【コミカライズ】悪役令嬢に魅了の魔法をかけないでください! 断罪イベントを知らずに終わらせた公爵様は、悪役令嬢をとらえて離さない!
「そろそろ終わりにしようか?」
クリスティーナ・アレギス伯爵令嬢、18歳の誕生日。
いつも通り、リュディガー・フォーンハイト公爵様のお邸で婚約者としての日課のお茶会をしている時だった。
私は、急な発言にお茶を静かに置いて彼を見る。
いつもは、静かにお茶を飲んでいる婚約者の彼は、微笑みながらも神妙な顔つきになっていた。
銀髪に少し垂れ下がった切れ長の薄い碧眼の瞳。誰もが振り向く端整なお顔のリュディガー様と私は幼い頃から決められた婚約者で間違いない。
そのうえ彼は、公爵でありながらも魔法に優れた才能があり、魔法騎士団にも所属している人気者だった。私という婚約者がありながらも、他の家からの縁談の申し込みが絶えないほどだ。
他の女性と一緒にいることだってあるのも私は知っている。
その彼が、「終わりにしよう」と告げたのだ。
いつもいつも素っ気ない彼に、まとわりつくように追いかけまわしていた私は、その言葉で我に返った。
なんで、私はこの人をいつも追いかけまわしていたのかしら?
なぜかはわからないけど、急に冷めた気持ちになる。追いかけまわしていた熱を全く感じなくなっていたのだ。
私以外の人といる彼を縛り付ける理由も、それに耐える理由もないと、たった今気づいた。
私が18歳になると結婚する予定だった。一年前に公爵を継いだばかりの彼は、仕事などに忙しく、事故で他界されたお義父様たちの喪に服していたこともあり、すぐには結婚をしなかった。
そして、私が18歳になった現在。結婚を間近に控えていたけど、他に女性がいる方と結婚なんて有り得ない。そう思い始めると、婚約破棄してくれてラッキーのような気がする。
頭がまだハッキリしてないような霧がかった様子で立ち上がった。
「クリス? 聞いているのか?」
「聞いてます。婚約破棄ですよね? すぐにしましょう。書類はどこですか? サインをするペンは……」
「……クリス? 何の話かわかっているのか?」
「わかっていますよ。ですから、すぐに婚約破棄しましょう」
「ペンをお借りしますね」と言って立ち上がり、この部屋の机へとペンを取りに行くと、背筋がヒヤリとして鳥肌がたった。
「クリスティーナ」
机の前でペンを取ろうとすると、私はリュディガー様と机に挟まれ、彼の声が耳元で聞こえるほど近くて、どきりとした。
「俺は婚約破棄をすると一言でも言ったかな?」
「でも、終わりにしようと……」
背の高い彼に上目で振り向くと、怒った表情のリュディガー様が私の背後から見下ろしていた。
「それは、俺のことが好きではないということかな?」
「……そうかもしれません」
「そう……まだ、解くのは早かったようだな」
「あの……」
――解くのが早い?
なにを言っているのか分からずに、困惑してしまう。むしろ、怖い。こんな怪しい迫力のある人だとは知らず、なにを怒らせたのか必死で考えていた。
こんなにリュディガー様から私に近づくことすらなかったのだ。いつもは、私が彼の腕に絡まっていっているぐらいだったのに……。
今思えば、なんであんなに「リュディガー様、リュディガー様」と彼を追いかけまわしていたのか……。
その彼が、今にも覆いかぶさって来そうなほど身体が密着してくるから必死で抵抗した。
「わ、私っ、帰ります! 婚約破棄のことをお父様に話さないと……っ! 結婚式の中止もすぐにいたしませんと……!」
「そんな必要はない」
「でも、結婚式が……リュディガー様は、いつも他の女性といたではありませんか!?」
「あれは苦痛だった。よからぬ動きをしている女に近づいていたのだから……だが、クリスティーナが嫉妬してくれるあの顔は可愛かったね」
慌てる私と違い、彼の冷ややかな空気が張り詰めたかと思うと、リュディガー様の顎が私の肩になだれ込み、理由のわからない緊張が走った。
「二度はかからない魔法なのに……どうしてくれるんだ?」
「ま、魔法……?」
「せっかく、クリスティーナを誰にも取られないように魅了の魔法をかけていたのに……解いた途端に俺から離れようとするとは……」
「魅了!?」
一体いつから!?
