出会い
セリカはいつも通り、会議室を出てすぐに近隣の村に顔を出した。
早朝に会議をした後、大きな動きがなければ魔物を封じている結界の様子を見に行くのが、セリカの日課だった。
「結界はどう?」
「今のところ、動きはありません」
薄暗い大気の中、セリカはほっと息をついた。
後任の聖女が到着するまであと三日。
すでにこの地区は幾重にも築き上げた防衛用の城壁で厳重に封鎖されているが、用心するに越したことはない。
これが人間相手の戦争ならばまだよかった。相手を完全に駆逐すれば終わりだからだ。
しかし魔物は、この封鎖してある区域の奥から、無制限に湧いて出てくるのだ。
魔物の発生原因ははっきりと分かってはいないが、一定の湧きやすい時間や場所というのは決まっているため、そこを封鎖するのが聖女の主な仕事となる。
「私は聖堂にいますので、何かあれば呼んでください」
いつものように言い残して、セリカはもう一つの仕事場に向かった。
結界が無事であることを確かめたら、魔力を物質化したもの――『魔石』を作るのだ。
魔物を倒すには、何を置いても大量の魔力を必要とする。
あらかじめ魔力を結晶化して蓄えておくのも、セリカの大切な仕事の一つだ。
『魔石作り』と『戦闘』。
その繰り返しが、セリカの日課だった。
聖堂の中央に安置されている大きなクリスタル状の魔石に歩み寄り、膝をついてこうべを垂れる。
「精霊よ、我らを祝したもう」
魔石を形にするための祈祷。
もう何度も口にしたせいですっかりなじんでしまった祈りの言葉を、セリカは繰り返した。
「天を銀に染め、湖沼に輝きを宿す者、虹の恩恵と闇の怒りの創造者、我ら心尽くして呼び求めたり」
【招来】と呼ばれる、精霊の呼び出しの儀式を行うと、ほどなくして月を思わせる黄味がかった銀色の光が現れた。
魔石に光が宿ると、乳白色の輝きを帯び、次第にさまざまな色が入れ代わり立ち代わり浮かび上がる。
区切りのいいところで祈りを中断したとき、外は完全に明るくなっていた。
魔石はある程度の祈りを込めると、次第に活性化し、祈りなしでも発光を始めるようになる。そこに至るまでの祈祷は一時間以内に終わらせたいと思っていても、どうしても時間が過ぎてしまう。
まだまだ未熟だとセリカが考えていたら、後ろから声がかかった。
「これはあなたがやったんですか?」
二十代くらいの青年だったが、セリカの知り合いではなさそうだ。戸惑うセリカに、青年は構わず詰め寄った。
「すみません、今、魔石の結晶化を、たった一人で行っていたように見えたのですが」
「……? ええ……」
それの何がおかしいのだとセリカがいぶかしんでいると、青年はまた少しセリカに向かって身を乗り出した。
驚くセリカには頓着せず、青年は中央祭壇の魔石を食い入るように見つめている。
はからずも、セリカも青年を間近で観察することになった。
おそらくセリカと同年代だろう、若い男の人だった。着古し、やや色あせた軍服には、珍しい形の勲章をいくつか提げている。魔石を見つめる黒い瞳は真剣そのもので、セリカのことなど目にも入らないようだ。正直に言えばセリカは人の顔を見分けるのが苦手で、特に軍服を着ている黒髪黒目の男性はどの人も同じに見えてしまうのだが、おそらく彼は初対面の人間だと、セリカは結論づけた。
「驚いたな、一人でこれをやれるのか! うちの聖女たちに同じことができるかな? いや、無理だよ……」
ぶつぶつつぶやく変人に、セリカは警戒心を高めた。
「あの、どちら様でしょうか。ここは一般人が立ち入っていい区域ではありませんよ」
セリカが魔石の前に立ちはだかると、彼は今更気づいたというように、気まずそうに両手を挙げた。
「申し遅れました。ライネス王国よりアクアフィーナ嬢をお連れする役目を仰せつかった者ですが、この時間は大聖女様がこちらにいらっしゃると聞いて」
青年が慣れた動作でお辞儀をしてみせたので、セリカの警戒心も少し解けた。言われてみれば彼はそれらしい軍服を着ている。
「三日後のご到着とうかがっておりましたが」
「一足先に私がお邪魔して、引継ぎの打ち合わせをさせていただこうかと」
にこりと微笑んだ青年に、セリカは既視感を覚えた。
この人当たりがいい感じといい、笑顔の雰囲気といい、誰かに似ている気がする。
セリカは長らく婚約関係にあった王子のことを思い出した。
笑顔のハイスベルトには何度嫌な思いをさせられたか分からない。いかにも優しそうに振る舞うくせに、腹黒い愚痴や悪口をこれでもかというほど浴びせてきて、セリカには容赦がなかった。
彼にもそのような一面があるのだろうかと、セリカはやや警戒気味に考えた。
長い間ハイスベルトと付き合っていたせいで、どうにも初対面の愛想のいい男性には構えてしまう癖が抜けないのだ。
「しかし、一人での結晶化作業などという技術が存在することに驚きました。いずれは結晶化の作業もアクアフィーナ嬢が引き継ぎますので、今のうちに詳しく手順を教えていただきたいのですが、いったいどのようになさったのです?」
「どのように、と言われましても、ごく普通に」
「普通にぃ……?」
まっすぐにセリカがそう返すと、彼はなんとも微妙そうな顔になった。
