夜更けに(2/3)
「……しかしどうしたものだろうね。ペッリさんは、『とにかくセリカが悪い』の一点張りだ。私がどんな風に説得しても、その結論になってしまうようなんだよ」
レゼクの問いに、セリカはズキリと胸に痛みを覚えた。
「私はセリカが好きだとあれほど言っているのに、なぜ受け入れられないのだろう」
レゼクが想定している返事は、『少しおかしくなっている』なのだろう。
「やっぱり、お父様はお変わりになったと思います」
そしてリンテもそう感じている。
二人の意見を目の当たりにしつつも、セリカはまだ複雑な心境から抜け出せないでいた。
「その……お二人の意見とは少しズレてしまうというか……上手く説明できないのですが、私には父上のお考えも分かるような気がして」
「そうなの? 無茶苦茶にしか見えなかったんだけどな」
セリカは、とにかく説明してみようと思った。
「……というのも、私も父に似ていると思うからなのですが……」
「君が?」
「はい。魔物が初めてこの国に現れたときの話をしましたよね?」
リンテが、それなら分かる! と言わんばかりに、目を輝かせた。
「はい! お姉様が、イリスタリア史上初の聖女になったときのことですよね?」
「そうよ、リンテ」
可愛らしい彼女に微笑みを返しつつ、セリカはまたすぐに自分の表情が抜け落ちていくのを感じていた。
この話は、どうしても後ろめたい。
「私はあのとき、とにかくハイスベルト殿下が許せなかったんです。殿下はいち早く貴族の子女を連れて避難しようとしていましたが、それが私には卑怯に感じられてなりませんでした」
セリカが感じた、燃えるような憤り。
昨日のことのように思い出せる。
「目の前で人が襲われているのだから、誰かが魔物退治をやらなければならないはずなのに、王子の彼が真っ先に逃げ出すのか、と。王子は、誰よりも重い責任を負っているのではなかったのか……責任を放棄する罪は何よりも重い、と……そう思ったんです。彼がやらないのなら、私がやらなければならないとも思いました」
あのときのセリカは、人よりも少し精霊術が使えるだけの、ごく普通の少女に過ぎなかった。
恐怖に縮こまっていた平凡な娘を突き動かすほどの、強い使命感。
「その正体不明の使命感は……おそらく父が私に向けている処罰感情と同根のものです」
『なにかのため』という動機づけは、容易に人を狂わせる。そのことは、セリカも身に染みて分かっていた。
「私は私の使命感に従って戦っていましたが、父もまた『王家に殉じる』という確固たる使命のもとに、私を断罪せねばならないと感じているのでしょう。盲目的な使命感に突き動かされる私たちは……確かに、外から見たら、おかしくなっているようにしか見えないのかもしれません」
「ちょっと待ってね」
レゼクは『どうしたもんか』というように、腕組みした手の指を何度か動かした。
「なんだろ、君の言いたいことも分からないでもないよ。確かにセリカはかなり責任感が強そうだし、君のお父さんも君に似て頑固そうだ。でもね」
レゼクはきっぱりと、渋い顔を作って首を振った。
「君の実力と戦いぶりを見ても、まだ君が国防上の最重要人物だってことに気づけないのなら、もうダメだと思うよ、君のお父さん」
セリカはつい眉をしかめた。
「そんな言い方……!」
「ごめん、ちょっと穿った意見だったかな。でも私はそう思うんだよ。君さえ確保できるなら、最悪の場合王子は替えが効く、ってね。それに、公爵と話してて気になるのは、そんな組織論的な問題じゃないんだ。それよりもっと単純なこと」
レゼクはなぜか、椅子から立ち上がった。
「ペッリさんとのやり取りは、何でも『セリカが悪い』になってしまうんだよ。まるで壊れたおもちゃみたいだ」
レゼクが話しながら、書棚に向かっていく。
