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断末魔


「わたしを怖がらないで」


 アクアフィーナの心を読んだように、トルエノが言う。


「わたしはあなたに感謝している。これは、恩返し」


 アクアフィーナは迷った。


 トルエノがアクアフィーナに害を為したことは一度もない。いつも慕ってくれていたように思う。魔物だと気づかなかったのもそのせいだ。それはとても自然な好意の発露のように見えた。


 それに、そもそもアクアフィーナにはイリスタリア軍に戻るという選択肢はない。脱走兵は死罪だ。


 かといって、トルエノについていくのは正しいことなのだろうか。


「わたしと一緒に来て。まもなく聖地が消える」


 アクアフィーナは目を見開いた。


 この世界では、すべての【聖地】が魔物に支配されたとき、国王は神の加護をすべて失うと言われている。


「滅びが始まる。わたしたちの国になるの」


 神から特別な魔法が付与された【支配の王冠】が効力を失ったとき、その国は魔物の国と呼ばれるようになるのだ。


「人間は愚か。弱いくせに、別の個体を利用して自分だけは生き延びることに必死」


 トルエノが訥々と訴えてくる。


 こんなに喋る彼女は珍しい。


「あいつらはあなたのことも利用した」


 だから――と、トルエノは見惚れるほど美しい微笑を浮かべてみせた。


「一緒に、滅ぼしましょう」


 トルエノの誘いは、まるで恋人同士の語らいのように甘く、秘めやかだった。アクアフィーナは同性なのに、幻惑されたように頭が痺れた。


 美しいトルエノの、花のかんばせ。人間だと信じていたころは、まるでお人形のようだと思っていた、透き通るような白い肌、完璧な形の瞳、唇。


 事実として作り物だっただなんて、あのときのアクアフィーナに予想できただろうか。


 アクアフィーナは魅入られたように、フラフラとトルエノの差し出す手を取った。


***


 駐屯地に向けて行軍している最中、突然、空が真っ赤に染まった。


 ――ァアァァァアァァ……イィィィィィィイイィィッ!


 すさまじい音が鳴り響き、あたりに強い風が吹き付ける。


「【聖地】の断末魔だわ……!」


 リャマのつぶやきに、セリカは彼女を振り返った。


「何が起こっているの!?」

「どこかの【聖地】が消えたのよ」

「【聖地】……?」

「すべての【聖地】が支配されたとき、王国は滅ぶ」


 レゼクが馬を進めて並走しながら、奇妙なことを口走った。


「【聖地】とは、いったい何のことなのです?」

「知らないんですの!?」


 リャマが驚いているが、セリカは本当に知らなかった。


 レゼクがさもありなんといったようにうなずく。


「そうだろうと思ってたよ。イリスタリアは【聖地】に霊廟を作らず、都市を作っているようだからね。【聖地】を精霊で守護せず、逆にあふれる魔力を都市防衛に利用していたというわけだ」


 悲鳴は長い余韻を残して消えた。

 レゼクは何でもないことのように、明るく後を続ける。


「だからまあ、各個撃破されたらそれまでだよ」


 セリカが何と言ったものか考え込んでいると、また大気に奇妙な轟音が鳴り響いた。


「……なんとなくだけど、分かりますわ。今、【聖地】が二つ、消滅しましたわね」

「うわちゃあ。もうダメだろうね」


 レゼクは笑いながら、周囲に向かって声を張り上げる。


「さて、私の国に亡命したい人たちは誰? 今なら特別に無制限で受け入れちゃうよ」


 ハイスベルトが血相を変えてレゼクに噛みつく。


「おい、待て! 人民が危険にさらされているのに見捨てて自分たちだけ逃げようってのか?」

「へえ、面白いことを言うね。真っ先に【聖地】を捨てて逃げたのは誰だい?」


 レゼクは口調こそへらへらしていたものの、目は笑っていなかった。


「君は、君だけはあの駐屯地から逃げちゃいけなかったんだ。知っていたんだろう? あそこがイリスタリアでも最大規模の【聖地】だった、ってさ」

「……」

「まあ、知らなかったとしたら、それはそれで王族失格だけどねえ。国防上の最重要拠点を命惜しさにさっさと捨てたわけだから。しかも自分の婚約者を犠牲にして! いやぁ、すごいよね、君。私も君くらい図太く生きられるようになりたいよ」


