再プロポーズ
「大丈夫ですよ! お姉様はスタイルだっていいですもの!」
セリカは無意識のうちに、背中を撫でた。
「傷跡が多いから、あまり背中を晒せないのよ……私は気にしないけれど、ご覧になった皆様方が恐縮なさるでしょう?」
「そんなの、お化粧で隠しちゃえばいいんですよ! 私に任せてください! お姉様の手の届かないところまで仕上げてみせます!」
「そうねえ……」
「ダメですか?」
ふざけて軽い泣き真似をしながら首をかしげる妹に、セリカは負けた。
「仰せの通りに、お姫様」
「えー、それ、制服のときに言ってほしいです!」
「また今度ね」
「約束ですよ!」
リンテは荷物を運ぶ人足を手配するのももどかしそうに、ドレスの入った箱を抱える。
「そうと決まったら早く支度にかからなきゃ!」
***
セリカは気合いの入ったヘアメイク姿の自分を鏡に見出して、しばし自分でも驚いた。
つけ毛を足して夜会巻きにし、蝋燭の光でも映えるような厚化粧を施した顔は、もはや別人だった。
「貴族のご令嬢みたいだわ」
リンテはぶ、と吹き出した。よほど面白かったらしく、けらけら笑いながら肩を叩いてくる。
「お姉様、ご自分のことなんだと思っていらっしゃったんですか?」
「……軍服を着た変な女、かしら。ハイスベルト殿下にもさんざんけなされたのよ」
「お姉様は男性よりも軍服が似合ってらっしゃるのでオッケーです!」
綺麗な手袋に包まれた両手を打ち合わせるリンテもまた、可憐なデビュタントへと完璧な羽化を遂げていた。
「あなたもとっても綺麗よ。いつかまた、ちゃんと作らせたドレスでもう一度ライネスの社交界にデビューしましょうね」
「そんなに何度もしなくたって、このドレス、素敵だと思うんだけどなぁ」
くるん、と回るのに合わせ、何段にもなったフリルが複雑なさざなみを立てて揺れる。明かりを弾いて光る無数のガラスビーズがドレスの白地を引き立て、まばゆいほどの輝きを生み出していた。
初々しく愛らしい妹のデビュタント姿に、セリカはなんだか鼻の奥がつんとした。
「いやだわ、涙が出そう」
「ええ!? お姉様ったら……お化粧崩れちゃいますよ!」
セリカは一生懸命涙を堪え、我慢した。なにしろ今日の顔面には一時間と、それに少々の侍女たちへの手間賃がかかっている。ここで崩すわけにはいかないのだ。
貴族の娘としての振る舞いやらなにやらを、セリカは久方ぶりに思い出していた。
***
祝賀会の会場にリンテを連れてセリカが到着すると、入り口で出迎えてくれた国王じきじきにお褒めの言葉を賜った。
「おお……リンテと申すのか。なんと美しい少女か。花と豊穣の女神の生き写しじゃのう」
王に名前を呼ばれ、直々に声をかけてもらうのは、すべての貴族にとってこの上ない名誉だ。
セリカは内心得意満面だったが、あえて涼しい顔をして後方で壁にもたれていた。
――私の妹よ。
見るがいい、そして驚愕するがいい。
セリカの思惑通り、リンテは注目の的だった。
エスコートを買って出る貴族の青年たちがずらりと輪を作り、リンテを取り巻く。
リンテは困り果てて、セリカをちらりと見た。
もう少し可愛い妹を自慢したかったが、助けを求められたのでは行くしかない。
「失礼。そちらのご令嬢は私と先約がありますので」
そう言いながら手刀で並み居る男性貴族を追い払い、リンテの腕を取った時の快感を、セリカは忘れないだろう。
「お姉様!」
リンテがほっとしたようにセリカの腕にすがりつく。
羨ましそうな男性陣の視線に、つい笑みが漏れた。
リンテをあちこちに連れ回し、挨拶回りをしている間にも、様々なお世辞を投げかけられた。
「かっわいい!」
「妹さんですって?」
「うわ、そうなんだ!」
「かわいいわけですよね!」
「美人姉妹だぁ」
セリカがすっかりいい気分になって壁際で休んでいると、見覚えのあるライネスの軍人が近寄ってきた。
「楽しそうだねえ」
事態を面白がるような声の主は、レゼクだった。
「可愛い彼女連れで得意顔の彼氏みたいになってるじゃん」
「仕方がありません。だって今私、ものすごく楽しいですから」
姉のセリカだって、リンテの笑顔を独り占めしていると相当いい気分になれるのだ。
男性から見たらどれほどだろう。
「そしたら美人の彼氏さんは、私とあっちで男同士の会話をしてくれるのかな?」
「それは無理ですね。男性になった覚えはありませんから」
セリカだって一応はドレス姿なのだということを、軽くスカートの端をつまみあげてアピールすると、レゼクは大げさな動作できちんとした姿勢を取り直した。
「それは失礼を。では、この会場で一番の美女である君に。少しだけお時間をいただけないでしょうか」
「ええ、よろしくてよ」
セリカは少し高慢な調子で、微笑みながらうなずいた。
彼とはあとでゆっくり話をしないといけないと思っていたのだ。
