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1.二十歳の大学生、キャバ嬢になる

 さて。なんでこんなことになったのか?

 朝起きたら知らない部屋で、なんにも着てなくてベッドのなかで、隣を見たら――椅子に座ったチャラい男がパソコンのキーボードを叩いてた。




 さかのぼること八か月前、季節は春。大学の二回生になったあたしは居酒屋のバイトを辞めた。店の先輩がプチストーカーぽくなってキモかったので。当時付き合ってた彼氏には言わなかった。無駄に心配とかさせたくなかったし。


「まどか、バイト辞めたんだ?」

「そ。なんか新しいの見つけないと」

「じゃ私の店とかどう? 私もう辞めるし、まどか紹介したら絶対喜ばれるよー」

「あんたの店ってなんだっけ?」


 キャバクラ、とその子は言った。同じ学部で昼ごはんの時とかにグループで喋るような女の子。特別親しいわけじゃないけどそれなりに友だち。って思ってたのはあたしだけだったみたい。ま、その話は置いといて。



 あたしはキャバクラ・LUXで働くことになった。新宿駅東口から徒歩五分、店は歌舞伎町のビルの二階にある。面接はすぐに終わった。ソファに座った店長――二十代後半ぐらい、ホワイトアッシュの短髪に吊り目のチャラそうな男――は、へらりと笑って言った。


「で、名前なんにする?」

「名前……ですか?」

「源氏名。本名がええのん?」

「え、いや、本名は嫌です。えーっと」


 急に言われても源氏名なんて思いつかない。カチャ、と面談室のドアが開いて、男の子が入ってきた。肩に掛けたサコッシュに某アニメのキーホルダーが付いている。


「それ、劇場版の……」

「あ? そうっす。観に行きました?」

 あたしが頷くと、「好きなん?」と横から店長が聞いてくる。「はい」「そおか。ならうん、蘭にしよか」あっさり言って、店長は席を立つ。

「へ? え?」

「髪長いし。目おっきいし。な、似てるやん?」


 案内したって、と男の子の肩をたたいて店長は出ていった。




 バイトはすぐに慣れた。女の職場ってもっとドロドロしてるかと思ったけど、そうでもない。あたしが週二勤務のヘルプで派閥に属してないからかも。売り上げのためには本指名を増やさないといけないし、そのためには新規のお客さんの指名をゲットしたり、自分の派閥の子にヘルプをお願いしたりとか色々駆け引きしなきゃならない。だけどあたしは本指名のお客さんを抱えてないから気楽なもんだ。前より勉強時間も確保できたし。


 で、変化がもう一つ。

 大学の彼氏と別れた。


「……おまえさ、キャバしてるってまじ?」

「うん、週二だけどね。てか誰に聞いたの、それ?」

「別に……誰だっていーだろ。つーかオレ、水商売の彼女とかむり」


 そう言われて、彼氏はあっけなく元カレになった。数日後、キャンパスで元カレと女の子が歩いてるのを見かけた。女の子――あたしにキャバクラを紹介してくれた、例のあの子。「まどか、あいつ最低じゃん?」「え? なにが?」「あいつがバラしたらしーよ。あんたがキャバしてるって」友だちに言われて、あたしはムカつきながらも感心する。元カレと別れさせるためにあたしをバイトに誘ったんだ。なるほど。やるじゃん。でも自分だって元キャバのくせに詰めが甘いね。とも思ったけど、わざわざバラしたりはしない。告白されて、なんとなく付き合って、それなりに好きだと思ってたけど――それなりの好きでしかなかったんだ。もう早く忘れてしまおう。



 五月になって、客の一人と付き合いはじめた。五つ上の会社員。知り合いに連れてこられたというその男は、「こういう店初めてなんだ」と困ったように笑う。かわいいと思った。転勤で春に青森から引っ越してきたらしい。あたしの地元は仙台だ。同じ東北出身ってことで盛り上がって、LINEを交換して、都内のオススメの場所とか話すうちにそういう仲になって、あたしのアパートで休日を過ごすようになるまでにひと月も掛からなかった。季節は夏になり、秋が過ぎ、そして迎えたクリスマス。


