番外編 セリカと妹と王子の雑談
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記念SSです。
ライネスの第三王子、レゼク。
彼は現在、イリスタリアからの移民希望者を大勢引き連れて、自国へと引き上げている最中だ。
思ったより希望者が多かったため、旅は鈍足を極め、今日の宿もなんとかかんとか一人一部屋ずつ用意できた、という具合だった。
旅程の手配を任せている従者が、レゼクに向かって頭を下げてきた。
「助かりました! 私の仕事なのに手伝わせてしまってすみません」
「いいって。得意なんだ」
そう、レゼクは宿の手配が得意である。
ライネスの聖女たちがそれぞれ好き勝手なワガママを言うからだ。
民間から借り受けた家に泊まってくれれば軍としても安く上がるのだが、気位の高い聖女たちは絶対に受け付けない。
必ずホテルか、上等な宿屋で、と注文をつけてくる。
部屋が取れた後の苦情も多い。
ワガママを叶えるのはレゼクの役目だ。
ライネスにおける王子とは、絶対権力を持つ聖女様たちの夢を叶える便利屋のことである。
その日の宿も、辺境にしてはまぁまぁ女性が泊まるのに相応しい環境が整っていた。
貸し切りにした一階の酒場で、流れの音楽家がパイプオルガンを弾いている中、イリスタリアから来た一行はリラックスしたムードで食後の歓談を行っていた。
「お姉様!」
席を外していたセリカの妹、リンテが、戻ってくるなり少女らしい高い声を張り上げた。
「見てください! 私、【魅了】の術が使えるようになったんです!」
レゼクがついそちらに気を取られてしまったのは、不可抗力だった。
レゼクは【魅了】というものにろくな思い出がない。
「まぁ、本当?」
セリカは大して危機感がないようで、妹を微笑ましそうに見返している。
「はい! お姉様、これから私のすることを、よーく見ててくださいね!」
リンテはそう言って、セリカのすぐ隣に腰かけた。
「私の精霊さん、私の精霊さん……聞こえていたら答えてください」
リンテは奇妙な、でたらめにも聞こえる呪文もどきを唱えて、手でハートを作った。
「私の精霊さんにお願いします……お姉様が、私のことを今よりもっとだーい好きになるようにしてください……今よりもっともっと、もーっとです」
セリカはここで心底嬉しそうに笑み崩れた。
「リンテったら」
「お姉様は、私のことが大好きになって……だんだんほっぺにちゅーがしたくなります!」
レゼクは目が点になった。
――あざとい。
レゼクはふだん、聖女たちをさばくのに忙しい。
そのため、リンテを初めて見たときから、思っていた。
この娘は絶対にあざとい、と。
特に意味もなく繰り出される上目遣い。
常に絶やさない笑顔。
わざとらしいくらいゆっくりした喋り方。
これが計算づくでなくてなんだというのだ。
あざといことは初見から感じられたが、まさかここまでとは思わなかったので、レゼクは生ぬるい気分になった。
「もう、何を言っているの。恥ずかしいわ、そんなこと」
「お姉様は、私のことが大好きなはずなので、してくださいます!」
ことさら手で作ったハートマークをアピールするように、前に持っていくリンテ。
するとセリカは照れながら、リンテの頬にちゅっとした。
「やったあ! お姉様ありがとうございます!」
リンテもお返しとばかりに、セリカの頬に口づける。
レゼクは自分の見たものが信じられなかった。
――ないでしょ、それは……
彼女たちは姉妹である。
あんな甘々ベタベタな姉妹関係があってたまるか。
レゼクにも姉と妹がいるので、なおさら信じられない。
レゼクの姉と妹も、決して仲が悪いわけではないが、お互いの頬に口づけなんて死んでもやらないだろう。
セリカとリンテ姉妹の異様な仲のよさに慄いていると、リンテはまた手でハートを作った。
「お姉様は、私の術にかかりました! 私のことが大好きになったお姉様は、私のために、これを割って食べさせてくださるはずです!」
リンテがエプロンのポケットからゴロゴロッと取り出したのは、クルミの山だった。
「さっき、わんちゃんを飼ってるおうちの前で遊んでたら、もらったんです。でも私、クルミの殻割りって苦手で……」
「いいものいただいたのね」
セリカはリンテから手渡されたクルミをひとつ摘むと、ぐっと握り込んだ。
バキッ! と、大きな破砕音が鳴る。
「お安い御用よ」
握り込んだ手のひらを開いて、割れたクルミを見せつけるセリカ。
「きゃああ! お姉様すっごおおおい!」
大はしゃぎのリンテ。
レゼクは傍で聞いていた身ながら、激しく動揺した。
――えっ……素手?
素手でクルミを割る女性がいるものなのだろうか。セリカは、外見はそこまで強そうではない。どう見てもレゼクのほうが力はありそうだ。そのセリカが、素手でクルミを?
――あ……あれ? 私、割れるかな?
軍人はクルミ割りが好きだ。
しょっちゅう、『俺はクルミが割れる』だの、『あいつはリンゴを握りつぶした』だのといった会話がバーなどで交わされている。
なので、ライネスでも『素手で割れるか』は定期的に話題になる。レゼクも何度か成功したことはあった。が、それは非常にストイックに身体を鍛えていた時期の話だ。今現在もできるかどうかは分からない。
――私……セリカに負けてる?