では、私が「リュディガー様、リュディガー様」と追いかけまわしていたのは……。
わなわなと震える唇が塞がらずに、間抜けな表情で固まる。それを愛おしそうに彼が頬を撫でてくるけど、怪しい笑みが怖くてびくりと身体全体が強張る。笑顔だけど、絶対に怒っている。
「わ、私っ、帰ります!!」
「帰さないよ」
「ひっ……」と声にならない悲鳴が漏れる。怖い雰囲気を隠さずに眉根を釣り上げて、黒い笑顔で私を見据える。
「新しい魔法を考えないとね……」
次は私に何の魔法をかけるつもりなのか。怖くて聞けない。
だんだんと、頭のモヤが晴れるように思い出した。
この世界は、なんとかっていう小説の世界で、私はヒロインを虐めて最後には断罪される悪役令嬢だ。
幼い頃から前世の記憶があり、断罪を避ける為にヒーローである私の婚約者リュディガー様と離れようと決めて田舎に引っ込もうとしていたのだ。
それなのに!
私に魅了の魔法をかけていたですって!?
なんでそんなことをするの!?
かけるならヒロインにかけてください!!
「リュ、リュディガー様。いつから私に魅了の魔法を?」
「一年ぐらい前だな。クリスティーナが婚約破棄をしようとしていたから……」
バレてましたか。
魅了の魔法にかかる前は、必死でお父様を説得して婚約破棄を企んでいた。とにかく、リュディガー様とヒロインから離れるために田舎への引っ越しを企んでいたのに。
「魅了を解いた途端に婚約破棄をしようとするなんて……あれほど、俺が好きだと言ってくれていたのに」
「それは、魅了のせいですよね!?」
魅了の魔法にかかっていたせいで婚約破棄をしようとしていたことをすっかり忘れていた。……それどころじゃない!!
断罪イベントは!?
一年前くらいに、殿下の婚約者選びの夜会で、毒殺されそうになったヒロインをリュディガー様が助けて、颯爽とヒロインを夜会から連れ出したはず!
それから、ヒロインとリュディガー様の仲が深まり、断罪イベントへとつながっていた。毒殺しようとしたのは、悪役令嬢の私__クリスティーナだったからだ。
そして、その日にヒロインとベッドインするはずでしたよね!?
そんな気がする。
でも、リュディガー様はその日にヒロインとベッドインしてないような気がするし、私はリュディガー様を追い回していたから毒殺をしてないどころか準備すらしてなかった。
そもそも、そんな恐ろしいことは私にはできない。
年々前世の記憶が薄れていたのに、魅了の魔法にかかっていたせいで、この一年で前世の記憶がさらに乏しくなっている。すでに自分の前世での名前すら思い出せない。小説の中の悪役令嬢で断罪されることは覚えているのに!
「クリス。聞いているのか?」
「リュディガー様……聞いてます。すぐに帰って婚約破棄も承諾します」
「全然聞いてないじゃないか。魅了にかかっている間は、リュディガー様と言って、いつも側にいてくれたのに……」
「だって……それは、魅了のせいです! そもそも、どうしてそんな魔法を私にかけるんですか!? いつもリュディガー様は、ヒロ……じゃなくてマリアンナ様と一緒にいましたのに」
ヒロインは確かマリアンナ様だった。いつもリュディガー様といたのはマリアンナ様だったし、この人がヒロインだと今の私は認識していたはず。
「あぁ、そうだったね。でも、彼女が好きだとは一度も言ってないはずだ。それなのに、クリスは宮中の夜会で、殿下に近づこうとしたのはいただけなかったね」
なぜそれを!?
