食事(1/3)
レストランでの食事休憩中、レゼクは目を輝かせて目の前の皿を見つめていた。
「君って本当にいい子だよね。人間ができてるっていうか」
レゼクが見つめる先に、果物が載った皿がある。コース料理の最後に、デザートとして出されたものだ。
「そんな、たまたまおなかいっぱいで譲っただけなのに、そこまでおっしゃっていただけるとは」
キャラメルがけのプラムや杏が好きだというので、それならと渡しただけなのだが、なぜこんなに感激されているのだろうと、逆にセリカは不審だった。
「……私さ、これまでいろんな聖女サマにワガママを言われてきてさ、デザートもだいたい全部譲ってきたんだけど」
「お疲れさまです……」
「いや、それはいいんだ。自分でやっていたことだからね。でも、でもだよ、譲ってもらったのは初めてだったんだよ。ごめんね、大げさで。嬉しくなっちゃってさ」
レゼクはおいしそうにデザートをほおばりながら、軍での生活について愚痴を言った。
とにかく彼の国ライネスは食事事情が悪く、軍での生活は食事に不自由する。果物などはめったなことがなければ前線にまで届かない。
甘いものが争奪戦になることも珍しくはないが、年頃の女の子たちが優先という意識は軍にもあり、中でも王子であるレゼクは人一倍のレディファースト精神を期待されていたのだという。
「君がうちの軍にいなくてよかったよ。もしいたら、私もアクアフィーナみたいになっていたかもね。いや、これは惚れちゃうでしょ」
「……よかったら、もう一皿お願いしてみましょうか?」
「いや、いいよ! もう十分。胸がいっぱいになったから」
嬉しそうなレゼクを、セリカは可愛らしいと思った。成人の男性に抱くような感想ではないのかもしれないが。
――それにしても、ハイスベルト殿下とはずいぶん違う。
権威主義の彼は、セリカにかわいげのあるところなど一度も見せなかった。それどころか、いつもいばり散らしていたように思う。
王子とは、婚約者の女よりも偉いもの、強いもの、という意識があったせいか、彼は決してセリカに甘やかされるような事態を許さなかったし、何かにつけてセリカのすることを批判していた。
プライドが高くて扱いづらいのが王子という生き物だと刷り込まれ続けていたセリカには、レゼクの子どもっぽい態度も新鮮に映った。
「今度お礼するよ。君は何が好きなの?」
「いえ、本当にお気になさらず。喜んでいただけて私も嬉しくなりましたので。殿下のように喜怒哀楽が素直な方は見ている方も気持ちがいいものですね」
レゼクはばつが悪そうに、少し顔を逸らした。
「あれ、子どもっぽいと思われてる? 恥ずかしいな。いつもはもうちょっとカッコつけてるんだけどね? ほんとだって」
「いえ、決して悪い意味ではなく。私などはハイスベルト殿下からさんざん可愛げがないと言われていたのですが、私自身、何が至らないのかよく理解できておりませんでした。レゼク殿下を拝見していて、かわいげとはこのようなことを言うのかと、新たな発見がありました」
「やめて、恥ずかしい」
レゼクが照れている。
セリカは堪えきれずに笑ってしまった。ハイスベルトはセリカに笑われるのを決して許さない男だったので、もしもレゼクが彼であれば、すぐに『私を愚弄するな』と怒り出していただろう。
もちろんレゼクはセリカを怒りも、窘めもしなかった。そのことがセリカにはとてもありがたかった。
レゼクの相手は、疲れなくていい。
「君にカッコ悪いところばかり見せるわけにもいかないな。お礼にキスをしたら受け取ってくれる?」
セリカは束の間、心に浮かんだことをそのまま言っていいものか悩んだ。レゼクなら怒らないだろうと判断し、にこりと微笑む。
「婚前の身ですので、ご容赦ください」
「なんで? 挨拶みたいなものじゃない。ハイスベルトくんからは受け取らなかったの?」
「それは、まぁ、公式の場で避けられない場合は、やむを得ず……」
「婚約者だったなら、公式の場でなくても避けられないことはあったんじゃない? 彼、見るからに手が早そうだし」
「殿下は私を嫌い抜いていましたし……」
ここから先はどう考えても言いすぎだ。口を慎むべきだと思ったが、セリカは自制をし損ねた。
