襲撃(2/2)
――どうして私なの?
アクアフィーナがそう自問するとき、そこには少しも喜びの色などなかった。精霊の愛し子、特別な人間と呼ばれ、もてはやされても、アクアフィーナには呪いのようにしか感じられなかったのだ。
――どうして私が聖女でなければならなかったの?
精霊は女性にしか祝福を授けない。
一説によれば、精霊は、我が子を育ててもらうための代理の母親を探しているのだという。
気に入った少女にふんだんに祝福を与えてから、生まれてくる子どもを自分の子どもと取り換えるのだと。
どれほど強い精霊の祝福を受けた女性でも、家庭を設けて、子どもを授かることで、その力はほとんど消え失せる。
精霊が人間の子どもを得たことで満足するからだと言われているが、真相は定かではない。
アクアフィーナが結婚に憧れるようになったのは、その説にすがりつきたかったからだった。
結婚さえできれば、この呪いは解ける。
化け物に命を狙われるのも、軍の厳しい規律に締め付けられて奴隷のような生活を送るのも、もうたくさん。
――いつか白馬に乗った王子様が、私を助けてくれる。
過酷な生活でボロボロになりかけたアクアフィーナを救ってくれたのは、いつだってその夢だった。
それなのに。
レゼクから拒絶された。
――私はあんなに好きだったのに。
絶望の淵にいたアクアフィーナだったが、異国の王子のハイスベルトが新しく希望を与えてくれた。
――ハイスベルト様が私の王子様だったんだ。
そう思うことで、アクアフィーナは気持ちが慰められた。もう少しだけ、がんばって戦っていこうとも思えた。
それなのに――!
ハイスベルトから殴られたとき、アクアフィーナは心がバラバラに砕けたような気がした。
アクアフィーナが信じてすがろうとした王子は、夢物語のそれではなく、アクアフィーナを自分の思い通りに動く人形としか見ていないような人間だったのだ。
――今度こそ彼が助けてくれると思ったのに。
毎日死んだ仲間が夢に出る。
次は自分かもしれないと怯える。
ちょっとした不注意で死んでしまうかもしれないと思うと怖くて、一分一秒たりとも気が抜けない。
ようやくこの地獄から抜け出せるのだと、そう思っていたのに。
――私を助けてくれる王子様は、いつになったら現れるの!?
誰もアクアフィーナを助けてくれない。
――いや、誰か、誰か……!
魔物ががれきの山を崩し、ぬっと姿を現す。絶望するアクアフィーナの視界いっぱいに、魔物の姿が見えた。
――死にたくない……!
反射的に目をつぶり、身を守るために精霊を呼び出そうとしたとき、魔物の後方で何かが爆発した。
「え……?」
アクアフィーナがハッとして見上げると、魔物の身体には大きな穴が空いていた。
魔力で硬化させたのだろう、大きな輝くクリスタル状のブレードを一振りでかき消して、着地の姿勢からすっと立ち上がったのは、軍服姿の人物だった。
――王子様……? ううん、違う、女の人……
「お怪我はありませんか」
声をかけてくれたセリカに、アクアフィーナはしばらく声もなく見惚れてしまった。
「――! 足が――」
血を流しているアクアフィーナに気づくや否や、セリカはさっと顔色を変えた。
【浄化】【止血】【縫合】
施してくれた魔術は下級のもので、一般兵でも扱えるようなありふれたものでしかなかったが、傷口は驚異的なスピードですぐにふさがった。強力で手慣れた技に、セリカの実力の一端が見えて、アクアフィーナは内心舌を巻いた。
セリカは半ば放心状態のアクアフィーナにすまなそうな目を向けてから、丁寧に頭を下げた。
「急に力の強い聖女が三人も現れたので、魔物にも動揺が見られるのかもしれません。今のが一番強いようですので、残りはじきに部下がすべて片づけるかと」
アクアフィーナはハッとする。
そうだ。あの魔物は強かった。
単独で、一撃のもと切り伏せる、などということができる相手ではないはずだ。
それでもセリカはそれをしてみせた。
――なんていう強さ……
「怪我をさせてしまいましたね。もう大丈夫です。こちらの不手際で恐ろしい思いをさせてしまって申し訳ありませんでした」
真摯な謝罪は、アクアフィーナの心に響いた。
過去、アクアフィーナが魔物にけがを負わされたとき、誰がこんなに心配してくれただろうか。
ぐずぐずするなだとか、もっとまじめにやれと叱られてばかりだったから、きっと彼らはアクアフィーナがいなくなっても涙ひとつこぼさないのだろうなと思っていた。
なんのために命がけで戦っているのか。
どうして聖女がアクアフィーナでなければならなかったのか。
答えはいまだに見つからない。
けれど――
そういえば、いつだったか、聞いたことがある。
魔物が現れ始めたイリスタリアに、強力な聖女がいる。
彼女は歴代の聖女の中でも最強の能力を持ち、ほとんど聖女のいないイリスタリアの魔物をひとりで防ぎきっているのだ――と。
イリスタリアの国内を落ち着かせるためにわざと誇張されたとおぼしきそのうわさは、遠くライネスにも届いていた。
アクアフィーナも、誇張だと思って本気にはしなかったそのうわさを思い出したとき――
急にあることが気になった。
――さっきかけた応急処置の魔術って、大怪我にも効くんだっけ……?
あれはせいぜい猫に引っかかれた程度の傷を治すためのものだ。普通は大怪我には使わない。
――本当に強い人、なのかも……
そうであってほしい、と思ってしまうのは、アクアフィーナが心のどこかで救世主を求めているからなのだろうか。
「歩けそうですか? もしもお辛いようであれば、救護班を呼びましょう」
「いえ、大丈夫です」
「では、いったん安全な場所にお連れします」
肩を貸してくれ、腰を支えてくれるセリカに、アクアフィーナは不覚にもドキリとした。
アクアフィーナよりも背の高い彼女に、つい恋人のようにすがりつく。
「恐ろしかったのですね。もう平気ですよ」
微笑んで受け入れてくれたセリカに、アクアフィーナは残っていた恐怖を癒された気がして、ドキドキが止まらなくなった。
それから我に返る。
――ダメダメ、この人は女の人なんだから、私の王子様になんかなれるわけないじゃない。
アクアフィーナの目標は、王子様と結ばれて、平和に暮らすことだ。
セリカに感じたほのかなときめきは気のせいだと思い直し、彼女に従って、避難をすることにした。