秘密がバレて身体がびくりと揺れると同時にリュディガー様がさらに迫ってくる。こんなにも密着されると思考がまとまらなくなる。
「ど、どうしてそれを……」
「一年ぐらい前に、クリスの部屋で逃亡計画書を見つけたんだ。とんでもないことばかり計画していて背筋が凍ったよ」
計画書には、田舎への引っ越しを企んでいることや、それが出来ないなら、次のプランとして王太子殿下に一夜の過ちでも起こしてもらおうと密かに考えていた。
王太子殿下なら、リュディガー様も手が出せないはずだし……リュディガー様は、無駄に身分が高いから、相手にご迷惑にならないようにと考えてのことだった。
一年前の宮中の夜会での私の本来の目的は、いまだ婚約者のいない王太子殿下が密かに気にいった令嬢を探すもので、私は一夜の過ちを願っていた。それと、その夜会で起こるヒロイン毒殺事件未遂が起きないためにするものだった。殿下といれば、私が毒殺事件未遂事件など起こせないし、ヒロインは安心してリュディガー様に口説かれるはずだったのですよ!
しかも、夜会は、貴族たちの出会いの場でもある。その宮中の夜会なら、王太子殿下に近づける唯一のチャンスだった。
夜会でヒロインを取り合っている間に、王太子殿下に一夜の過ちをお願いしようと考えていたのに……!
本来なら、その夜会でリュディガー様とヒロインが仲を深めて、その後、私は婚約破棄をされてヒロインをいじめた罪と毒殺事件未遂を起こした罪で牢屋行きだった。その牢に送られる途中で事故に遭い悪役令嬢は退場! という筋書きだった気がする。
細かいところがあやふやなのは、このリュディガー様のせいだ!!
一年前は、もう少し覚えていたのに!!
「でも、どうして私の部屋に……どうやって見つけたのですか?」
むしろ、勝手に入らないでほしい。
「簡単だね。クリスの邸のメイドにお願いしたら、すぐに案内してくれたよ」
「それは、色仕掛けです!!」
「使えるものは使う主義なんだ。クリスは俺のことを知っているだろう?」
メイドめ!
邸の住人を売るとは!?
リュディガー様も、こういう人だ。自分の顔が良いことをよくわかっている。
むぅっとした表情で思わずリュディガー様を睨む。勝手にメイドを買収しないで欲しい。
知らないうちに部屋に入られるなんて怖い。
「あぁ、言って置くけど、何かを調べるために部屋に行ったわけではないよ。クリスを待っていようと思って部屋に行っただけなんだ。その頃のクリスは、ずっと何かを調べていたり、俺を避けていたからね……どうしてなのかと、話そうと思って行ったんだ。そしたら、メイドが『クリスティーナ様は部屋で何かをしている』と言ってノートを教えてくれたんだよ」
余計なことを言わないで欲しい。お茶を持ってきたりしていたから、ノートの中身は知らなくとも、私が何かをしていたことは知っていたのだろうけど……リュディガー様と少しでも話したくてただ世間話で言った気がする。それくらいリュディガー様は邸のメイドたちにも人気なのだ。
「あの……一年前の夜会は?」
何かあったはずだ。小説通りなら、悪役令嬢である私がヒロインに毒を盛ってそれをリュディガー様が介抱したはず。そんな事件もあってヒロインはリュディガー様との仲を深めて悪役令嬢は、断罪イベントまっしぐらだった。
でも、私は毒など盛ってない。そもそも、私は断罪されたくなくて、昔からヒロインに近づかないようにしていたし意地悪もしなかった。
私は、なにもしませんよ! というアピールも含めて殿下との一夜の過ちを狙っていたのに。
普段から、ヒロインとばったりどこかで会わないように極力外出も控えていた。それも含めて田舎の別邸への引っ越しを企んでいたのに。
魅了の魔法にかかっていたせいで、この一年の記憶もモヤがかかったような感じだが、思い出せば夜会で何かはあった気がしてきた。
リュディガー様にまとわりついていて、途中で彼はどこかへと行っていたはず。私は、庭のやバルコニーなどを探し回っていて、気がつけばリュディガー様が戻り「帰ろう」と連れて帰られた気がする。婚約者だから、私を邸まで送ってくれたのだ。
できれば、その時にヒロインとベッドインしていて欲しい。はかない願いを込めるが、過ぎた出来事には何の意味もなかった。
「あの時は、ずっとそばにいられなくて残念だったな……誰かに取られればどうしようかと思っていたんだ。魅了の魔法をかけておいて良かったよ。勝手に殿下に迫られてはたまらないからね。クリスに手を出せば、俺が謀反者になるところだった」
それは、私があの時に殿下と一夜の過ちを犯していれば、リュディガー様は殿下を暗殺するところだったということですか!?