「私も、虫唾が走るほど嫌いでしたので」
「……なるほどね」
控えめに相槌を打つレゼクを見て、セリカは後悔した。
言いすぎた。
レゼクとしては軽く元婚約者との付き合いの深さを測りたかっただけだろうに、ここまで言ってしまっては彼だって驚くだろう。
「セリカがハイスベルトくんを嫌っているのはなんとなく分かってたけど、君がそこまで言うほどとはね」
「すみません、殿下を巻き込むつもりはないんです。忘れてください」
「何言ってるの? とっくに私は当事者だよ。これから妻にしようって子のことなら何でも知りたいに決まってる。だから遠慮しないで」
親切な人だと、セリカは思った。
こんな風に、親身になって接してくれる王子もいるのかと思うと、改めてハイスベルトとの違いに驚かされる。
婚約に関しても、おそらく彼の持ち前の正義心や親切心から申し出てくれている部分もあるのだろう。
レゼクからときどきかけられる、恋人のようなセリフがあまりピンと来ないセリカは、そんな風に考えた。
「もしよかったら、どうして君たちが婚約することになったのか聞かせてくれる?」
「お聞きになりたいのでしたら。大して面白い話でもありませんが」
長く平和だったイリスタリア。
セリカが留学先から戻り、社交界デビューの準備をしていたときに、ハイスベルト主催の昼食会に誘われた。
デビューする前の少年少女を郊外にあるビガンナ宮に集めて演劇の練習をしよう、という趣旨だ。
いかにも遊び好きのハイスベルトらしい思いつきだった。
年頃の少年少女にとって、デビューは心細いもの。顔見知りを作ってから挑みたいと考える子たちの思惑もあいまって、ハイスベルトの突発的な企画に、百名近くが参加するという騒ぎになった。
百人の少年少女ひとりひとりに劇の役を割り振るのだから、監督の作業量は膨大なものになる。怠け者のハイスベルトは早々に企画を投げ出して、早くもその集団はぐだぐだとお喋りをしたりゲームをしたりするだけになった。
郊外の古い城に、百名の血気盛んな少年少女が集まっているのだから、何か間違いが起きないかどうか、もっとよく注意を払っているべきだったのかもしれない。
始まりは、魔術学院の生徒たちが持ち出した悪ふざけだった。
魔術禁止のこの国でも、外国の貴族から嫁いでくる女性たちの血筋の関係上、魔力持ちの少年少女は多い。
男の子たちは、この中で一番魔力が強いのは誰なのかを競い始めた。
ひとけのない大きな平原で、大きな魔術が連発された。力を誇示したい彼らは、遠慮なく炎を、氷を、烈風を呼びだした。
――魔物は魔力の高い子どもを好んで食らう。
平和だったイリスタリアの最初の犠牲者は、貴族の少年だった。
パニックが起きた。
平原を命からがら逃げだした少年たちは、被害に遭う平民たちを押しのけて、ビガンナ宮に併設してあった頑丈な城砦に立てこもった。
お城で貴族の少女たちとお喋りをしていたセリカは、物見の塔から階下を見下ろして――惨状に、震えた。
小さな魔物を倒すだけなら、魔術師だけでもこと足りる。でも、魔物が際限なく生まれてくる【異界の門】を封印するには、聖女の力が必要となるのだ。
精霊術が使える少女は、そのとき、留学先から帰ってきたばかりのセリカだけだった。
セリカが陣頭指揮を取り、魔物退治に乗り出そうとすると、ハイスベルトは猛反対した。魔術師団や騎士団が到着するのを待つべきだという彼の考えは、おそらくそれほど間違っていなかったのだろう。
「……私は制止するハイスベルト殿下を振り切って、魔術学校の生徒たちに供出させた魔力を使い、精霊術を使いました。今でも覚えています。あのときの、震えるような気持ち……次の瞬間には殺されているかもしれないという恐怖……魔物がまっすぐに私めがけて飛びかかってきたときの絶望……」
死んだかと思った。
でも、セリカの精霊は、恐ろしい魔物を一瞬で蹴散らしてしまえるほどの力をくれた。
「――勝てる……と思ったとき、本当に身体が震え始めました。怖いんじゃないんです。生きて、みんなを守ることができるのが、嬉しくて堪らなかった。だから、少しやりすぎてしまったのかもしれません」