 彼は約束をドタキャンした。


 待ち合わせの一時間前になって、【仕事のトラブルで無理になった、ごめん】とLINEが来た。あたしの台所にはもう、照り焼きチキンとかラザニアとか、苺のホールケーキとか、午後中作ったものが並んでる。どうしよう。一人で食べるには多すぎる。あたしは料理を半分タッパーに移す。彼の家に置いてけば夜食か明日の朝食になるかも。忙しいと食事を忘れる人だから。彼のマンションを訪ねたのは片手で数えるほどしかない。付き合い初めの時と、その後に数回だけ。あたしの部屋のほうが居心地がいいと言って、彼は滅多にあたしを家に呼ばなかった。


 玄関のドアノブに掛けて帰るつもりだったけど、もし戻ってたら、とチャイムを鳴らしてみる。LINEは送っていない。あのメッセージの後は既読がつかなかったし、仕事の邪魔しちゃいけないと思って。


 ドアを開けたのは女の人だった。

「どなたですか?」


 にっこり笑う彼女の足元に小さな子どもが寄ってくる。「ままーだあれ?」「うん、パパの会社の方かな」二人の背後に彼が立ってる。呆然とした顔であたしを見てる。なんか間抜けな顔。どこか冷めた自分がそう思う。あたしは「部屋を間違えました」とかなんかそんなことを呟いて(正確には覚えてないけど)ドアを閉めた。


 いつもは空っぽの左手の薬指にはしっかり銀の輪がはまってた。




 それでも朝は来て、夜になって、あたしはバイトに行った。挨拶して笑ってマドラーでウイスキーをかき混ぜて、太ももを撫でられたからその手を握りかえしてホールドして。失恋の翌日にしてはよく働いたと思う。


 だけど帰り際、店長に呼び止められた。


「どしたん、今日?」

「なにがですか?」

「ボロボロやん」

「へっ? ど……どこがですか? いつもどおりですけど」

「目、ウサギみたいやし。なんやときどき遠い目しよるし。振られたん?」


 悪気ない笑顔で尋ねられて、つい「あたしが振ったんです!」と叫んでしまう。そう。あたしが振ったんだ。あれから彼(いや、元カレか)は何度もメッセージと着信を寄こした。あたしは既読をつけずにLINEのアドレスを消した。彼がなんて言おうと既婚者が独身になるわけじゃない。終わらせたのはあたしのほう。「一杯付き合おか?」店長があたしを見てる。心配? 同情? 憐れみ? いつもだったらそんなの絶対されたくない。だけどあたしは頷いた。あたしを見る店長が――優しい目をしてたから。



「既婚者なら指輪つけとけーーー!!」

「せやんなあ」

「てか不倫すんなーーー!!」

「せやんなあ」

「ムカつくーーー!!」

「ムカつくなあ」

「騙すとか最低ーーー!!」

「せやんなあ…………ま、男と女やし正直お互い様や思うけど」

「……なんか言いました?」

「あー言うてへん言うてへん。空耳ちゃう?」

「……なんでお互い様なんですかあ?」

「いや、せやかてそいつ、自分ちにおまえ呼ばんようにしてたんやろ? 他の社員に見られんようにしてたんちゃうん? 怪しいやん?」

「だって! 彼女はいないって!」

「嫁はおったけどなあ」


 あたしは涙目で店長を見上げる。店長はにっこり笑って「てかな、おまえ客と付き合うなや。付き合うんなら色恋かけて売り上げに貢献しいや」と低い声で言う。あたしは反論できずに黙ってビールを飲み干した。どこかの工房の地ビールだというお高いそれは、味なんて全然感じなかった。

 一軒目は小洒落たバルだった。二軒目は居酒屋だった。三軒目は立ち飲み屋だった。四軒目はベタベタする床のラーメン屋だった。五軒目は……もう覚えてない。




 さて。なんでこんなことになったのか?

 朝起きたら頭も身体も重たいし、糊のきいたシーツが肌に触れてるし、隣を見たら――椅子に座った店長がパソコンのキーボードを叩いてる。


「おはようさん」

「へ……?」

「喉渇いたなら冷蔵庫に水と茶とビールが入ってんで。腹が減ったならヨーグルトかカップ麺な。あ、トイレならここ出て右。シャワー浴びたいなら左や」

「や……あの……」


 あたしは自分を見下ろした。記憶がない。記憶が、全然、まったくない。裸。どこからどう見ても裸だし。下着すらつけてない。あたしは顔を上げる。店長は普通にスウェット着てる。いやなんであたしだけ裸?


「……やりました?」

「あ? なにを?」

「そのう…………昨日セックスしました? あたしたち?」


 店長は椅子を回転させて、あたしを見て、細い目をさらに細くした。

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