さっきから、怖い情報が明らかになる。
「あの……その時にリュディガー様はどこかに行かれていましたよね? 私は浮気をする男は嫌いなのです! ですから……」
「あぁ、あの時は毒殺事件が起こっていたんだ。グラスに毒を仕込んだらしくてね……ほんの少量だったから、秘密裏に事件を片付けていたんだ」
事件は起こっていました。
一体誰がそんなことを!?
私が盛らなくても、毒殺イベントは起こるのが普通なの!?
何のために、毒殺未遂事件など起こさないように離れようとしていたのか……一体この世界はどうなっているの?
しかも、マリアンナ様と一緒ではないし。ヒロインをガン無視って、どうなの!?
それに、毒殺事件は誰が毒を盛ったのだろうか。そして、誰が毒を盛られたのだろうか?
小説通り考えれば毒殺未遂の被害者はヒロインのはずだ。だから、私を夜会に置いてリュディガー様は仕事だと言ってどこかへと行ってしまったのではないのかしら。
「あの、マリアンナ様は大丈夫なのでしょうか?」
「クリスは優しいね。自分を毒殺しようとした女を気にするなんて……でも、もう大丈夫だ。マリアンナはすでに捕えている。二度とクリスには近づけさせないから安心するといい」
「リュディガー様……今なんと?」
「クリスは優しい……と言ったが?」
「その前ですよ! 私を毒殺しようとした!? マリアンナ様が!?」
初めて聞く情報に混乱する。毒殺未遂の犯人が反対になっている。というか、ヒロインが悪役令嬢を毒殺しようとしてどうするんですか!?
ヒロインとは、もっとこう……儚い感じではないのですか!?
誰か教えて!
「でも、私は毒なんて飲んでませんよ!?」
「当たり前だ、クリスにそんな恐ろしい物を飲ませるわけがないだろう。マリアンナは、以前からクリスを悪者にしようとしていたから、いつかなにかをやらかすかと思って見張っていたんだ。マリアンナの動向はいつも把握していたから、毒を入手したことも掴んでいた。一緒にいることも疲れてきたところだったから、そろそろ退場してもらおうと思ってね」
恐ろしい。マリアンナ様を私に近づけないために彼女の動向を知っていながら尻尾を出させるとは……まさか、リュディガー様がマリアンナ様と一緒にいたのがそんな理由だったなんて驚きですよ。
というか、マリアンナ様。あなたはヒロインなのに一体なにをしているんですか。
私が、普段からヒロインに近づかないようにしていたことが、マリアンナ様からすれば意地悪の標的にならなくて困っていたのですか?