レゼクはかしこまった動作を解いて、笑い始めた。
「実家で先に君のドレス姿を見ておいてよかったよ。
いきなりだったらあがっちゃって誘いに来れなかったかも」
「殿下もあがったりすることってあるんですか?」
セリカが見かけるたびに、いつも違う人を捕まえてお喋りをしていたような気がするのだが、緊張したりすることもあるのだろうか。
「そりゃああるよ。私しか知らないと思ってた好きな子の意外な一面がみーんなに知られちゃったようなときは、まぁ、あがるっていうより焦るかな」
セリカはちょっと応答に困ってしまった。
「私はイロモノ枠だと思うんですが」
「これだけ視線を集めておいてよく言うよ」
「リンテが可愛いですからね」
「まぁ、いいけど。そういうことにしとこうか」
レゼクは冗談を言うとき用の笑顔をふと消して、真面目な顔つきになった。
「……今日の昼に、さ。つい君のこと婚約者だなんて言っちゃったけど、あれでよかった?」
「え? ええ……まぁ……あの場で説明するのも大変でしたでしょうし」
「あれ、そういう感じ? 私としては、君が何も言わないのなら、もう決定ってことでいいのかなって思ってたんだけど」
セリカは何と返事したものか考えた。
いいですよ、と軽く返事をしたくなってしまうのは、レゼクの人柄のなせる業か。
「いいかな? 一応、セリカの意思も確認しておきたいからさ」
「殿下、そのことなんですが……」
セリカは考えに考えた台詞を言うなら今しかないと判断した。
「殿下には少し冷静になる時間が必要ではないかと思うんです」
レゼクは目を瞬かせ、言う。
「……私は冷静だけど、えっと、どういうこと?」
「殿下はまだアクアフィーナ様にされたことの傷が癒えていらっしゃらないのではないかと思いました」
【魅了】の術を使われたことが、彼の恋愛観に決定的な悪影響を与えているのではないか、というのがセリカの感想だった。
「今はまだ、可愛らしい女性には嫌悪感があるのでしょう。でも、完全に吹っ切れた後だったら、以前は苦手だと感じていたような、可愛らしいタイプの女性にも興味が湧くかもしれません」
もしもそうなら、結婚を急ぐのはよくない。
「だから、一年待ってみませんか? それでも殿下が意見は変わらないとおっしゃるのなら、そのときは私も喜んでお受けします」
セリカは決して、彼が嫌いで忌避しているわけではないのだ。そこは強調しておきたかった。
「でも、たとえ殿下が他の女性を選んだとしても、私はライネスの聖女として力を尽くすつもりです。私は妹たちと一緒に身を寄せられるというだけでありがたいと思っていますから」
最後まで説明し終えたとき、レゼクはとても難しい顔つきで、眼を閉じた。
『処置なし』と言われているようで、セリカは少し不安になる。
「……私なりに、これが一番殿下のためになると思ったのですが」
ダメ押しで聞いてみると、彼は困ったように眉を下げつつ、目を開けた。
「一個いい? 私、一年後も生きてるって保証がどこにもないんだけど」
「……」
セリカは予想外のことを言われて、目を逸らした。軍人だから、そういうこともあるだろう。
「死ぬときは私も一緒です。その覚悟はあります」
彼は笑っているような困っているような顔を、手で覆いかくした。
「ちょっと、何その殺し文句……ドキッとしちゃったじゃん。そこまで言ってくれるなら今すぐ結婚してくれた方が私のためになるんだけど」
セリカはじっとレゼクを見つめる。本当にそうなのだろうか。
ここがパーティ会場だからか、レゼクがかなり女性から人気がある方だということはセリカにも感じられた。
軍服にもランクがあって、彼が着ているのは一般兵卒用の地味な軍服姿なのに、ご令嬢方からの注目の度合いが違いすぎる。
これだけ熱い視線を集めておいて、相手をするのがイロモノのセリカなのは、やはり何かが申し訳ないような気がする。
「分かった。よく分かったよ」
レゼクはどこか開き直ったように、大きめの声を出した。
「要は君に『一年も待ちきれない』と言わせればいいわけだ」
「! ふふふふふ。そうですね」
「笑ったな? 覚えてなよ」
レゼクは壁際にいるセリカに迫る。
息がかかりそうなほど近くに寄られて、セリカはつい壁に背をつけた。
「すぐに君から結婚したいって言わせてあげるから」
とんでもないことを言うついでに、頬へのキスまで勝手に行って、レゼクは離れていった。
思わず手で頬を押さえて後姿を見送っていたら、視界の端に、成り行きを興味津々の爛々とした目で見つめているリンテを捕捉した。
「……お姉様! やっぱり殿下と婚約されるんですね!?」
「違うわ、これは……」
「えぇ!? じゃあ今のは何だったんですか!? ねえ、お姉様!?」
セリカはこの日初めて、かわいい妹から逃げ出した。




