軍部
セリカが大聖女の任を解かれた――という報せは、あっという間に知れ渡った。
「セリカ様、辞めないでください!」
「お願いです、行かないで!」
セリカが朝早く、軍のブリーフィングに顔を出すと、頭を地面にこすりつけてセリカを拝む仲間たちに出迎えられた。
騎士に、後輩の聖女隊に、魔術師。後方支援部隊の商人、作戦部隊班。
さまざまな出自の人間が集まったこの混成部隊が、イリスタリア王国軍の総司令部だった。
セリカは困って、頬に手をついた。
「……そうは言っても、これは王家直々の勅令なので」
「そこをなんとか!」
ならない……とは、言えなかった。
仲間が必死の形相で頼んできているのだ。どうして冷たく断れようか。
騎士団長が見かねて声をあげる。
「やめんか、お前たち。大聖女様もお困りになるだろう」
騎士団長の助け舟を受けて、セリカはやんわりと言う。
「後任のアクアフィーナ様も、もう三日もすれば到着するはずです」
「いりません!」
「返品します!」
「あのねえ、返品って、あなたたち……市場の商品とはわけが違うのよ……」
返品返品と騒いでいた魔術師長が、また頭を地面にこすりつけた。
「真面目な話、セリカ様がいなくなったらこの国はおしまいです」
隣で見ていた後輩の聖女見習いのホリーが、魔術師長の真似をして頭を地面にくっつけた。
「セリカ様がいてくれたから私もがんばってこれたんですよ? 知らない女の人と一緒にとか無理です。怖いです。絶対いじめられます」
魔術師長が、ごんと勢いよく頭を地面に打ち付けた。
「やはりあの王子です。あいつはダメです。早急になんとかしましょう。セリカ様のご協力があれば必ずや仕留めてみせます」
「ちょっと、冗談ですよね……?」
魔術師長は首を振るだけで、目が真剣だった。
セリカはあとでもうちょっと魔術師長と話をしておこうと思いつつ、再度説得のために口を開く。
「とにかく、皆さんに落ち着いて聞いてほしいのですが、私の後任は三人います」
ハイスベルトはアクアフィーナと一緒に、彼女の同僚もまとめてイリスタリアに引き抜くことに成功したそうだ。
「聖女が三人です。ハイスベルト殿下によれば、能力的に三人とも私より格上だそうですので、皆さんの仕事は格段に楽になることと思います。私も安心してここを立ち去ることができます」
セリカはしょせん、開戦期のごたごたで一時的に祭り上げられただけのまがい物。
退場するにはまたとない機会だ。
セリカはそう考えていたが、後輩のホリーは憤慨したように勢いよく頭を上げた。
「たったの三人ですかぁ!?」
「足りない、足りなすぎる」
「セリカ様はおひとりで百人分くらい働いてるんですよ!? あと九十七人連れてきてもらわないと釣り合いません!」
何を言っているのだと、セリカは本気で頭が痛くなった。
セリカはしょせん、小さな国の中で一番の聖女、というだけに過ぎない。
大国のレベルの高さを思えば、セリカがひとりで百人力などということはありえなかった。
「あなたたちは私の他に聖女を見たことがないでしょう? だから私だけが特別だと思ってるのかもしれませんけど、そんなことはありません。アクアフィーナ様たちも、おひとりおひとりが百人力の頼もしい方々です。安心して構えていてください」
「信じません!」
「ねえ、大聖女じゃなくなっても、セリカ様はここに残ってくださいますよね!?」
「何でもしますから。本当に。残っていただける条件を教えてください」
ホリーなどはすでにもう泣き出しそうだった。
「私……セリカ様に置いていかれたら、どうしたらいいか……」
セリカは困ってしまった。彼らを残して、自分だけさっさと戦争から引き揚げてしまうのは申し訳ないという気持ちがあった。
しかし、セリカには残れない理由があったのだ。
「……実は、私の父が、今回の婚約破棄で非常に怒っていまして」
セリカが婚約を破棄されたとき、ハイスベルトはいらない工作を様々に施してくれた。
セリカが全面的に悪者になるようにと、巧みな情報操作で醜聞を流したのだ。