私が、いつまでもリュディガー様の婚約者だからのような気がする。
でも、この人は別れてくれないんですよ。
だからといって、悪役令嬢である私を毒殺しようとしないでください。
そのうえ、まさかの断罪イベントが私が魅了の魔法にかかって知らぬ間に終わっており、小説のヒーローがヒロインを断罪するなんて思い浮かばなかった。
私の幼い頃からの苦労は一体なんだったんだろう。この断罪イベントをどうかわそうかと何年も頭を悩ませていたのに……魅了のせいで、この一年は忘れていたけど。
「いつも追ってきているクリスも可愛いかったけど、その怯えた顔も可愛い……でも、怯える必要はないだろう? 俺たちは、幼い頃からの婚約者だ。それに、浮気だと思っていたということは、やはり俺が好きなのかな?」
そこは前向きな考えに到達するところですか!?
「嬉しいよ」
「ひゃ!」
垂れかかり私の肩に乗っているリュディガー様の頭が動くと、首筋がチクンとした。
首筋に痕が残るものを付けられたのだ。
「い、いやーー! 離れてください!!」
突然のことに思いっきりリュディガー様を突き飛ばした。それでもほんの少ししか離れない。意外と彼は頑丈だった。混乱しすぎて涙目になる。
「か、帰ります!!」
そのまま部屋を飛び出した。だから、聞こえなかった。「絶対に逃がさないよ」というリュディガー様のひそやかな発言が……。
♢
アレギス伯爵邸に疾風のように帰宅すると、急いで書斎へと飛び込んだ。お父様が、いつもここで仕事をしているからだ。
「お父様! リュディガー様と婚約破棄です。すぐに私は田舎の別邸へと引っ越します!」
「はぁ!? そんなわけないだろう。リュディガー殿との結婚式の準備は進んでいるんだぞ」
「のっぴきならぬ事情ができました!」
「何だそれは? くだらないことを言うんじゃない」
「くだらなくありません!」
呆れかえるお父様を目の前に、深呼吸をして落ち着こうとする。
「実は、お祖母様ももうお年ですし、心配で様子を見に行こうかと……」
身内を心配する情に訴えようと笑顔で噓をついた。
「お前はなにを言っているんだ?」
「ですから、結婚前にお祖母様の様子を見に行こうと思いまして、すぐに田舎の別邸へと行きますわ」
「お前の祖母である私の母上はすでに死んでいるだろう? 頭は大丈夫か?」
リュディガー様の魅了の魔法のせいで記憶があやふや!!
いきなり噓がバレてしまい背中から冷や汗がでる。記憶に自信がないにもほどがある。
魔法に長けているリュディガー様の魅了だからか効果が強すぎる。
「ちなみにお前の祖父もすでに他界しているぞ。誰の様子を見に行くつもりだ?」
本当に誰の様子を見に行けばいいのでしょうね!?
呆れかえるお父様の前で、八方ふさがり感になりグッと拳を握りしめる。
「大体、婚約破棄すると言ったり、結婚前に他界している祖母の様子を見に行こうなどとわけのわからないことを言うものではないぞ。お前はリュディガー殿が好きでいつも彼を訪ねていたではないか……今日もリュディガー殿の邸でお茶していたはずだぞ」
そうですよ。全てはあの怖いリュディガー様の魅了の魔法のせいです。
お父様に全てをバラすべきなのか……でも、リュディガー様との結婚は一族みんなが応援している。この国でも有数の公爵家であり、誰もが縁を繋ぎたがっている。それどころかリュディガー様は王族の覚えもいい。いずれは殿下の側近になると言われているような容姿端麗、おまけに文武両道の完璧な方だ。完璧な魅了の魔法まで使いこなす無駄な魔法の才にも長けている。余計な設定をつけすぎですよ。
その彼に魅了の魔法をかけられていたなんて言っても、絶対にお父様が婚約破棄を申し込んでくれるとは思えない。信じてくれないかもしれない。
「あぁ、それと宮中の夜会の招待状がきているぞ。今回もリュディガー殿と行かれるのだろう? 彼は、クリスを大事にしているからな」