最下段にある大きな背表紙の本を抜き取ってから、また戻ってきて、カードゲームの置かれたテーブルに開いて置いてみせた。
「こういう受け答えには少し見覚えがある。【魅了】の術だ」
レゼクが開いたページには、大きくタイトルが記されていた。
『【魅了】入門――人の心を操る精霊術の基礎理論』
リンテは驚いた顔で、レゼクを見つめている。
「ペッリさん、もしかして精霊術にやられてない? 【魅了】か、【呪い】か……種類は分からないけど。ねえ、リンテさん」
レゼクの問いかけは、リンテを疑うようなものだった。
しかしリンテは、少し青ざめつつも、意外としっかりとした様子で、うなずいた。
「あ……あの、実は、私も、ずっとそう思ってたんです。今のお父さまは、絶対におかしい、って……お母様もいなくなってしまった今、私がなんとかしなきゃ、って思って……それで、こっそり調べていたんです」
「禁呪なのに?」
「わ、悪いことなのは知ってました……でも、お父様を元に戻す方法があるのなら、って」
レゼクは信じていなさそうな、冷酷な瞳でリンテを見つめている。
セリカはリンテの青ざめて緊張した顔を見ながら、この家に来てからのことを順番に思い出していた。
「そう、それでリンテは、お父様がおかしくなった、ってしきりに言っていたのね」
セリカが口を挟むと、リンテがほっとしたような笑顔を見せた。
「そうなんです、お姉様。お姉様は精霊術にもお詳しいし、何か分かるかもしれない、って……」
「探りを入れていた? 万が一見破られたときに、すばやく証拠を隠滅できるように」
「ち、違います! 私は本当にお父様が心配で……!」
「レゼク殿下。リンテがそのようなことをするはずがありません」
レゼクの尋問が露骨になってきたので、さすがに看過できず、セリカは低くたしなめた。
「リンテ、殿下は以前女性から【魅了】の術を使われたことがあって、少し女性不信になっていらっしゃるそうなの。どうか気にしないであげてちょうだい」
「ああ、そうなんですね……もちろんです、お姉様」
「殿下はあなたがどんなにいい子か、まだご存じないのよ」
「そんな……私なんて」
祈るように腕の前で手を組むリンテと、ほほ笑みを交わすセリカ。
レゼクはそんな二人を見て、少しばつが悪そうに頭の後ろに手を置いた。セリカは怒っていたので、あえてフォローはしなかった。
「父上が魅了されているというのなら、まずは解いてさしあげましょう。犯人探しはその後です」
そしてセリカは、大きなあくびをした。
今日は朝から馬を乗り継いできて、魔石の処分をしたのだ。体力はそろそろ限界に近い。
「……その前に、本当に魅了されているのかどうかを確かめるところからですが、あいにく【魅了】については私はまったくの素人です。今すぐ対策を打つことはできません……また明日、改めて考えます」
レゼクは席を立った。
「分かった。今日は私も失礼するよ」
頭痛のする頭を巡らせて、レゼクの使える部屋はあるだろうかと考える。
「今日は私の部屋でお休みください。私は父上が訪ねてきたときのことも考えて、リンテの部屋で休ませてもらいますから」
「え……それはちょっと。女性の部屋でしょう。恥ずかしいから嫌だな」
「別の部屋を用意する気力がもうありません。あまり変なところは覗かないでくださいね」
「そんなことはしないけど」
しぶるレゼクを説き伏せて、セリカは向かいにある自分の部屋に行ってもらうことにした。
セリカは明かりを片手に、部屋のドアを薄く開ける。
「あれが私の部屋です。父上のお部屋は違う棟ですが、出くわさないようお気をつけて。おやすみなさいませ」
「うん。君も気をつけて」
レゼクが声を潜めてセリカに言う。
「……【魅了】の術は本人にはなかなか気づけないから。妹さんをあまり信用しすぎない方がいいよ」




