プロローグ(3/3)
「分かる? 君も本当はあんな風に着飾るべきなんだよ。いつまでそのひどい格好で来賓の前に立つつもり?」
「お言葉ですが、軍属の者が制服でパーティに参加することは、女性にも認められています」
「分かってないなあ、それじゃダメなんだよ。宮廷っていうのはほんのささいなことでいじめや嫌がらせが起きる場所なんだ。君のような女は、私の婚約者じゃなかったらとっくに変な噂を流されて潰されてるんだからね? 誰のおかげで――」
セリカはくどくどと続くハイスベルトの小言を聞き流しながら、早く家に帰って寝たいな、と思っていた。
婚約してしばらくは、彼から容姿をけなされていちいち傷ついていたが、今では寝不足のくまを作った顔をどうけなされようとも、何とも思わないまでになった。
「ああ、もしもアクアフィーナ嬢がうちの国に来てくれたら、全部解決するんだけどなぁ」
ハイスベルトが聞こえよがしのため息をつく。
「君みたいに、たいして能力もないのに担ぎ上げられた偽物の大聖女じゃなくて、『本物』の大聖女が私の婚約者だったらよかったのに」
噂によれば、彼女の国はイリスタリアよりも何ランクも上の魔法先進国なのだそうだ。その大聖女ともなれば、おそらくセリカたちが普段相手にしているのとは比べ物にならないくらい強い魔物とも戦っているのだろう。
セリカは他人事のようにそう考えた。
ハイスベルトはいよいよ不機嫌をあらわにした。
「ああ、彼女、本当に可愛いなぁ! あんな子が婚約者だったらよかったのに」
なるほど、とセリカは思う。
アクアフィーナは彼の好みに近いかもしれない。
セリカは決して自分の容姿が醜いなどとくよくよ悩むような性格ではないが、客観的に言って、可愛らしいタイプではない。お義理に褒めてもらえるときは、『大人の女性』とか、『お姉さんっぽい』と言われるような外見だ。
その点が、童女のように甘ったるい可愛らしい顔つきのアクアフィーナが好みのハイスベルトには、不満に感じるのだろう。
「そうだ、セリカ、君がアクアフィーナ嬢に聞いてきてよ。イリスタリアの第二王子に興味はないか? 妃になったら何不自由なく暮らせるんだけど、ってさ」
セリカはハイスベルトになんの情も抱いていなかったので、アクアフィーナとの婚姻についても打算的に仮想してみることができた。
アクアフィーナが彼と結婚し、この国に来てくれたなら、自国軍で戦っている仲間たちもきっと喜んでくれるだろう。
今までセリカが大聖女の地位に固執してきたのは、他に戦闘を任せられる人がいなかったからだ。
セリカの代わりができる人がいるのなら、喜んで席を譲るつもりでいる。
この五年間、何度も公式に、非公式に、あちこちで『仲間が欲しい』とこぼしてはいたが、要望が叶えられたことはなかった。
セリカ一人で何とかなるのなら、これ以上強い魔力の持ち主を呼び寄せて、魔物をいたずらに刺激する必要はない――と。それが、国王の判断だった。
セリカは五年間、ずっと国王の期待に応え続けてきた。どれほどの激戦でも、同時に何カ所も攻められる事態になっても、たった一人ですべてを請け負ってきた。
しかし、ここで王子を焚きつければ、この国の方針も変わるかもしれない。
「この国にとっても、アクアフィーナ様の招聘は大きなプラスでしょうね」
セリカの感想はハイスベルトにとって予想外だったらしい。
目を丸くして、長い時間押し黙ったあと、ハイスベルトはどこか嫌な感じのする笑顔になった。
「へえ? 怒らないんだね」
「? ……なぜ私が怒る必要が?」
「分からないの? 婚約者である私が、君を差し置いて、他の女がよかったと言っているんだよ? 少しは何か感じたりしないの?」
「何も」
それがセリカの素直な感想だった。
「殿下が私との婚姻を嫌がっていることは重々承知しておりますので」