確かに邪険にはされなかったけど……魅了にかかっている間もマリアンナ様と腕を組んで出かけていたし、それを私は後ろからついて行くこともあった。
魅了にかかってなかったら、そんな惨めなことをしなかった。
そもそも、魅了にかかる前からマリアンナ様には近づきたくなかったのだ。それなのに、リュディガー様が彼女とお茶を一緒にしたりするから……フォーンハイト公爵邸を訪ねていた時に二人っきりでいた時は胸が傷んだのだ。ヒロインには敵わないし、断罪まっしぐらになる理由は私にはない。小説の世界であろうとも、今の私は自分の意志があって自分で考えて断罪にならないように避けて来たのに……それが、リュディガー様のせいで、いつの間にか断罪イベントは終わっていた。しかも、ヒロインがヒーローに捕縛されるという結末。
あの悲しかった気持ちは一体どこへ昇華すればいいのですか。
考えていると、書斎に執事が「フォーンハイト公爵様のお越しです」と言ってリュディガー様を招き入れた。
私は、血の気が引くと同時に逃げた。書斎には、反対側にも出入り口があるから逃げ場はあるのだ。
「クリス。どこに行くんだ? せっかく迎えに来たのに……」
「は、離してーー!」
逃げるよりも早くにリュディガー様に捕まってしまう。彼は背が高くて、お腹に手を回されて持ち上げられるとジタバタと足が浮いてしまっていた。それをお父様は、観察するように見ている。
「アレギス伯爵。今日はクリスを迎えに来ました」
バタバタとすることに疲れて、リュディガー様に抱えられたまま呼吸を整えようとしていると、彼は、とんでもないことを言い出した。
「迎え……ですか?」
「えぇ……またよからぬ者にクリスが狙われないように、我がフォーンハイト公爵邸で一緒に暮らそうと思います」
お願い! 反対してください!
結婚前だからとか理由はたくさんありますでしょう!
抱えられたまま祈るように両手を握りしめて懇願の意を表す。でも、魅了の魔法にかかっていたことを知らないお父様は通じなかった。
「そうか。クリスもフォーンハイト公爵邸での暮らしを望むか……二人が納得しているなら野暮なことは聞かないでおこう。あの毒殺未遂事件から、リュディガー殿のおかげでクリスは元気でいられたのだからな」
違います! このお願いのポーズは断って! という現れです!!
一緒に暮らさせてください! というお願いではないし、毒殺未遂事件のことは先ほど知ったばかりです。元気だったのは魅了の魔法にかかっていたから、リュディガー様のことしか考えられなかったのですよ!
落ち着け。落ち着かないとこのリュディガー様には敵わない。
リュディガー様に捕まったまま、胸を抑えて動悸を抑えて話す。
「お父様、私はお祖母様の介護が……」
「だから、お前の祖母はすでに皆死んでいる。クリスが様子を見に行く必要のある親戚はいない」
噓も方便はまったく利用できない。語尾を強めに呆れ顔でお父様に言われた。
もう誰でもいいから、私を呼んでほしい。
リュディガー様は、笑いをこらえるように喉を鳴らすと、お父様に感謝を告げる。
「あぁ、良かった。アレギス伯爵、感謝します。では、クリス。荷物をまとめようか?」
「……荷物の準備に、100年ほど待ってもらえますか?」
「……では、このまま行こうか?」
「やっぱりすぐに準備します……」
ちらりと見上げると、冷ややかな視線なのに笑顔で見下ろすリュディガー様の表情が怖い。私と一緒にいるために、お父様まで取り込むなんて……腹黒に見えてきた。やっぱり私では敵わない。
お父様は「リュディガー殿なら、クリスを任せても安心ですな」と笑うと、リュディガー様は「お任せください。これ以上ないほど大事にしますよ」と自信ありげに答えた。
目的のためなら手段も選ばない。どうやってこの人と離れるのか……わけのわからないまま、あっという間に荷物をまとめられて私はその日から、フォーンハイト公爵邸で暮らすことになってしまった。
