食事(3/3)
触れられても威圧感などを感じないのは、レゼクの外見に清潔感があって、男くさくないおかげもあるのだろうと、内心で分析を付け加えた。
「不快でないのなら、今後も私に誘われてくれないかな? もう無理だと思ったら、そのときはそう言ってくれていいから」
「分かりました。楽しみにしています」
セリカは完全に、格下の兵士相手に剣術の稽古をつけてあげているときの気分になっていた。一応は隠していたつもりだったが、レゼクにも少なからず伝わったらしい。
「余裕だねえ」
レゼクはなんだか悔しそうにつぶやいて、ふいにセリカの腰に両手を巻き付けた。
驚きの声を上げる間もなく、ぴったりと密着するように抱き寄せられる。
「……今日は楽しかったよ。また明日ね」
少し落とした声のトーンに、セリカはドキリとした。親密な間柄でもなければ聞けないようなささやき声だ。一瞬、ここが給仕の行きかうレストランであることも忘れて、レゼクと見つめ合う。
セリカは敗北を認めざるを得なかった。
――これは、かっこいいわ。
悔しさまじりに、感心する。
本物の王子というものは、こうやって女の子を扱うものなのか、と。
セリカも男社会に長くいて、必要とあらば騎士のように振る舞い、身内の聖女たちに喜ばれてきた。
キャーキャー言われるのを、実は密かに楽しんでいたりしたのである。
しかしセリカは婚前の貴族令嬢。本物の男にはなれない。手本になる男性もハイスベルトくらいしかおらず、いまいち自分の仕草の何がそんなにウケていたのかもよく分かっていなかった。
――こういうのが女の子をときめかせるのね。
もしも今度女性をエスコートすることがあったら真似して使わせてもらおう。そんな風にレゼクの言動を評価していた。
キスができそうな距離の近さに耐えられなくなったのは、レゼクが先だった。
「……なんなの? なんでそんなに見るの? キスしてもいい?」
「あ、いえ、勉強になるな、と思いまして……すみません、紛らわしいことをして」
セリカが一歩退くと、レゼクは複雑そうな顔になった。
「何の勉強?」
「実社会の色々です」
「勉強熱心だねえ。あんまり危ないことはしちゃだめだよ」
セリカは苦笑する。そう思うのなら、まずレゼクがセリカに迫るのをやめるべきだろう。
「分かりました。レゼク殿下にはなるべく近づかないことにします」
「私は危なくないよ? 余計な心配はいらないから、もっと懐に飛び込んで来てほしいかな」
「不安です」
軽口を叩くレゼクに部屋まで送ってもらい、その日は別れた。
***
レゼクと旅を開始してから二日目。
セリカはお喋りなレゼクに付き合って、あれこれと話をした。
「君の好きな食べ物ってなに?」
「何でも食べますよ。ありすぎてこれといって思いつきません」
「君って侍女とか連れて歩かないんだね」
「戦争中の身支度は全部自分で行うものですよ。殿下だってそうでしょう?」
「まあ、そうだね。民家を借りたときは炊事、洗濯、何でもやったよ」
「それに私は聖女ですから、並みの男性では倒せませんよ」
レゼクが連れてきた護衛用の騎士たちも、始めは自分の仕える主人の珍しい姿に奇異の目を向けていたが、後半になるにつれ、そういうものとして受け止められるようになっていった。
従者三人で固まって、こそこそと内緒話を交わす。
「……レゼキエル殿下、最近なんかご様子がお変わりでいらっしゃらないか?」
「ああ。何かおかしいな」
古参二人の意見に、新参の一人が反論する。
「そうか? あの方が女性好きなのはいつも通りじゃないか」
ライネスのレゼキエル王子といえば、聖女隊づきの近衛騎士の一番隊隊長だ。
自分自身が身代わりの盾になってでも聖女たちを守り抜くという、もっとも過酷な部隊である。
同時に、年頃の若い娘ばかりでなにかとワガママを言いがちな聖女たちのお守り役も仰せつかっている。
その隊長格ともなれば、聖女たちと密接な人間関係を求められるのだ。
新参の従者にしてみれば、レゼクはいつも聖女たちにべったりくっついているチャラいイケメンだった。
「いや、完全にビジネスだっただろ。仕事だから仕方なく聖女さまのご機嫌を取ってるの丸分かりだったじゃないか」
「それな」
新参の従者は、「そうだったのか」とつぶやき、ふと思いついたことを口にする。
「仕事半分、趣味半分……なのでは?」
「いやいや、絶対ない」
「ないない」
「むしろ趣味交じりだったらあのような目覚ましい戦果を挙げることはなかったことだろう」
「あの奴隷奉仕ぶりは、自分を何かそういう『モノ』と割り切った人間にしかできないことだよ」
古参二人は新参に教育を施すべく、口々に否定した。
「殿下は姉上が一人と妹君が一人いて、それぞれ大変に奔放な性格でいらっしゃったせいか、ワガママを言う女性と恋愛好きの女性に極端な偏見をお持ちでいらっしゃるんだ」
「苦手なのに、扱い方は完璧に理解しているという不憫きわまりない方なんだよ」
「殿下のチャラついた言動にそんな悲しい由来が……」
新参者は気の毒そうに遠くのわが主人を見やった。何やら楽しそうに元大聖女とかいう女性に話しかけているが、裏事情込みで見ると、不憫に見えてくる。
「そもそも第三王子の殿下に、戦場にまでお出でいただく必要はまったくないんだよな」
「ああ。しかし癖が強く、現場を崩壊させまくるわが国の聖女たちをまとめられる人材はもはや彼しかいないという国王陛下のご英断だったと聞く」
「殿下、めちゃくちゃ人当たりいいですもんね……」
「俺はこの間殿下から新しいコートを下賜していただいた。『少し裾がほつれてきてるから』と」
「私は葉巻を箱でいただいた。『外国だといつもの銘柄が手に入らないかもしれないから』と」
「あ、もしかして殿下がこないだくださった珈琲豆は……」
「イリスタリアの旅を少しでも快適に過ごしてくれというご高配なのだろう」
「優しい……」
裏事情を聞けば聞くほど、新参は目頭が熱くなってくるように思われた。
「殿下が、アクアフィーナ嬢から休暇中の買い物の護衛に付き合うよう命令されたとき、なんておっしゃったと思う?」
「アクアフィーナさまってあの可愛らしい方ですよね。ラッキー……とかじゃないんですか?」
「馬鹿言え! 殿下はアクアフィーナ様に【魅了】を使われても自力で打ち破ったほどのお方だぞ。そんなことは元から相当嫌っていなければできない芸当だ」
古参の従者はウソ泣きでハンカチを目に当てながら言う。
「殿下はうつろな目つきで言ったんだ。『生きるためだから』と」
「すごい……」
「すごいお覚悟であらせられる」
新参の従者は、ひそかに今度、何かねぎらいの品でも差し入れようと決意した。