「分かっているなら、ちょっとは努力しようと思わないの? 私がいないと困るんだろ? お前は私のおかげで出世したんだものなぁ。なら私にかしずいてみろよ、奴隷みたいにさあ!」
笑うハイスベルトを、セリカは冷たい瞳で見返した。
セリカは立場上ハイスベルトの言いなりとはいえ、奴隷にまで成り下がった覚えはない。
自然と皮肉が口をつく。
「なるほど。暴君が妻に望むのは、奴隷のような女でありましょう」
ハイスベルトはいよいよ激怒をあらわにした。
「なんでこんな女が私の婚約者なんだ? お前みたいな女とこの先もずっと一緒かと思うとたまらない。息がつまりそうだ」
まっすぐ睨み据えるセリカに、ハイスベルトはひどい笑顔になった。
「君とは今日限りだ。私にだって相手を選ぶ権利があるはずだからね」
ハイスベルトはそう言い残して、アクアフィーナの方へとさっさと歩いていった。
セリカは気難しい男がいなくなったことでほっとして、ようやく一息つきながら、ぼんやりとアクアフィーナに話しかけるハイスベルトを眺めていた。
ハイスベルトはモテる。
見目がよく、優しくてお喋りが上手だというので、彼に恋する貴族令嬢はあとを絶たない。もっとも、セリカにはまったく優しくしてくれたことがないので、いまいちピンと来ないのだが。
セリカが静かに観察する先で、ハイスベルトは、腹黒さなどみじんも感じさせない誠実そうな笑顔をアクアフィーナに向けている。
対するアクアフィーナは、まんざらでもなさそうだ。
ハイスベルトを好ましく思っているのだということは、はにかんだ笑顔から十分に読み取れた。
ハイスベルトは社交性だけはそこそこある男だ。アクアフィーナが彼の見せかけのやさしさに騙されたとしても、何の不思議もない。
本性は女をいたぶるのが好きな性質なのだと、アクアフィーナには注意をすべきだろうか。
セリカは持ち前の責任感からそう思い、アクアフィーナたちに近寄っていった。
「聖女アクアフィーナ様。ご無沙汰しております。少し二人でお話でもいかがでしょうか」
セリカがなるべく丁寧に話しかけたところで、ハイスベルトがさっと二人の間に割って入った。
「なんの用? アクアフィーナが怯えるから、そんなににらみつけないでくれるかな」
睨んだつもりのないセリカは単純に驚いた。
「セリカは人付き合いが下手でね、ときどきこうやって人を不快にさせに来るんだ。失礼して悪かったね、さあ、こっちに」
ハイスベルトはあることないことをまくしたてながら、アクアフィーナの手を引く。
彼女は驚き、困惑したようにセリカを振り返りながらも、ハイスベルトに引っ張られるようにして進む。強引なエスコートだった。アクアフィーナが痛そうにしているので、セリカは我慢ができなかった。
ハイスベルトとアクアフィーナとの間に割って入る。
「女性の手をそう強く引くものではありません」
ハイスベルトの手を払いのけ、セリカがアクアフィーナの腰を抱くと、アクアフィーナはさっと頬を赤くした。
「ご無礼を。殿方はどうにも乱暴でなりません。女性同士で少し話をいたしませんか」
「え……あ……あの、はい……」
真っ赤になってあわあわとうろたえだすアクアフィーナを可愛らしいと思いつつ、怯えさせているのだろうかと疑問を持った。
セリカは聖女である以前に一介の軍人でもある。
男社会で長く暮らしてきたので、必要とあらば周囲の男性と同じ敬礼をし、同じ乗馬法で騎馬を走らせるなど、男性的な仕草も身につけてきた。
セリカは騎士がレディにするように、片膝をついて剣をアクアフィーナに差し出してみせた。
「ご安心ください、アクアフィーナ様を傷つけるようなことは一切しないことを、この騎士の剣にかけて誓いましょう」
アクアフィーナはさっと顔を赤らめた。照れてしまって、どうしたらいいのか分からない、という顔だった。