♢
リュディガー様の邸に問答無用で連れて来られて数日。
部屋にはたくさんのドレスが並べられて「どれがお好みでしょうか?」と仕立て屋が聞いている中で、私はリュディガー様の膝の上に乗せられて必死で近づいてくる端整なお顔をかわしている。
どんなに仕立て屋に勧められてもドレスを選ぶ気にもなれず、いつも結局はリュディガー様が選んでいる。それなのに、彼は私の趣味を熟知しているようで私の好みのものばかりが贈られている。
仕立て屋は、リュディガー様の私への可愛がりぶりに微笑ましい様子で、その上「いつもごひいきに」とホクホクになって帰ってしまう。
「リュディガー様……」
「なんだ? クリス」
ついばむように私の頭への口付けを止めないリュディガー様に、この数日間心臓の動悸は収まらない。
「離れてくださいよ!」
「離れる必要はあるか?」
「あります! みんなに見られているんですよ!? 恥ずかしくないんですか!?」
「まったく恥ずかしくないんだが……」
「私はこんな赤ら顔をみんなに披露する趣味はないんです!!」
「そうか……ふむ」と顎に手を当てて考え込み始めたリュディガー様に、やっと話が通じたとホッとしたが、それも一瞬のことだった。
「確かに、クリスの可愛い顔を見せるのは惜しいな……では、使用人は全て出そう。今夜からは、この邸は二人っきりにする」
突然の宣言をリュディガー様はいとも簡単に実行してしまった。
夕食が終われば、料理人は帰ってしまう。貴族の邸だから住み込みのはずなのに、一体どこに帰るのか……。執事たち使用人は「お暇させていただきます」と言って、全員が邸を去ってしまった。
青ざめたままで、みんなを玄関で見送り茫然自失になってしまう。リュディガー様は、「元気でやれ」と言ってご機嫌だった。
玄関で固まったまま動かない私を「どうした?」と不思議そうに見るリュディガー様が、もう変な人にしか見えない。
行動力がおかしい。そもそも、悪役令嬢の私を溺愛していること自体がおかしいのだ。
「クリス。他になにか要望はあるか?」
「リュディガー様……私は使用人を解雇して欲しいと言いましたかね?」
「二人っきりがいいと言ったじゃないか? クリスの願いは聞いてやるぞ」
「では、婚約破棄を……」
「ウェディングドレスも滞りなく進んでいるぞ? まだ見られないのが残念だ」
婚約破棄は流されて、感無量でそう言われた。
この国では、ウェディングドレスは結婚前に新郎が見ると幸先が悪いと言われている。だから、我慢しているらしい。むしろ別れてくれるならいつでも披露したい。
「ウェディングドレスならいつでも見せますよ」
「それは、不幸を呼び寄せるつもりかな?」
「……リュディガー様。怖いです」
あの冷ややかな黒い笑顔は、迫力がありすぎて引く。
寝る時も、必ず私を同じベッドに入れて腕の中に閉じ込めるようにして寝ている。
それどころか、その日から夕食以外は使用人もいなくなったから、仕方なく私が食事を作っていた。
料理人ほど立派な食事ではないにしても、リュディガー様はそれを嬉しそうに残さず食べてくれる。それは、意外と嬉しいとは思えた。思えたのだけども……。
二人っきりになったせいか、「食べさせてやろう」と言って食事時まで離れてくれない。
私の青ざめている顔は見えないのでしょうかね。
私の発言とリュディガー様の無理やりな勘違いのせいで、甘い新婚生活に突入した気がする。そして、楽しんでいるのはリュディガー様ただ一人。
私は、これからどうするべきなのかずっと考えている。それなのに、リュディガー様が迫って来るから、それを必死でかわすことばかりで、ゆっくりと考える暇もなかった。
♢
今日は、殿下に呼ばれており、リュディガー様は城へと仕事に行く。
