姉と妹
セリカは馬を飛ばしに飛ばして、かなりの短期間で実家に到着した。
そもそもイリスタリアの駐屯地は国内のどこからも数日以内に到着できるよう、国の中央に建てられているのだが。
高い塀に囲まれた石造りの城で、入り口にある跳ね橋は、今は固く閉ざされている。
門番の兵に頼んで入場許可を待つ間、セリカはレゼクと並んで待った。
「これはまた……ずいぶん古いお城に住んでいるんだね」
レゼクが全容を見上げ、驚いたような声をあげる。
「防衛設備のあるお城が、わが領内にはほとんどないんです。というのも、魔物の襲撃がある以前は、とても平和な国だったものですから。人間同士の争いも、このお城が建てられたころを最後に、起こっていません」
「魔物が来て、慌てて戦闘できるお城に移り住んだってことか」
「もう五年も前のことです。見かけは古いですが、中はそれなりに改築がしてあるはずですよ」
跳ね橋がするすると降りてきて、城門が開いた。
中まで馬を進ませようとしたセリカたちの頭上、矢を射かけるための屋上設備から、大声が降ってくる。
「遅い!! すぐに帰れと言っておいたのに、なぜこれほど時間がかかったのだ!?」
見上げた先にいたのは、背の高い武装の中年男性。
声ですぐに分かった。セリカの父親だ。
「申し訳ありません、父上!」
「お前は本当にどこまでも見下げた娘だ! ぼさっとしてないで、とっとと中に来い!」
セリカは馬を早歩きにして、門番の詰め所付近まで急いだ。
兵に馬を預け、父がやってくるやいなや、最敬礼で出迎える。
隣に立っているレゼクに目配せをして、父に話しかけた。
「父上、こちらの方をご紹介させてください。彼は――」
すべてを言い終えることはできなかった。
その前に、父親がセリカの頭上にゲンコツを振り下ろしたからだ。
とっさにかわしてしまったのがまずかったのだろう。
「貴様……!」
父親は激昂の末、セリカに猛然と飛びかかろうとし、空の拳を何度か振り回した。
何度か殴打を試み、いずれも当たらないと見るや、息を荒げて怒鳴り散らす。
「貴様、ハイスベルト殿下から婚約破棄を申し渡され蟄居の身でありながら、男連れで旅をしていたのか!? なんたる不埒者だ! おとなしく罰を甘んじよ!」
「父上、お叱りならあとでお受けいたします! その前に、こちらの方を!」
セリカの前に、スッと人が割って入る。
レゼクはセリカが紹介するより早く、自ら口を開いた。
「ライネス王国第三王子、レゼキエルです。リューテナント公爵ペッリ閣下、少し二人だけでお話をさせていただけませんか」
セリカは少し身を硬くした。
父親は気難しく、頑固で、怒り狂うと容赦がない。
その怒りがレゼクにも向かうのではないかととっさに危惧したが、しかしペッリはぴたりと大人しくなった。
「本物かとお疑いでしたら、こちらにいくばくか身分証が」
レゼクが軍服に吊り下げた勲章のひとつを軽く指でつまむ。
「その軍服、そのオークの葉の勲章……」
と、ペッリは直立不動の姿勢を取った。
「たしかに貴殿は栄光のライネス王国にて精霊の祝福を受けし第三王子のライネス殿下。最後にお会いしたのは年末のパーティでしたか」
「お見知りおきいただきまして光栄です。セリカさんにはあいにく覚えていてもらえなかったみたいなので、てっきりお父上にも認知していただけないかと危惧しておりました」
「この娘は本当に躾がなっておりませんで……! 私の方から平にお詫びいたします」
「いやいやははは。私のほうこそお詫びしないとなりません。今回の旅に無理やり同行したのは私ですから。お嬢様は非常に立派に軍人として振る舞い、私に敬意を払ってくださいました。これもペッリさんのご教育の賜物でしょう」
「もったいないお言葉、痛み入ります……!」
「ここだと何ですから、よかったら、どこか別の部屋で、男同士で話をしませんか」
「すぐにでも部屋をご用意しましょう――おい、誰かいるか!」
侍従たちを呼びに、奥に引っ込んでいくペッリを、セリカはあっけにとられるような気持ちで見送った。
娘のセリカに対するのとはなんという態度の違いだろう。
「ごめん、ちょっと行ってくる」
レゼクが密かに耳打ちしてくる。
「勝手に悪く言ってごめんね。こうでもしないと話聞いてくれなさそうだったからさ」
「いえ、私は全然……でも、突然二人でなんて、よろしかったのですか?」
「大丈夫大丈夫。たぶん君のお父上、女子どもの言うことは素直に受け取れないってタイプだと思うからさ。まあ任せておいてよ」
呼びに来た侍従に連れられ、レゼクは応接間に消えていった。
思わず肩から力を抜き、置いてけぼりを食った彼の従者たちと顔を見合わせる。
ふふっ、と、笑いがこぼれたのは、レゼクになら任せておいてもいいかという、不思議な信頼感があったからだった。
「とりあえず、着替えます。殿下がお連れの方々にもくつろいでいただけるように準備を」
そばにいた使用人にお願いしてから、セリカは自分の部屋に向かった。
身支度を整え、普段着に使っている質素なドレスに着替える。
五年ぶりに着たせいか、サイズが少し窮屈に感じたが、気になるほどではない。
セリカは化粧台についている鏡で、自分の姿を点検した。
灰色がかった、輝きの少ない金髪の女性が映っている。手入れの手間を省くため、男性より少し長いくらいのショートカットに仕立てて、襟足だけわずかに伸ばしていた。
――あまり似合っていないわ。
顔全体から受ける印象が、とても強そうだ。ドレスが似合わなく見えるのも、この顔つきと髪型のせいだろう。
セリカは慌てて、いくらか化粧を施すことにした。
軍服を着ているときは手を施さないほうが似合っていると感じるが、ドレス姿で何も手を加えないと、浮いてしまう。
日焼けした肌にパウダーをはたき、いかにも気の強そうな眉を整えて柔らかい印象にする。きつい目じりを丸く書き直し、色の薄い唇に健康的な色を乗せた。
最後に、わずかに残してある襟足の長い毛を一つに束ね、つけ毛のお団子をピンで刺す。
鏡の中に、どこにでもいそうな女性を発見して、セリカはようやく落ち着いた。
父もまたセリカの男装姿をよく思わない。最低限このくらいしておけば、父親の神経を逆なですることもないだろう。
――そういえばこのつけ毛、地毛の色と違いすぎるからみっともないって、ハイスベルト殿下に怒られたんだっけ。
セリカの金髪は少し珍しい色で、淡く魔力の輝きを帯びており、染色では出しにくいらしい。そのせいで、どのウィッグも馴染まない。
短い髪で行けば文句を言われ、つけ毛でヘアメイクをしていけば文句を言われ。本当に面倒くさい男だったとセリカはつい嘆息した。
その点父は細かな服飾の違いまで気にしないらしく、女性に見えればそれでいいようだ。
人前に出られる姿が整ったとき、部屋に人が訪ねてきた。
「お姉様!」
ノックもそこそこに、ドアに滑り込んできたのは、小柄で、セリカと似た金髪の少女だ。
くりくりとしたつぶらなブルー・アイに、健康的な薄桃色のなめらかな頬、杏の花のつぼみのような愛らしい唇。きゃしゃで小さな鼻と顎のせいで、生身の人間というよりも、美しく作られた人形のような印象を受ける。
セリカの妹、リンテだ。
彼女が浮かべた天使のような微笑みに、セリカもつられて笑顔になった。