「普通にったって、普通はサポート役の聖女が何人もいるものなんだけどな……なぜお伴の一人も連れていないのですか?」
セリカは魔石の結晶化の手順を思い浮かべて、首を振った。
「必要ないと思いますが」
「必要、ない」
「ええ……一人でやれますし」
青年はこめかみに手を当てた。
「待って。じゃあ何? 通常は十人以上、大規模な聖堂であれば百人単位で行う結晶化作業に、サポートは必要ない。一人でやれる、と。君はそう言っているわけ?」
今度はセリカが驚かされた。
魔石の結晶化作業に、百人単位で聖女を動員するとは。ライネスはまさに魔法大国の名に恥じない、強大な軍事国家であるようだ。
「大国ともなると、やはり魔石の生成も大規模なのですね。ご覧のように小さな国ですので、私一人でも大丈夫なんですよ」
「いや、そうではないのだけどね……まあいいでしょう。しかし、その魔石、祈りを中断してもまだ活性化が続いているようなのですが、これはいったい?」
青年の質問の意図が分からず、セリカは少し考えてから、言う。
「一度活性化したら、半日くらいは放っておいても勝手に活性化していますよね?」
青年は魔石とセリカを交互に見比べた。
「……なるほど。こちらの大聖女は、魔石を自動で作ることができる、と。聖女が一人しかいないのも納得だな……」
それの何がおかしいのだろうと、セリカは愛想笑いの下で考えた。何か対応をしくじっただろうか。
そもそもこのイリスタリア王国には、セリカ以外の聖女が長い間不在だった。だからセリカは、何でも一人でこなさなければならなかったのだ。
初めは魔石を作っていると、他のことが何もできなくなるので、不意の魔物の襲撃などにうまく対応できず、たくさんの被害を出してしまっていた。未熟な自分を恥じ、戦闘をこなしながら魔石も用意できるようにと修業を続けて、なんとか両立できるようになった。
「……アクアフィーナ嬢は、とんでもないところに来てしまったってことだね」
青年が意味不明なことを言うので、セリカは混乱するばかりだった。
考えているうちに、ある嫌な推論が思い浮かぶ。
もしかして青年は、セリカの仕事ぶりを見て、失望したのだろうか?
セリカは自分がたった一人の聖女なのをいいことに、かなり自己流で仕事をしてきた。他の聖女がどのように働いているのかを、ほとんど知らないのだ。
アクアフィーナが奇妙な自己流で仕事をしていたらしき現場を引き継がなければならなくなったとしたら、さぞ困ることだろう。
「つまり、この国のやり方には問題がある、と……?」
「いやいや! そうではありません。すばらしいお手並みでした。これだけの魔石をおひとりでご用意されるとは、いやあお見事」
青年が一転して褒めてくれる。
「アクアフィーナが同じようにできるかどうかは分かりませんが、それも含めて一緒に考えていきましょう」
青年は勝手にそう結論づけると、「さて」と口にした。
「イリスタリアの大聖女様におかれましては、お近づきのしるしに、名前で呼ぶ許可をいただきたいのですが」
大聖女様と呼ばれるのも気恥ずかしいので、セリカはうなずいた。
「ただのセリカで結構です」
「では、セリカ。私のことはレゼクと呼んでほしい」
口調まで友達のように変えて微笑む彼にあっけに取られる。
それからようやく、大事なことに気がついた。
彼は今、自分をレゼクと名乗った。その名前に、セリカは心当たりがあった。
「レゼク……レゼキエル・ライネス王子殿下……?」
「当たり」
微笑むレゼクは、いたずらを成功させて満足しているようだった。あえて名乗らずに、セリカの反応を試していたに違いない。
もっと早くに気づくべきだったとセリカが後悔していると、レゼクはさもおかしそうに笑いだした。
「いやあ、すぐにバレるかとも思ったんだけどねえ。パーティで一緒になったこともあるんだけど、セリカは私のことを覚えてた?」
覚えていなかったので、セリカは大いに焦ることになった。急ぎ夜会の記憶をありったけ探ってみる。
ライネス王国も招いてのパーティといえば、五年前、セリカが大聖女に就任したときのお披露目パーティ。
セリカはそのとき、二週間近い激戦の後で、睡眠も食事もろくに取れておらず、前後の記憶が曖昧だった。
二年前、年末の年越しと新年を祝う長い祝祭にも、たくさんの国が来ていた気がする。
セリカはそのとき、どうしても倒せない巨大な魔物の侵攻を防ぐ作戦を三か月も続けていて、おまけに深手を負っており、パーティ会場には立っているのがやっとだった。
王族の結婚式、他国の終戦記念、その他様々な記念でライネスとは親交を持っていたはずなのに、セリカは前日の深夜まで戦闘をしていて、現場のことを引きずっていた。
「も……申し訳ありません、王子殿下とは気が付きませんで」
「レゼクでいい。そんなに恐縮しなくても大丈夫、私も今日来るまで君のことは顔と名前程度しか知らなかったからさ」
そんなはずはない。
おそらく過去に何度も顔を合わせて会話をしたことがあるはずだ。おそらく彼はセリカのことを知っていたに違いない。
「お互い初めましてのつもりでやっていこうじゃないか」
あははは、と快活に笑うレゼクがいい人すぎて、セリカは申し訳なさで穴があったら入りたかった。