やっと一人になれると安堵した。このまま逃げるという手もある。ドレスなどは大荷物になるから、宝石を売ればいい。そうすれば、路銀には困らないはずだ。
料理も着替えもできるから、お金さえあれば一人でも生きていける。
頑張るぞー! と心の中で決意して叫ぶ。
その嬉しそうな表情をリュディガー様は決して見逃さなかった。
「随分嬉しそうだね?」
「きっと、今日は動悸のないお昼寝ができそうだからですわ」
昼のまどろむようなゆったりとした時間でさえ、リュディガー様が抱き寄せてくるから、私はこの数日間で寿命が足りないかもと思い始めていたのだ。
断罪イベントは、リュディガー様が勝手に終わらせていたけど、そのリュディガー様のせいで、私の心臓は破裂寸前なのですよと言いたい。
「クリスティーナ」
嬉しそうな表情に怒ったのか、リュディガー様が耳元で囁いてくる。
「耳元で話しかけてこないでください」
「俺の声は嫌いなのか? そうは見えないけど?」
そうです。リュディガー様は、声もいいのです。低く男らしい柔らかな声で囁かれると、どんな令嬢もコロリと落ちそうだと思える。流されないようにと、ムッとした顔で彼を見上げる。
「何ですか? 改まって……」
「実は、今日は仕事に行くのだが……」
「知ってますよ。どうぞごゆっくり頑張ってくださいね。応援しています」
何なら、10年ぐらい仕事から帰ってこなくてもかまいません。むしろバンザイ。
「その仕事をゆっくりとするために、昼食がいるんだ。届けてくれるね?」
「昼食を……?」
「そうだが?」
「それは、使用人にお頼みくださいね」
私は、脱走計画を練らなくてはいけないのですよ。
「その使用人はクリスのために、全員に暇を与えてしまったからな……」
困ったように悩まし気に言うけど、暇を出したのはリュディガー様ですよね!?
私のせいではないですよ!
くっ……この男は!
「でも、御者もいませんし……私は、か弱いので城まで歩けませんわ」
「では、昼前には馬車を手配しておこう。それでは頼む。馬車が来れば必ず、すぐに来るように」
ダメだ。なにをいってもリュディガー様が先回りするし、何でも対応してしまう。困る様子もうっとうしく思われる様子すら、微塵も感じられない。
「あぁそれと……他の男のところに行けば、どんな手を使ってでも取り戻しに行くから」
私の断罪とは別の断罪イベントが起こりそう。それは、ヒロイン関係ない断罪イベントですよね。そんなものを彷彿させないで欲しい。小説にないイベントフラグを立てないでください。
私は穏やかに暮らしたいのだ。そして、ヒロインよ。早く牢屋から出て来て下さい。
牢屋にいる場合ではありませんよ。
魅了の魔法が解けてから、一度もお会いしていませんよ。逮捕されたから、会えないのはわかるけど。
ヒロインパワーで、この病んでいる公爵様を落として欲しかった。
「クリスティーナ」
「はい」
「好きだよ」
こういうところがずるい。何の迷いもなく伝えて来るのだ。照れることのないリュディガー様と違って私だけが動悸がしているのが少し悔しい。
「返事は?」
「……結婚式にお伝えします」
「それは、楽しみだ」
背の高いリュディガー様が腰をかがめて、私の頬に唇を落とす。それに照れながらも動けずにいた。
連載にしようか悩んだのですが、短編にしてみました。ブクマ、評価よろしくお願いします!
(ネタバレ)
意地悪悪役令嬢だったはずなのに、断罪を避ける為にヒロインに近づかず、婚約破棄をそれまでにしてやる!と必死になっていたのに、クリスに意地悪されず不憫なヒロインになれなくて、悪役令嬢に意地悪をされたと悲劇のヒロインぶりをしようとして、しまいには公爵の逆鱗に触れた、という設定でした。
公爵は、ヒロインが二度と舞い戻って来ないように証拠集めの為に近づき、その間クリスが離れないようにどうしようかと、考えている時にクリスの逃亡計画書を発見して、完璧な魅了の魔法をかけた。という話です。