食事(2/3)
ビガンナ宮での一件を皮切りに、国内には魔物の襲撃事件が相次ぐようになった。
セリカはそのたびに召喚に応じて、各地で戦った。
ハイスベルトと婚約したのもこの頃だ。
魔物の襲撃自体がイリスタリアでは前例のないこととはいえ、セリカが突如として軍の司令部を握り、一切の権限を持って行ったことに対して、国内の貴族は少なからず反発したのだ。
嫌がらせもかなりあった。
手薄な防衛に動揺する国内と、分裂する貴族たちを強引にでもまとめあげるには、どうしても国王の後ろ盾が必要で、国王もまた、セリカを必要とした。
国内の緊張が極度に高まり、国王は、あと一つでも失敗すれば、王国が崩壊するというところまで追い込まれていたのだ。
国王は仕方なく、ひとまず経歴が白紙のセリカにやらせておき、失敗したら首を切ればいいと考えていたことは、想像に難くない。セリカも国王の方針に納得していた。もっと聖女を招いて軍の規模を大きくしていくべきだという意見が通らなかったことだけは、少し根に持っているけれど、自分自身が使い捨てにされることは覚悟の上だった。
ところがセリカは、今日までなんとか生き延びてきた。
「……ですから、私とハイスベルト殿下の間には、何の愛情もありません。殿下にしてみれば私はまったく言うことを聞かない生意気な女ですし、婚約も、王に命じられていやいやしたにすぎません。かくいう私も……」
セリカは一度言葉を切った。
少し熱くなりすぎている。これ以上喋ると、必要以上にハイスベルトを悪く言ってしまいそうだ。
セリカは、イリスタリアに魔物が現れ始めたそもそもの元凶は、ハイスベルトなのではないかとまで感じている。
彼がきちんとビガンナ宮の少年をまとめていれば、あんな騒ぎにはならなかった。
しかしそれも、責任の追及のしすぎなのかもしれない。
彼は軽率だったかもしれないが、直接的に引き金を引くような騒ぎを起こしたわけではないのだから。
「言いたくなければ、無理しなくてもいいよ」
「……はい。申し訳ありません。私の話はこれで終わりです」
レゼクは決して茶化すことなく、うなずいてくれた。
「うん、教えてくれてありがとう。ハイスベルトくんとは色々あったんだね。彼も困った人だな」
レゼクはグラスに残っていた最後のワインを飲み干し、テーブルに置いた。セリカの分がまだかなり残っていたので、慌てて手をつける。
気づけば、ずいぶんと話し込んでしまった。そろそろ帰れるようにしないといけない。
「彼がアクアフィーナと婚約するって言い出したときは、正直焦ったんだよね。またアクアフィーナが【魅了】の術で悪さをしたんじゃないかと……そうじゃなくてよかったけど、まさかハイスベルトくんも問題児だったとはね。あまりに身勝手で驚いたよ。セリカが気の毒だ」
「痛み入ります」
セリカは周囲の人間に恵まれている。
王子から婚約破棄された悪評つきの女なんて、普通は偏見の目で見られるものだ。
どんな言い分があってもまともに聞いてもらえるはずがなく、王子の側からの主張が全面的に支持されるのが当然のはず。
それなのに、セリカの周囲の人間は、一度もセリカが悪いなどといって責めたりはしなかった。
レゼクも、決してセリカの落ち度をあげつらうようなことをしない。
なんていい人たちなのだろうと、改めて思った。
「ずいぶん話し込んだね」
レゼクが空のグラスに目をやる。セリカもワインを飲み切っていた。
席を立つレゼクが、セリカの椅子の後ろに回った。コートとかばんを給仕から受け取って、セリカにかけてくれる。
「私はもう少し飲みたいんだけど、よかったら付き合ってもらえないかな?」
レゼクはそう言って、さりげなくセリカの両の二の腕に手を置いた。
「もう、どこの店も閉まる時間だと思いますが」
「私の部屋においでよ」
セリカは軽く驚きはしたものの、冷静だった。
軍で生活していると、どうしても異性との接触は多くなる。これまではセリカがハイスベルトの婚約者だったおかげで、きわどい場面であっても、絶対に間違いを起こさないように、と、男性陣の方が非常に気を回してくれていた。おかげでセリカは、男社会にいるとはとても思えないほど快適な生活を送っていたのだ。
しかしそれも、ハイスベルトとの婚約を解消するまでの話。
これからは、もう誰もセリカを特別扱いなんてしない。
――女性として扱われることにも慣れていかなければね。
セリカは社交界デビューより早く大聖女になった。デビュタントの衣装を着る前に、軍服に袖を通した。
ハイスベルトとの婚約後も、ほとんど彼の従属物としてパーティに参加していた。
それらの生活が一変することを予感して、小さく身が震える。
――ああ……そうか。私、本当に自由になったのね。
「……セリカ?」
背後からレゼクが気づかわしげに声をかけてくる。
セリカは掴まれている二の腕に自分の手を伸ばし、レゼクの手に自分の手を重ねた。
きゅっと彼の手を握る。
「セリカ……好きだよ」
甘いささやき声を聞きながら、セリカは自分自身によく問いかけてみた。
セリカはハイスベルトに触れられるのが本当に嫌だったので、もしかすると自分は男性嫌いなのではないかと思っていたのだ。
レゼクに触れられるのはどうだろう?
――嫌な気分にはならない。
レゼクに近づかれるのも特に不快ではないことを確認して、セリカはくるりと後ろを振り返った。
レゼクの目を見て言う。
「今日は遠慮しておきます」
そのときのレゼクの顔と言ったらない。別人かと思うほど崩れた表情をしていたので、セリカは意識的にきゅっと唇を固く閉じていた。笑ったり驚いたりするのは失礼だという意識があったのだ。
「……じゃあ、今の『手をぎゅっ』はなんだったの? 私けっこうドキッとしたんだけど……」
「ちょっと試してみたくて」
セリカはまったく悪びれずに言う。言っても怒らない相手だと知っていたので、気楽なものだった。
「ハイスベルト殿下だったらその場で手を振り払うところだったんですが、レゼク殿下には特に嫌悪感が湧きませんでした。おそらく、ハイスベルト殿下からはいつも否定とダメ出しばかりされていたのに、レゼク殿下には一度もされていないからだと思います」
「そう……冷静な批評どうもありがとう」
レゼクは居た堪れない気分を払拭しようとしてか、何度かせわしなく髪をかきあげた。
取り繕った表情を、ついつい脳裏で先ほどの崩れた表情と比べてしまう。
――なるほど、レゼク殿下は、顔立ちから受ける印象がすっきりしているのね。
目が小さすぎるだとか、鼻が高すぎるといったような、欠点らしい欠点がない。
そういう人間が表情を崩すと、ああも面白くなってしまうのかと、本人にはとても聞かせられないような失礼なことまで考えた。
「私、てっきりオーケーしてもらえたのかと思って、この一瞬でテンション爆上がりだったんだけど……」
「ごめんなさい、あんまりハイスベルト殿下以外の男性と接した経験がないから、どうしたらいいのか分からなくて」
「ああ……うん、そうだよね。ごめん、私の配慮が足りなかった。本当にごめん」
どこか自分を納得させるように、レゼクは何度か謝罪を繰り返した。
カッコつけてるレゼクには本当に申し訳ないが、セリカにはおかしくてたまらない。
自分より背も高く、体格が立派な軍人の男性に向かって言うことではないだろうが、可愛らしいと思ってしまう。