本人に問い詰めたところ、『隣国からわざわざ来てくれるアクアフィーナに悪い噂が立つのは困るから、君には泥をかぶってもらうよ』とあっさり言われてしまった。
見る人が見ればアクアフィーナはセリカの婚約者を略奪した悪女になってしまう。
アクアフィーナが悪女として人々の憎しみを買えば、彼女の母国との関係も悪化しかねないから、自国貴族のセリカを悪者にして、外聞をよくしようということらしかった。
ハイスベルトには腹が立ったが、まあ確かに、アクアフィーナが心無い醜聞で傷ついて、隣国に帰ってしまったりするようなことがあってはセリカも困る。
セリカは仕方なく、ハイスベルトの卑怯な仕打ちを黙認することにした。そしてセリカは王家とのつながりを失ったばかりか、大聖女の名誉も失い、さらに婚約破棄のときに『王子に愛想を尽かされるほどの冷血女』『大聖女とは名ばかりの無能』という汚名まで着せられてしまったのだ。
リューテナント公爵、つまりセリカの父親は大激怒した。
今すぐ実家に戻ってくるようにと、矢のような催促を送ってきている。おそらく、セリカには重い処分が待っているだろう。
ホリーは駄々をこねるように、涙で喉をつまらせながら首を振った。
「じゃあ私もセリカ様のご実家にいって、ご両親を説得します! セリカ様が無能だなんて名誉棄損もいいところですよ! あの王子本当にサイテーです! 絶対に許せません!」
魔術師長は顎に手を添えた。
「お父上もまとめて始末すればいいのでしょうか?」
「あなたの冗談時々笑えないわ……」
セリカは苦笑いした。冗談なのは分かっているが、なんとなく魔術師長は両親に会わせない方がいいような気がする。話がややこしくなりそうだ。
「皆さん、いろんな意見があると思いますが、王子のことはあまり悪く言わないように注意してください」
そりゃあ、セリカの私情としては好きになれない男で、文句を言ってやりたいこともあるが、それでも彼はそれほど間違ったことはしていない、というのが彼女の見解だった。
「結果だけを見れば、彼は聖女を三人もこの国に連れてきた功労者です。聖女は一人で戦場を変えることができる力を持っていますが、それが三人です。私一人と、聖女三人と、どちらがより重要かは、皆さんにもおのずとお分かりになるはずです」
騎士団長のケイドがセリカをかばうように前に出て、全員を諭す。
「セリカ様にもお考えがあってのことだろう。あまり無理を言ってはいかん」
セリカは誰からも反対の言葉が出なくなるのを待ってから、お別れの言葉を口にした。
「五年間、一緒に戦ってくれてありがとう」
「セリカ様ぁー……!」
泣き出したホリーに胸を貸してやりつつ、セリカは最後の別れを惜しんだのだった。
***
朝の会議が終わり、セリカや一部の当番の戦闘員が持ち場に戻ったあと。
「みなさん、まだ帰らないでください! もう一つ大事な議題が残っています!」
ホリーは黒板に『セリカ様退職問題対策本部』と書きつけた。
「もちろん皆さん全力で引き止めますよね?」
「もちろん」
「異議なし」
苦い顔つきの騎士団長をのぞき、会議室の全員が挙手したのを見渡して、ホリーは『実家押しかけ大作戦』と書きつけた。
「他に案がある人ー?」
「はい。陛下に陳情書を送ります」
「はい。セリカ様の醜聞工作を行っている奴らを取り締まります」
「はい。新しい婚約者に王子の悪口をいっぱい吹き込んで破談に追い込みます」
各種の意見が出そろったところで、ホリーは一番下にもう一行足した。
「やっぱり、一番大事なのは『セリカ様がどれくらい貴重な戦力なのか、自覚していただく』だと思うんですけどぉ……」
ケイドは苦悩の面持ちで首を振った。
「無理だろう。大聖女様は、自分にできることは他人にも簡単にできると思い込んでおられる」
会議室が絶望一色に染まった。
『できるかよ』だの、『真似したらダメなやつだろ』だの、はては『凡人なら死んでる』だのといった嘆きがそこここでつぶやかれる。
ホリーは会議室にも置いてある球形のオブジェに手を添えた。
「やっかいなのは、魔力の計測装置ですよねえ……ねえ、あれ何とかならないんですか? 全然あてになりませんよね? なぜかいつもセリカ様の数字だけ異様に低く出るんですけど」
