襲撃(1/2)
――暴力にまで発展していなければいいのだけれど……
悪い予感が当たらないようにと祈りつつ、先ほどの場所に戻る途中、曲がり角で、泣きながら駆け出すアクアフィーナとすれ違った。
「待ってっ……」
「セリカ! ちょっと来い!」
走り去るアクアフィーナを目で追いながらも、セリカはハイスベルトを無視できなかった。
「お前、ライネスにだけは絶対に行くなよ。お前ごときいなくなってもうちの国にはなんの影響もない。でも、お前みたいな役立たずでもあの野郎にくれてやるのは癪だ!」
「それは命令ですか」
「そうだ! 私が命じる!」
「嫌だ、と言ったらいかがなさいます」
「はあ!?」
ハイスベルトの顔が怒りで歪む。
「お前……私に逆らえると思ってるの?」
ハイスベルトはまっすぐ歩いてくると、セリカに手を振り上げた。
魔物と毎日戦っているセリカにしてみれば、ハイスベルトの拳など避けるまでもない。
セリカを殴ろうとするその手をなんなくいなし、つかみあげる。
関節を極めると、ハイスベルトの怒りは頂点に達した。
「離せよ! おい! 私にこんなことしてただで済むと思ってるのか!? 私さえその気なら! お前の家はおしまいなんだよ! そのくらい分かれよ! 頭悪いな!」
セリカから離れようとあがくハイスベルトに、セリカはうんざりしながらも答える。
「……いいでしょう。あなたには権力がある。しかし、アクアフィーナ様たちには、あなたの権力が及ぶところではありません。泣かせるような行為は慎むのがよろしいでしょう」
「黙れ、私に意見するな!」
鬼の形相で喚き散らしながらも、ハイスベルトはセリカに腕を取られている。
セリカは、滑稽だと思う気持ちを止められなかった。
「アクアフィーナは私を裏切った! 心変わりの魔法を使うような破廉恥な女だと知ってたらそもそも求婚なんかしなかったさ! 私はおかげで大恥をかかされたんだぞ! 馬鹿女の躾をして何が悪い!?」
セリカはふっと鼻で笑った。
「……そうですね。私と婚約させられたのも不本意なら、素行の悪い娘をそうと知らずに掴まされたのも殿下にとっては不本意でしたでしょう。でも……」
「くそっ、離せ、離せよ!」
ハイスベルトには権力があり、セリカには従う以外の道などありはしない。
それでも、この場の力関係は完全に逆転していた。
「あなたのくだらないストレスのはけ口にしていい理由にはなりません」
「貴様ぁっ!」
完全に頭に来ているのに、手も足も出せないハイスベルト。
セリカは小気味よく感じながらなおもハイスベルトを締め上げ続け、彼が諦めて抵抗をやめたのを見計らって、手を離した。
「……許さないからな! お前、妹ともども、まともな縁談に恵まれると思うなよ――」
セリカはとっさにハイスベルトの頭を床に叩きつけた。
かなり痛そうな音がしたが、構っている場合ではない。
それまでハイスベルトの頭があった位置の壁が、えぐられたように消えてなくなっていたからだ。
「――魔物……!? なぜ……」
通常、魔物が出没する場所は決まっている。
封印された場所にほど近いとはいえ、いきなり結界が張られている場所の中に魔物が現れるとは。
セリカは十分な距離を取ってから、剣を抜いた。
「【金剛剣】」
同時に魔術で剣の性能を大幅に引き上げる。
結界の中にまで侵入できる魔物は非常に少ない。少なくともセリカは五年間の戦争で数度しか出会わなかった。
崩れ落ちた壁の狭間から姿を現した魔物は、シルエットだけなら人間のような形をしていた。しかしあるべき位置に目や口がついておらず、全身が禍々しい気を発している。
魔物は瞬きの間にセリカの目前まで迫り、鋭い爪を振り下ろした。受け止めきるまでにガリガリと刀剣にまとわせた魔力が削り取られ、セリカは数歩後退を余儀なくされた。
――……強い!
爪からの連続攻撃をなんとかしのぎきり、確信する。
――強いけど、倒せない相手じゃない!
「【招来】、綺羅星の主、加護をこの手に!」
精霊を呼び出し、加護をつけてブーストをかけると、セリカはためらわずに最大出力で切りかかった。強い魔力で溶かし尽くすつもりで、手持ちの魔石を砕き、全力で剣を振り抜く。
重い手ごたえを抜けて、剣が空を切ったとき、魔物の胴体は真っ二つに割れていた。
魔物はしばしば無から寄り集まって個体に変化する例が目撃されているが、消えるときもまた無に還る。
黒いインクのようなものに溶けていく魔物に安堵の息をつきながら、辺りに注意を配る。
あちこちで悲鳴とパニックが起こりつつあるのを、セリカは感じ取っていた。
「おい、どうなってる!?」
「魔物です。おそらく結界が破られたのでしょう」
屋上で魔物が出たときのための緊急連絡用の鐘が鳴り響き、建物を震わせる。
「はあ!? 不手際にもほどがあるだろう!」
「仕方がありません。現在、要塞内には新しく三人の聖女がお越しです。魔力の濃度が上がれば当然魔物も引き寄せられてきます」
「それを見越して対策を立てておくのが……」
ハイスベルトの説教を聞き流しつつ、セリカは哨戒用の魔力を飛ばして、各所をチェックしていった。
小さな魔物は放っておいてもある程度部下たちが倒してくれる。
しかしどこかに結界を破った魔物がいるはずだ。
その魔物には気を付けて当たらなければならない。
強力な魔力反応を目指して走っていると、ふいにまた女性の悲鳴が聞こえた。
***
――死にたくない、死にたくない!
傷ついた足を引きずりながら、アクアフィーナはひたすら身を隠す場所を探していた。
【治療】のほんのわずかな時を稼げればそれでいい。
一人のときに魔物に出くわしてしまったのは不運だったが、なんとかここまで逃げてくることができた。
物置のような場所を見つけ、隙間にどうにか収まると、息を潜めて魔物の反応を窺った。
とたん、すぐそばに強い魔力の波動を感じ、アクアフィーナは愕然とする。
――何……これ……!? 魔力の強さだけならライネスの魔物と同じぐらい……
ライネスであればこのクラスの魔物には、少なくとも百人の規模でチームを編成して駆除に当たる。
アクアフィーナ単身で立ち向かうには、あまりにも相手が悪すぎた。こうなれば、どうにかして味方を探さなければならないが、先ほど小型の魔物を倒したときに負ったケガがそれを阻む。
今下手に【治療】を使えば、魔物は確実にアクアフィーナの存在を嗅ぎつけて、こちらに向かってくるだろう。
――イリスタリアは安全な国だって聞いてたのに……!
アクアフィーナはずっと、魔物に怯えてばかりの人生を送ってきた。忌まわしい記憶がよみがえり、アクアフィーナの身をすくませる。
アクアフィーナの持つ最古の記憶は、小さな子どもが化け物に食われる場面だ。姉だったのだと、のちに聞かされた。
魔物は魔力を持っている子どもを好んで食べる。
小さな頃のアクアフィーナは何度も襲われ、死線をさまよった。
大怪我から奇跡的に生還したこともあった。何日も激痛に苦しみ、ようやく治ったころには、アクアフィーナはすっかり痛い思いをするのが苦手になっていた。
――魔物と戦うなんて無理。私は死にたくない、痛いのも苦しいのも嫌。
魔物が本当に嫌いなのに、アクアフィーナは特別な精霊の加護を持っていることが判明し、聖女としての高い適性を見出されて、軍に招集されることになった。




