赤い聖女
アクアフィーナが攻撃用にプールしていた精霊術をキャンセルし、改めて防御用の結界に切り替える。
これなら一人でもしばらくは持ちこたえられるが、消耗は決して避けられない。
「首根っこつかんででも引きずり出しますわ!」
足早に進むリャマ。
精霊を使い、高速移動用の【浮遊蹄鉄】の術式を自身の足裏に展開する。
通常なら一時間かかる距離を、ほんの数十秒で駆け抜けた。
トルエノ用にあてがわれた民家に降り立ち、リャマは思わずぎくりとする。
地面に、血痕が落ちているではないか。
転々と森の奥に続くそれを見て、リャマは蒼白になった。
――まさか、魔物がここにも……!?
「トルエノ!? どちらにいらして!?」
リャマは精霊術は得意だが、魔術自体はそれほどでもない。接近戦や、前線に立たされるのを極度に嫌っているのもそのせいだ。
――今、魔物に襲われたらひとたまりもありませんわ!
「し――【招来】!」
恐怖にかられながら、リャマは精霊を呼びよせた。
彼女の精霊は三角錐の赤い見た目をしている。彼自身もルビーの精霊だと主張しており、無機物の塊にしか見えないが、なぜかこれが自律で動く。
精霊が物質化していれば、ある程度の攻撃は自動で防いでくれる。
その代わり、大きな精霊術は使えないが。
これで安全――とやや気を抜きかけたリャマのふいを突くように、突如として黒い鞭のようなものが飛んできた。
足をからめとられる寸前で、リャマの精霊がそれを切り裂く。
切り裂かれた黒い鞭は、二股に別れた。
それぞれ別の方向から、リャマの手足を狙ってくる。
立て続けに何度かリャマの精霊が攻撃を弾いたあと、かすかに残る魔力を見て、リャマはハッとした。
――これ、魔物じゃないわ!
魔力はそれぞれに固有のパターンのようなものがある。
リャマに攻撃をしかけてきているパターンには見覚えがあった。
――この黒い波動は、トルエノの……っ!
「トルエノ!? いるんでしょう!? わたくしよ! 同士討ちはやめましょう!? 出てきてちょうだい!」
リャマは呼びかけながら、精霊を消した。
武装していなければ、トルエノも納得すると考えたのだ。
しかし、トルエノは――
黒い鞭は、リャマの腹部を貫いた。
「え……?」
目を見張る。致命傷を負わされたのが信じられない。
「【治療】……を……」
精霊に命じて、リャマは動けなくなった。
***
駐屯地の防衛を一人で負わなければならなくなり、アクアフィーナは悲鳴を上げていた。
「おっそい! どこに行ったの!? リャマも!」
騎士団長は顔色を曇らせるばかりで、アクアフィーナの望む答えを返そうとはしない。
「団長! 経過を報告して!」
しびれをきらして催促すると、騎士団長はようやく重い口を開いた。
「現在、手分けして探しているのですが、依然、消息不明。部屋から森にかけて血痕が見つかっています」
言いにくそうな団長に、アクアフィーナは絶望的な気分で叫ぶ。
「襲われたってこと!? そんな大事なことをよくも隠していたわね!」
「必ず見つけます。どうか集中を」
見え透いた気休めだ。
アクアフィーナは腸が煮えくり返るような思いだった。
「分かってるわよ! とにかくあの二人を探し出して! 総出で森を探索するの! 私一人では結界を維持しきれないわ! もう一昼夜立ちっぱなしなのよ!? なんとか私が寝てしまう前に……っ」
どこか遠くで大きく石壁が崩されたような物音がして、アクアフィーナは真っ青になりながらそちら側の結界を張り直した。
司令部を目まぐるしく報告と命令が飛び交う。
「東側城壁一部破壊されました。増援を」
「分かったわ、侵入してきた魔物の掃討班と壁の修復部隊を選抜して。人選は騎士団長に任せる」
「人員が足りません、よその部署から借りても?」
「ええ、最優先で。終わるまでしばらく結界を増やすわ」
「リャマ様を追跡していた班からの応答がありません」
「……まずいわね、そっちも増員を。トルエノとリャマさえいれば事態は好転するのよ」
――はやく帰ってきて!
祈るような気持ちで刻々と削られていく結界に心血を注ぐ。
二人の帰還、ただそれだけを願うアクアフィーナだったが、今のところ兆しはない。
騎士団長が小さく叫び声を発して、足早に近づいてくる。
「現在、国内四カ所で同時に魔物が暴れているそうで、救難要請が出ています」
食らった報告のアホさ加減にアクアフィーナは目まいがした。
「知らないわ、なんで私に聞くの!? それって結界の維持でいっぱいいっぱいの私が判断すること!?」
アクアフィーナは司令部にそろっているメンツをぐるりと見渡し、欠けている人物に気が付いた。
「ハイスベルト様は!? 王子はどこ!? ここの責任者は彼でしょう!?」
「それが……その」
騎士団長は気まずそうに視線を落としながら、言う。
「就寝なさいました」
「は……!?」
アクアフィーナはとうとう自分の我慢が限界に達し、音を立てて崩壊するのを感じた。
「ふざけてるんですか!? 人に戦わせておいて自分だけ!?」
思わず思い浮かべたのは、失恋した相手だった。
「レゼク王子だったら絶対にそんなことしなかったのに!」
「ハイスベルト殿下は軍属ではありません」
「だったら仕事放り出して寝てもいいっていうの!? だいたいあなたたちねえ、何でもかんでも聖女にやらせすぎなのよ! 騎士団長と魔術師長が雁首揃えて一体何をやっているの!? 少しくらい献策しようとか考えないわけ!?」
アクアフィーナが批判の矛先を彼らに向けると、騎士団長のケイドは直立不動の姿勢で「おっしゃる通りです」とひたすらに詫びた。
「無用な混乱を招き申し訳ありませんでした。わが軍ではずっと大聖女様の決定に重きを置いていたため、つい古い慣習に従いお尋ねした次第でした」
丁重なお詫びに、アクアフィーナの怒りも少し緩んだ。
「……いいわ。怒鳴ったりしてごめんなさい。それで、この場はどう切り抜けるの?」
「ひとまず、ここは我々に任せて現状維持を献策いたします。幸い魔物の出現数は多くありません。今のうちにアクアフィーナ様もお休みください」
「何ですって……!?」
アクアフィーナとしては論外だったので、再び怒鳴りつける。
「私が休んだら誰が結界を維持するの!?」
「ご心配には及びません。我々が交代で見張ります。このペースなら、おそらく朝までは無事です」
「だから、私が寝たら結界だって消える――」
アクアフィーナは言葉の途中でぎょっとした。
「――まさか、イリスタリアの大聖女は寝ている最中にも結界を維持できていたとでも!?」
騎士団長のケイドは、遅れてようやく話が分かったとでもいうように、一緒に息を呑んだ。
「……アクアフィーナ様には、お出来にならないので……?」
比べられた屈辱で真っ赤になりながら、アクアフィーナは悔しまぎれにつぶやく。
「化け物……!」
イリスタリアの大聖女は天才だという噂はアクアフィーナも聞いたことがあったが、まさかここまでとは。
アクアフィーナの焦りに反して、イリスタリアの連中が落ち着き払っていた理由がようやく分かった。
彼らは本当に、このくらいの事態は寝ていても問題ないと考えていたのだろう。
それを実現可能だったのが、イリスタリアの大聖女、セリカの実力だったのだ。
「仕方がないわ、朝までは意地でも耐えきってみせる! それまでになんとしてもトルエノかリャマを連れ戻して!」