「いや、あれはあれで間違ってない」
魔術一筋の魔術オタクが反論する。
「ただ、あれで測れるのは瞬間最大値だからな。セリカ様が異常なのは、そこじゃない」
「やっぱそうですよね? セリカ様普通じゃないですよね?」
「おかしい」
「チート」
「化け物」
さんざんセリカを好き勝手評価したあと、イリスタリア軍総司令部は最後にこう結論づけた。
「やはり、セリカ様には是が非でも戻ってきていただかないと」
「どこにも逃がしません。絶対に……」
不穏なことをぶつぶつつぶやくホリーたちに、ケイドはとうとう苦り切った顔で口を挟む。
「いい加減にしないか、お前たち。大聖女様はもう限界を超えておられるはずだ」
ケイドは『三十代にしか見えない』『おじさんだと思っていた』と言われがちな低めのよく通る声で、周囲を叱り飛ばす。
「お前たちに知られないように必死になって隠しておられるが……憐れだとは思わんか? あのように若いご令嬢が腰痛で夜も眠れんと言って泣いているお姿を」
これにはホリーが猛抗議した。
「そりゃあ腰痛持ちの人に無理をさせるのは酷かもしれませんよ!? でも、じゃあ逆に聞きますけど、騎士団員と聖女で腰痛持ちじゃない人っているんですか?」
会議室の面々が微妙な顔つきになる。
「みんな長時間馬に乗ってるから……」
腰痛は、軍人の職業病のようなものなのだった。
「少なくとも私は腰痛持ちではない」
騎士団長がクールに反論したが、しかしホリーはひるまなかった。
「騎士団長は膝に爆弾を抱えているじゃないですか!」
「実戦で支障をきたしたことはない!」
「うそばっかり! いっつも戦闘終わったあとはセリカ様ぁー、痛いでしゅうーって泣きついてるくせに!」
「誰がそんな醜態を晒した!? 私は一度だって泣き言を漏らしたことはない!」
「でも治してもらってるでしょう!?」
むきになって怒る騎士団長だが、ときおり階段を降りるときに片足でひょこひょこしている姿を目撃されている。
魔術師長はことさら呆れたことを強調するように、両手を広げた。
「アホらし。ここは対魔物戦線の最前線ですよ? 誰もが多かれ少なかれ故障を抱えています。百パーセント健康な人間なんてここには一人もいない」
魔術師長の言うことは真理だったので、誰も口を挟めなかった。
「壊れかけの我々が、せめてもマシに動けるようにと、日々精霊の祝福で癒してくださっていたのはどなたか、皆さんお忘れですか?」
「そうですよそうですよ! セリカ様がいなくなったら騎士団長のお膝も木っ端微塵なんじゃないですかー?」
「年なんだから無理しない方がいいですって」
「私はまだ二十五だ!」
ケイドは戦場でもよく響く声であたりを一喝し、話の舵を強引に切る。
「騎士たるもの、これしきの負傷ごときで音を上げることはまかりならん。しかし、大聖女様は、本来であればか弱き令嬢なのだ……」
周囲がざわつき、『か弱い……?』『そうか……?』などの声が漏れ聞こえてくるが、ケイドの耳には入らない。
「世が世ならば、今ごろセリカ様は、コーヒーカップに残った模様で好いた御仁との恋仲を占ったり、明日着る服に悩み、飼っている高貴そうな猫にファッションショーをしてみせたりするような、そんな人生を送っていらしたはずなのだ」
「何その妄想」
「気持ち悪いです」
「ケイドさんほんとロマンチックっすね……」
ケイドは若くして騎士団長にのしあがった際の切り札、年齢にはありえない貫禄のある表情で周囲をじろりとにらみつける。
「大聖女様にはご休息が必要だ。この機に、実家でゆっくりと羽を伸ばしてもらうのがよろしかろう。ホリーも、決してセリカ様のご実家に押しかけて迷惑などをかけることのないように!」
騎士団長の総括で、会議はお流れとなった。
「終わったな、この国」
誰かがぼそりとつぶやいたが、誰も否定はしなかった。
ご無沙汰しております
このお話は12万字で書きあがっております
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