ショックを受けかけたが、まだ結論を出すには早すぎる。
たまたまクルミが小さくて脆い種類だったのかもしれない。
レゼクは落ち着かなくなって、セリカたちに近寄っていった。
「やあ、いいもの持ってるね。私にもくれないかな?」
クルミをひとつもらって、さりげなくレゼクも握りつぶせるかどうか確認してみるつもりだった。
「レゼク殿下! どうぞどうぞ!」
リンテにお礼を言って、ひとつをぐっと握り込む。
その動きを見て、リンテは歓声を上げた。
「わあ、レゼク殿下もクルミを握りつぶせる人なんですか? すっごいです!」
無邪気な煽りを食らってしまい、レゼクはギクリとした。
リンテの高い声は周囲に響いたらしく、注目がレゼクに集まっている。
特に、イリスタリアから連れてきた軍人たちが、あの王子はいったいいかほどの人間なのかと、物見高く見物する構えを見せているのがはっきり分かった。
――これ、もう失敗は許されない感じだよね?
衆人環視で失敗などすれば、ライネスの王子は女の聖女に劣る軟弱者と陰口を叩かれることは避けられないだろう。
レゼクは自分がお調子者の自覚があり、なおかつセリカが人格者であることも知っていたので、失敗したときは「最近体がなまってて。前はできたんだけど」とでも言って誤魔化せばいいと思っていた。彼女たちなら誤魔化されてくれるだろう、とも。
しかし今はもうすでにセリカとリンテ以外からも注目されており、誤魔化せる段階をとっくに超えている。
――どうしよう。
絶対に負けられない戦いが始まってしまった。
ドキドキといやに胸が高鳴り、喉が渇く。
長いようで短い沈黙の末、レゼクは虚勢でふっと微笑んだ。
「私には無理だよ」
素直にそれは認めつつ、「でも」と付け加える。
「その【魅了】、セリカが私にかけてくれたらできそうな気がするな。私にもやってよ、『私が大好きになーる』ってやつ」
「ええっ……!?」
セリカは困ったように、かすかに頬を赤らめた。
「こ……困ります。私の柄ではないでしょう」
その表情を見て、レゼクは思う。
――勝った。
セリカならやらない。無理だとはっきり断るだろうと見越しての無茶振りだった。
しかしここにはあざとい娘がひとり。
リンテは大きくこぼれ落ちそうな瞳をきらきらと輝かせ、
「じゃあお姉様、一緒にやりましょう!」
とんでもないことを言い出した。
「手はこう! ですよ!」
などと言って、セリカに両手でハートを作らせる。
「レゼク殿下は~、お姉様のことが大好きになって~、ほっぺにちゅーをしてくださいます!」
レゼクは少し慌てた。
――そ、そっち?
「無理よ、リンテ、恥ずかしいわ」
「えぇー? でも、レゼク殿下はかかりましたよね?」
ね? とあざとく首をかしげてレゼクを上目遣いに見つめるリンテ。
――この娘……
それとなくウィンクまでもらってしまい、レゼクは恐れ入った。
どうやらリンテは純粋な好意100%で、レゼクとセリカの仲を取り持っているつもりらしい。
あざといのもここまで極めると、一つの才能だ。
せっかくの未来の妹からの好意に、レゼクは全力で乗っかることにした。
「あぁ、かかったな。かかってしまったから、もうセリカにキスするしかないようだね」
レゼクがセリカの頬にキスをすると、彼女は真っ赤になってしまった。
予想外に可愛らしい反応を見ながら、レゼクはぐっとクルミを握りしめた。今なら割れる気がしたのだ。
クルミは硬い。全力で握りしめても割れる気はしない。しかし、ここまで来たら割ってみせようじゃないか。
クルミ割りには、コツがある。
久しぶりに掴んだ感触から、レゼクは連鎖的にそのことを思い出した。
クルミが硬い音を立てる。周囲が少しどよめいた気がした。
手のうちでクルミをうまく転がし、割り切ってから、レゼクはどうだという顔つきでセリカに差し出した。
「どうぞ、マイレディ」
割れたクルミに目を丸くするセリカ。
「すっごーい! かっこいー! ね、お姉様! かっこいいですね!」
「そうね、リンテ。素手で割ってしまうのはすごいわ」
セリカの称賛の声を、レゼクは小気味よく聞いた。
「お姉様も先ほど割ってらしたじゃないですか」
「私のこれは、魔術なのよ。親指に魔力を込めて、亀裂を入れてから、握って潰すの。手品みたいなものね」
セリカの種明かしに、レゼクは再びギクリとした。
実は同じ原理で割ったのだ。
「私は女性だからということでこれで大目に見てもらえたけれど、イリスタリア軍の騎士たちは素手で割れて一人前だと言われていたわ。きっとレゼク殿下もそうなんじゃないかしら。すごいわね」
――知らない。何それ怖い。
イリスタリアの騎士は脳筋の集まりだったのか。
様々な思いを胸に秘め、レゼクは持ち前の王子らしいと評判の外見を頼りに、気取った動作でセリカの手のひらにクルミを乗せた。
「まあ、軍人ならこのぐらいはできないとね!」
あははは、と笑ったレゼクが虚勢だと見抜いた者はどのくらいいただろう。
少なくともイリスタリア軍から来た騎士たちは真に受けたらしく、ささやきかわされる会話にもちらほらと「やるな」とか「見直した」といったような言葉が混ざるようになってきた。
――イリスタリア軍に、レゼクがけっこうなお調子者だということが知れ渡るのは、もう少しあとになりそうだった。
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