求婚(2/2)
「……何もかもです、殿下。二人はイリスタリアに強い愛国心を持っています」
「愛国心……ねえ。娘をああも不当な噂で辱められて、悔しくないのかな。それでもまだ国の方が大切?」
「貴族が先祖代々受け継いできた土地に持つ誇りと責任感は、ときに一個人の私情を凌駕するものです」
「そんなもんなのかな……」
セリカにしてみれば、そんなもの、だ。
王国をひとりの大きな人間に見立てて、王を頭とし、自分たちは手足のように立ち動く。ひとりひとりに頭があるなどということは決して顧みない。そうして使われる貴族は、また別の平民たちを同じように末端の道具として扱うことに慣れていく。
セリカは本来、頭として働く定めの人間ではなかった。それが大聖女に祭り上げられていたのだから、イリスタリア王国内や、セリカと両親の間にひずみが生じてしまった理由も分かるような気はする。
レゼクはよく分からないとでもいうように肩をすくめてから、話題を変えた。
「まあいいや。ご両親のことより、今は君のことだ。君、妹の結婚が心配って言うけど、自分のことはどうするつもり?」
「結婚するつもりはありません」
「どうして?」
「私のような訳ありの女に、まともな縁談が来るとは思えません」
「そうだね。でも、まともでない縁談はたくさん来るだろう? 君は魅力的で、地位もある。もしもご両親が、訳ありの君でも欲しいと言う人間との縁談を望んだらどうするの?」
イリスタリア王国の状況から言って、セリカに求婚することはそのまま王子への敵対行動と見られる可能性が高いように思われる。
王子の心証を悪くしてまでセリカをほしがる人間がいるとも思えなかったが、もしもいると仮定するのなら、セリカの答えはひとつだった。
「そのときは潔く嫁ぎます。私にできるせめてもの罪滅ぼしですから」
「罪……ねえ。何が罪なんだか」
レゼクは少し冷たく言い、それからまた話題をがらりと変えた。
「ところで、妹さんの良縁を探すのなら、まず君が良縁をつかんでいたほうがいいと思わない?」
「私ですか? 妹の結婚に影響するとも思えませんが」
「でも、君がまた有力な貴族と再婚約すれば、少なくとも悪評の一部ははねのけられるよね? 妹さんにも、ツテで縁を見つけてあげられるかもしれない」
「ええ、もしもそんなことが可能だとするなら、そうですが……レゼク殿下は、私に結婚をさせたいのですか?」
先ほどから妙に結婚の話題を持ち出してくるので、怪しんでそう聞いてみたセリカだったが、レゼクはぱっと笑顔になった。
「そう! ねえ君、私と婚約しない?」
食事にでも誘うかのような調子で言われたので、セリカは思わず「……え?」と、戸惑ったような声をあげてしまった。
「君は両親の命令であれば誰にでも嫁ぐつもりで、妹さんの結婚に有利になるようなことだったら何でもやる――んだったよね? 今の話からすると」
「それはそうですが……」
「それなら私と婚約するのが一番条件に適っていると思わない?」
「条件としてなら、それは、そうなのですが……」
「でしょう?」
レゼクは指折り数え上げる。
「私は第三王子だけど、イリスタリアの王子よりはおそらく国際的にも力関係は上。なにしろ国力が違う。それに私と婚約すれば、ライネスの貴族すべてが妹さんの婚約者候補に浮上する。さらに言うなら、私は軍人だから、たぶん早死にする。これほど政略結婚に向いている相手もそういないんじゃないかな?」
よく分からないことを言われ、セリカはつい聞き返す。
「早死に……と、政略結婚に、どのような関係が?」
「どうって、そのままだよ。好きでもない夫なんて、さっさと死んでくれた方がいいでしょう?」
あっはっは、と明るく笑うレゼクに、セリカは絶句した。
明るく気さくそうに見えて、彼の闇も深いのかもしれないなどと、勝手な人物評までつけたくなってくる。
「私が死ねば、王族としての地位と名誉、遺族年金がすべて君の手に入る。そうだな、おそらく君が三十になるころには入ってくるんじゃないかな? そこから先は悠々自適のマダムライフだ。新しく恋を探すのもいいし、趣味に打ち込むのもいい。王国一自由な生活を送れるよ。よかったね、おめでとう!」
「そん……そんな、こと……ご冗談でも、おっしゃるべきではありません」
そんな不謹慎なことは望まない。
それに彼の周囲の人間だって、彼本人がそんなことを言っていたのでは悲しむだろう。
そう思っての諭すような返事だったが、レゼクは何ともなさそうに笑った。
「私が君の妹さんと婚約するというのでも悪くはないけど、今言ったように、私は早死にする軍人だからね。君だって、可愛い妹さんには愛のある結婚生活を送らせたいんじゃないかな? やはり女性にとっては、好きな相手と結ばれるのが一番だろうね」
「それは、その、おっしゃる通りです」
「それなら、君は妹さんのために、私と婚約するべきだ」
レゼクがいきなり断定してきた。
言わんとすることは分かるものの、展開が早すぎてついていけてないセリカは、とうとう何も言えなくなった。
「もちろん君には断る権利がある。誰だって愛のない結婚はしたくないだろうさ。でも、君の一存でライネス王子との縁を逃したとなれば、きっとご両親は深く失望されることだろうね」
そうなのかもしれない、とセリカも思う。
少なくとも、セリカがライネス王子の機嫌まで損ねたなどと知れば、今度こそ父親はセリカを許さないだろう。
「私にもあちこちから縁談が来ていて、そろそろ断り切れなくなってきたところだったんだ。でも、私は文官の兄たちと違って、軍の方に回されてしまったからねえ。何もわざわざ見知らぬレディを寡婦にして不幸にするのもなと思っていたけど、君が抱えている事情を考えたら、もうこれこそ運命なんじゃないかと思ってね」
運命だと言うわりに、王子の口調はあくまで軽々しい。
「ね? だから、私と婚約しよう、セリカ」
そう結んだレゼクには、やっぱり真剣味がなかった。
呆然としているセリカに、レゼクはしばらく時間を与えてから、再び淀みなく話を再開した。
「……もう一度言うけど、断ってくれてもいいよ? その場合、妹さんはライネスとのつてを失い、ご両親は失望、私と結婚させられることで、見知らぬレディがひとり不幸になる――」
そこで初めてレゼクは、不自然なくらいの明るい笑みを消した。
「――ついでに、私も不幸になる。私は君がほしい」
レゼクは手を伸ばして、セリカの手を取った。
姫君に手の接吻を乞うようにして、捧げ持つレゼクは、確かに大国の王子なのだと思わせるような気品を持っていた。
「イリスタリアの大聖女。どうかその強さと気高さで、私のことも救ってくれないかな」
セリカは黙ったままこちらを見つめるレゼクとしばし見つめ合い、色よい返事を期待されているのだということに遅れて気づいて、ハッとさせられる。すっかり雰囲気にのまれてしまったことが少し気恥ずかしく、誤魔化すように、努めて冷静な声を出した。
「あなたの、救い、とは?」
「君が手に入らない人生は不幸だ」
「っ、突然そのようなことを言われても困ります」
真実セリカは動揺していた。落ち着いて考える時間が欲しい。
「返事を急かして悪いけど、今決めてくれないかな。私はまたすぐにライネスに戻らないといけない。いくつか差し迫っている縁談があるんだ。君がとりあえずにでもオーケーと言ってくれれば、それを口実に断ることができる」