――可愛らしい方。
なるほど、ハイスベルトがべた褒めする理由もよく分かる。瞳をうるませているアクアフィーナは、まさに物語から抜け出てきた可憐なお姫様といったような様子だった。
「お前は聖女じゃないか! 何が騎士だ!」
ハイスベルトの声は女性の金切り声に近く、周囲からくすくすと笑いが漏れるほどだった。
「私の婚約者だからってアクアフィーナ嬢に嫉妬するのはやめろ! アクアフィーナ嬢に手を出したらただじゃおかないからな! さあ、アクアフィーナ嬢、こっちに!」
アクアフィーナは困ったようにふたりの顔を見比べる。今にも泣き出しそうだ。
周囲からの注目も集まっており、セリカは自分の行動がアクアフィーナやハイスベルトに恥をかかせているかもしれないことにようやく気づいた。
まずは注目から目をそらさせなければならない。
「――失礼しました。私はこれにて」
セリカは部屋の隅に移動し、お酒のグラスを注文した。
遠くで、ハイスベルトとアクアフィーナが談笑しているのをちらちらと眺めながら、ゆっくりと酒をあおる。
「……ねえ、あのふたり、ほっといていいの?」
顔見知りのご夫人がそう声をかけてきたので、セリカはあわててお辞儀をした。
「エリザベート様。ご無沙汰しております」
「久しいわね。ねえセリカ、あの二人、一緒にしておくとちょっと困ったことになるかもしれなくてよ」
「どういったことでしょうか」
「アクアフィーナ様って少し前に噂になっていた大聖女よ。なんでも、好きな殿方に、ご自分から告白したり、待ち伏せしたりと、ちょっと変わったことをなさるものだから、大聖女から降格された方」
「自分から思いを告げることの何がいけないのでしょうか」
純粋に疑問に思ったセリカがそう問うと、エリザベートは苦笑した。
「やり方がまずかったのよ。その気がない方にしつこくつきまとったって話」
色恋とは難しいものだとセリカがさほどの興味もなく考えていると、エリザベートはさらに声をひそめた。
「噂ではかなり大胆なお嬢様らしいから、ハイスベルト殿下と近づけすぎない方がいいかもしれなくてよ。婚約者から略奪、なんてことも平気でなさるかもしれないわ」
「なんと。あのように可愛らしい方が……」
「恋に命がけなのよ。そういう自分が可愛いと思っているの」
エリザベートの悪口はともかく、とセリカは考えた。
「ハイスベルト殿下が別の方と婚約してくださるのなら、私にはその方がかえっていいかもしれません」
エリザベートはぷっと吹き出した。
「なら、放っておきなさいな」
「そのようにいたします。ご忠告ありがとうございます」
セリカとしては、アクアフィーナがハイスベルトの見かけに騙されてしまっては不憫だという思いで先ほどは声もかけたが、自分の意見をはっきり主張できるご令嬢なのだとしたら、特に問題はないだろうと考えた。
セリカが心配していたのは、『みっともないから自分の意見を主張するな』と教育されてきた淑女が、ハイスベルトの横暴に対抗することもできずに傷つけられることだった。
アクアフィーナがそういう女性でないならば、本性が見えたところで、自分でどうするかを考えるだろう。
ハイスベルトだって、好みでない女と結婚させられるのでなければ、もう少し優しくなれるかもしれない。人には相性があるから、セリカには素直になれなくても、アクアフィーナにだったら紳士的に振る舞える、ということもあるはず。もしも彼の気性がうまく収まるのなら、彼にとってもその方がいいはずだ。
セリカは終わりを予感しながら、ひっそりと酒のグラスを空けた。
***
――ハイスベルト王子がセリカとの婚約を破棄し、隣国の聖女アクアフィーナと改めて婚約したのは、この三か月後のことだった。
セリカは大聖女の任を解かれ、実家に戻されることになった。