三聖女(1/3)
セリカは夢を見ていた。
ホリーが倒れたセリカを抱いて、泣いている。
魔物との初陣で、彼女はずっと泣きっぱなしだった。もう泣かないでくれと言いながら差し出したセリカの手は、自分の血で濡れていた。
――あなたたちが無事でよかった。
苦しい息のはざまに切れ切れにそう言うと、意識が途切れた。
「セリカ様ぁ……」
すぐ隣からはっきりとした寝言が聞こえてきて、セリカはハッと目を覚ました。
自分の部屋のベッドにホリーがいる理由をセリカはしばらく思い出せなかったが、テーブルに引継ぎ用の資料が散らばっているのを見て、夜遅くまで打ち合わせしてそのまま眠ってしまったことが一気に蘇ってきた。
いったん戦場に出ると付近の村人が好意で貸し出してくれたベッドの数が足りないということはよくあり、一つのベッドで三人、四人の聖女隊員が寝ることもそれほど珍しくはない。
ホリーが隣に寝ているのも珍しいことではなかったし、眠りながら泣いていることもよくあった。
聖女隊にいる女の子たちは、誰しも事情を抱えている。過酷な仕事であることも合わせると、泣かずにはやっていられない日もあるだろう。
泣いている彼女の頬をぬぐい、セリカはベッドを抜け出した。
聖女が到着するという約束の三日はあっという間に過ぎた。準備を急がなければ。
魔物との戦争は、主に【備蓄】と【戦闘】のサイクルで成り立っている。
魔物の攻撃は非常に強力で、人間の身体など一撃で粉砕してしまう。
一部の魔法を使える人間を除いて、生身で魔物と戦うことは難しい。
そこで重要になるのが、魔石の存在だった。
魔石は魔物を倒すのに必須のアイテムなのだ。
セリカは礼拝堂で、ふたたびひざまずいた。
「精霊よ。どうか、この国のいく末に加護を――」
一心に魔石を作っていると、礼拝堂にホリーが顔を出した。
ホリーは驚いた顔で言う。
「まだお祈りしてるんですか?」
「ええ。もう少し魔石を作っておきたくて……」
魔石の備蓄量はそのままこの国の生命力だと言ってもいい。魔石が切れた瞬間から兵はおのれの肉体のみで戦わなければならなくなる。
ホリーはまた泣き出しそうな表情になった。
「セリカ様がここまでしてくださっているのに、どうしてみんな分からないんでしょうか。いなくなったら、みんな死んじゃうかもしれないのに……」
「まさか。三人も聖女が来るのだから、今よりずっと楽になるはずですよ」
「……本当にそうでしょうか」
ホリーは暗い声でつぶやいた。
「本当にそんなにすごい人たちなんだったら、簡単に他国に引き抜かせたりしないですよね。私たちはセリカ様おひとりだって絶対にどこにも行ってほしくないくらいなのに」
「心配せずとも、ライネスは魔法大国ですよ。力を持った聖女が大勢います」
「でも!」
「ホリー……」
セリカはどう言えば彼女を説得できるだろうかとしばし考え、ふたたび口を開く。
「そもそも、今までがおかしかったんですよ。私が何度陛下にもっと聖女を増やしてほしいとお願いしても、陛下は一度だって真剣には考えてくださらなかった。その改革には、様々な副作用を伴うから、と」
「聖女を増やせば増やすほど、攻めてくる魔物も強力になるんですよね?」
「そうよ。陛下はそれを嫌って、頑として聖女を増やさなかった。でも、ハイスベルト殿下なら……」
彼は、アクアフィーナをこの国に連れてくる、という決断をした。
「ハイスベルト殿下は、王国にとって一番必要なことをなさったのです」
「だからって、どうしてこの国一番の功労者であるセリカ様が国賊のように扱われなきゃならないんですか!?」
「それは……」
ハイスベルトに問題がなかったとは言わない。
セリカは彼にまったく愛情を持てなかったし、婚約を解消されて、せいせいしているぐらいだ。
「この国のためには必要なことです。私はまったく気にしていませんから、あなたもあまり気に病まないで。ホリー、あなたは優しい子ですね」
