冷たくて気持ちいい。


「別れたほうがいい?」

「それもなあ……」


 耳元に顔を寄せて「……内緒にしとこか」とささやかれた。

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