 嫌味の雨あられを何でもないことのように明るく言いきり、レゼクはまったくのマイペースでセリカの方も振り返った。


「さあ、セリカ。私たちも避難しよう」

「でも、アクアフィーナ様がまだ中に」

「おい待て、貴様」


 ハイスベルトがレゼクに馬を寄せ、すさまじい顔でにらみつける。


「私は何も考えなしに駐屯地を放棄したわけじゃない。セリカさえいれば、すぐに奪還できる。どこか一カ所でも【聖地】が無事なら王国はひとまず無事だ。あの場では、あれがもっとも合理的な判断だった!」

「はいはい。何とでも言いなよ」


 レゼクの挑発に、ハイスベルトはいきり立った。しかし仮にも大国の王子相手にいつものような威張り散らしはしかねたらしく、怒りにたぎった視線はセリカに振り分けられた。


「まさかお前、イリスタリアを見殺しになんてしないよね? 仮にも大聖女だったお前がそんなことをすれば、どういう噂を立てられるか、分かってるだろうなぁ?」

「噂って。どうせ君が流すんでしょ。でたらめなやつをさ」


 レゼクは心底見下げきったように鼻で笑い、セリカに笑顔を向けた。


「セリカ。こんなやつの言うことなんて聞く必要ないよ。妹さんの身柄は保護したし、ご両親にはすでに私の宮殿に向かって出発してもらった。出国のしどきだよ。君の価値を知らない愚かな王国など見捨ててしまえ。ねえ――君たちもそう思うだろ?」


 レゼクは巧みに、周囲で聞いている騎士団員たちにも話を振っていく。


「君たちはセリカと一緒に国を守ってきた。なのに君たちの君主ときたらどうだ? 大恩人を用済みとして切って捨てたかと思えば、旗色が悪くなったらとたんに手のひら返して死地に行けと言う。まだこんな国に忠誠を誓いたいかい?」


 レゼクはにこやかに手を広げてみせた。


「みんなまとめて、うちに来たらいいよ」


 セリカはすぐには返事ができなかった。


 だって、レゼクの言うことは正しい。


 セリカはほんのかすかに、初めて魔物と戦ったときのことを思い出した。


 襲われる人たちを救いたいと思ったときの、燃え上がるような気持ち。私がやります、と名乗りをあげたときには、あんなにも熱く燃え上がっていたのに――


 ――魔物と対面したときにはもう、火は消えていた。勇敢な言葉とは裏腹に、今にも恐怖に凍りつきそうだった、あのときの気持ち。魔物に接近されて嗅ぐ、生々しい死の匂い。打たれて無様に地面に転がされるときの苦痛。


 戦いたくない。逃げ出せるものなら逃げ出したいと思う瞬間は、これまでにも無数にあった。


 レゼクの発言に、押し込めていた弱気の虫を少し呼び戻され、セリカは深呼吸した。


 戦いは、やはり恐ろしい。


 それでも、セリカは逃げたくなかった。


「……殿下。申し訳ありませんが、私は、最後までこの国のために戦いたいと思います」

「当たり前だろうが!」

「そう。君がそういうのなら、私も婚約者として協力するよ。でも、一つだけ約束してもらえるかな?」


 レゼクはうるさそうにハイスベルトを見た。


「その男はあとで吊るさせて」


 ハイスベルトは猛然と食ってかかる。


「それはこっちのセリフだ! おい、セリカ!」


 セリカは少しだけ笑った。


「承知いたしました」

「約束だよ?」

「馬鹿か貴様は! セリカは私に向かって言ったんだよ!」


 ぎゃんぎゃん言い合いをする二人からそっと離れ、セリカはイリスタリア要塞を睨み据えた。


 もうまもなく、現場に到着する。



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