「私、全然いい子なんかじゃないです! だって、あの王子のことがどうしても許せません!」
セリカはしばらく、何を言うべきか考えた。
「……そうね。私にも、許せない気持ちはあるけれど、ホリーが私の代わりに怒ってくれたから、私は彼を許せました。私はあなたに感謝しなければなりません。あなただけは私と一緒に彼を憎んでくれた。その思い出があれば、私は人に何を言われても平気」
セリカには信頼できる仲間がたくさんいた。
それだけで十分だと思う。
「……私、一生彼のことを許しません。憎んで、憎んで、憎み続けてやります」
「ありがとう。やっぱりあなたは優しい子ですね」
「セリカ様……」
ホリーの手を取り、しばらくすすり泣く彼女の気持ちが落ち着くのを待った。
やがて手伝うと申し出てくれたホリーとともに、セリカは夜明けまで、魔石を作るための祈りを捧げた。
***
準備に明け暮れるセリカにとってはあっという間だった。聖女が来るという三日後はすぐにやってきた。
三人の聖女の到来は、高らかな軍用ラッパのファンファーレで出迎えられた。
大きな箱型の馬車から、高位の騎士とおぼしき男性のエスコートで地面に降り立ったのは、それぞれが贅をこらしたドレスに身を包んだ三人の淑女だった。
真っ赤なドレスに大量の宝石をちりばめた淑女は、いかにも高貴な出身をうかがわせるかのように、髪の先まで美しくカールしてある。
黒いドレスに黒いヴェールつきのボンネットをかぶった淑女は、お葬式のように暗い瞳をしている。
淡い水色のドレスに白いレースをたっぷり重ねた淑女には、セリカも見覚えがあった。
彼女がアクアフィーナだ。
アクアフィーナの隣には、ハイスベルトもいた。正装姿の王子は、最近婚約したばかりの可愛い恋人に、満面の笑顔を向けている。
仲良く寄り添い合う二人の幸せそうな姿は、軍服姿で微動だにせず敬礼して待つセリカの無表情と対比するかのようだった。
「見せつけているつもりかしら、馬鹿みたい」
ホリーがつぶやくのを聞こえなかったふりで流して、セリカはまっすぐ近寄っていった。
「ああ、セリカだったの。みすぼらしいから、下級兵にしか見えなかったよ」
のっけからハイスベルトにケンカを売られた。
セリカはいつも通り聞かなかったことにして流そうかとも思ったが、そういえばもう婚約は解消されているのだ。
それならば、今更ご機嫌取りをせねばならないということもないだろう。
セリカは心のままに言い返すことにした。
「こちらは殿下がお召しになっているのと同じ、軍用の大礼服でございます。イリスタリア王国の王子は、下級兵と同じものを着ているのでしょうか?」
「ああいえばこういう、本当に可愛くないな! 女ならドレスを着ろって言っているんだよ!」
くだらない言いがかりだとセリカは感じたが、見れば、アクアフィーナもまた、眉をひそめている。
「セリカ様……それ……」
「この剣がいかがいたしましたか?」
アクアフィーナから軽蔑のまなざしで見られている理由は分からないが、少なくとも、セリカはそれなりの誇りを持って剣を携帯している。だから、怯むこともなく、堂々と見せつけた。
「それ、舞踏会のときにつけてたような、儀礼用ではないですよね? 実戦用の本物の剣……ですよね」
「ええ、もちろん。模造刀では戦えませんから」
「そんな……ハイスベルト様!」
アクアフィーナは怒ったようにハイスベルトの腕を引っ張った。
「どういうことですか!? イリスタリアでは、聖女に剣を持たせて戦わせるなんて、そんなの聞いてません!」
アクアフィーナははっとしたように、あたりを振り返る。
周囲には剣を標準装備した聖女隊の面々がいて、揃いの制服姿で、ずらりと整列していた。
「イリスタリアは攻めてくる魔物が弱いから、命を危険にさらして戦う必要はないって、そう聞いていたから来たのに!」
セリカは思わずハイスベルトを見た。
どうやらずいぶんとでたらめを言っているようだ。