ソンゴ・クーのツアコンで頭痛な日々
宇宙最速男、ソンゴ・クーは悪質なスピード違反の常習者。宇宙交通局の追跡をかわしきれず、とうとう重力牢に捕らわれた。
クーのまえに現れたゲン嬢は、冷凍刑100年の免除及び違法改造された彼の愛機キントゥーン号のスクラップ刑撤回をもちかける。
条件は、ゲン嬢がガンダーラ星にクーリングオフしにいく道中、クーがツアコンとして同行すること。
すったもんだのやりとりの末、クーはとうとう了承するが。
期間は365日。おまけに高額な商品を購入するため各所で借りた、ゲン嬢の借金も返済しなければならない。クーの頭の痛い日々が始まろうとしていた。
世界が、重い。
かつて反重力装置を使って、自分より百倍重い相手と寝技レスリングをしたことがあるが、その比ではない。
背筋を使って起きあがろうにも一mmも持ち上がらない。
それどころか、ミシミシと背骨からいやな音が発し、肺は必要な空気を十分に取り込めずにいる。
「くっそ……! これが噂の重力牢か……!」
思わず呻いた。
悪質な犯罪者が囚われる、脱出不可能な牢屋。
『宇宙最速の男』として有名な俺には、心あたりが多過ぎた。
が、悲観していなかった。
俺とズブズブのスピード狂メーカー達が、コネを使って釈放してくれるはずだ。
それに。
「ま、脳波でキントゥーン号を呼び寄せりゃ」
どうにかしてくれる。
「だぁーめ。貴方の愛機も捕まえちゃったもん」
軽い声に、なんとか眼球だけ動かす。
が、見ることが出来たのは、すんなりした足首までだった。
相手がかがみ込んでようやく顔が見えた。
ピンクの髪を三つ編みにした女性体が、紫色の目でまじまじと俺を見ている。
宇宙時間で言えば、生成二十年にプラスマイナス一・二年だろう。
「はじめまして、ソンゴ・クー。私は宇宙交通局特別顧問、重力調整官のゲン嬢。貴方は交通違反により逮捕されました。累積減点がものすごーく、当局は非常に悪質と判断。百年の冷凍刑が確定しました」
とっさに頭のなかで賃貸契約が浮かんだ。
ヤサを借りられるのは、宇宙時間であと一年。
期間が過ぎたら、大家は遠慮なく私物を没収するだろう。
といっても、金が入れば愛機の改造につぎ込んでいるから、金目なものはない。
しかし。
ときたま指名手配されたりする、ちょっとばかし有名な俺がホイホイ賃貸契約を結べるわけもなく。
借りまくった金を積んで、ほうぼうに頭を下げる面倒は、できれば避けたい。
……捕まった惑星での百年ならば、宇宙時間の三か月に満たないから問題ない。
安心しかけたら、爆弾が投下された。
「無許可改造を繰り返したキントゥーン号はスクラップ」
「なっ! アイツにいくら金をかけたと……!」
勢いよく抗議したつもりが、唇から漏れでたのはひゅうひゅうという呼吸音ばかり。
ゲン嬢は俺の口の形から文句を読み取ったようで、にっこりと笑った。
「違法改造しなければ、そんなにかからなかったんじゃない?」
正論だ。
「弁護士を」
「必要ない。陪審員は全員一致で、貴方の有罪が確定した。それに部品を提供していたはずの宇宙艇メーカー達は『知らない』って言ってきたわ、不思議ね?」
つまりは庇ってくれる奴はいないということだ。
「私と取引したら、罪を帳消ししてあげる」
「ハ」
そういうことかよ。
お綺麗な役人なんているわけはないが、こうまであからさまなのは久しぶりだ。
「試しに、どんな取引だ?」
「私ね、ガンダーラ星までクーリングオフしに行かなくちゃならないから、貴方をツアーコンダクダーに雇いたいの」
「は?」
発売元の星に出かけるのは仕方がない、クーリングオフ制度のルールだからな。
だが行く先について、このお嬢さんはなんと言った?
「正気か? ここから何億光年先だと」
亜空間航法を使っても、どれだけ時間がかかると思ってるんだ。
まあな?
最速を誇る愛機と、宇宙を知りつくした俺ならば楽勝だけど。
俺をツアコンに指名するなんてこの娘、見る目があるじゃないか。
承諾しかけ、彼女の表情が気になった。
「……他にも。なんか、あるな?」
これはもう、野生の勘というものだ。
「あのねー。すごーく高くってぇ、色々なところからお金借りたの」
つまりは宇宙金融に手を出したってことか。
「利息分は出してもらえたんだけど。『クーリングオフしてお金返さないと、結婚しない』って言われちゃったの」
「は?」
ウチキンがなんたるかも知らないで結婚かよ。家庭経営ってのは星一つ経営するより難しいって聞くぞ?
頭痛の気配。
「……相手にとっては、あんたと結婚しない方が正解なんじゃねえの?」
「違うもん」
ぷうううと頬をふくらましたって、可愛くないから!
………うーんむ。
俺とキントゥーン号なら、やってやれないこともない、か?
「ちなみに、何ヵ所から借りた」
「えーとぉ」
おいおい。
何十回、指を折ったり曲げたりしてんだよ!
やばい。
色々危ない橋を渡ってきたが、この話は厄介ごとの匂いがプンプンする。しかも超弩級だ。
まだ、重力牢からの脱走ルートを考えたほうが健全だ。
「断る」
「ふーん、断るんだぁ……。ね、クー。これ、なぁーんだ?」
目をキラキラさせたゲン嬢は、魚をヒラヒラさせてみせた。
「あ? ……ギャラクシイ・ブルー・フィッシュじゃん」
ドライフレークやフライになって、広く出回っている奴だ。
新鮮なうちは、生で食うと美味いんだよな。
「って、まさか!」
なんで俺の秘密を知ってる?
自分の顔が青ざめているのがわかる。背中に冷たい汗が湧いて、流れ落ちていく。
……ま、体感だ。重力下にあって体液も自由に動かんし。
ゲン嬢が、にーっこりとのたまう。
「宇宙最速の男は、地上でもアシが早い。魚よりアシが遅いなんて、貴方のプライドが許さないもんね?」
アシが早い、つまり痛みやすい。
俺の負けん気は、魚よりも早く腐ろうとしてしまう。
「よせっ!」
恐怖にかられて叫んだ。
……もう肺が押し潰されてて、声は出なかったけど。
「どーおーすーる~?」
ちくしょう、俺の負けだ。
「わかったよ、重力を緩めてくれ」
「了解」
輪っかを頭に嵌められてから、体が軽くなった。
「なんだ、これ?」
手錠の一種か。
ずらかりさえすれば、なんとかなる。
「ふふー。これ、便利なのー。少しでも逃げ出そうとするとねー?」
途端、巨人の手で頭が握りつぶされそうな感覚が襲う。
「うがぁっ!」
「じつは円環の内側に重力発生装置を仕込んでおりましてぇ……」
「せ、説明はいい! やるからっ」
「はーい」
ぐったりした俺の前に、ゲン嬢はふんふんと鼻歌を歌いながら、宇宙地図を展開させた。
緑の光点はわかる。距離と方角からしてガンダーラ星だ。
「……この赤い光点はなんだよ」
交通局の取締地域だとすれば、まばら過ぎる。
「んっとね、借りた金融の場所」
「おまっ、どんだけ借りたんだよ!」
百じゃきかないぞ?
「だから、クーを雇うんだけど」
「……………………わかったよ。それぞれの返済期限」
ぱっ、と地図にカレンダーが表示された。
「マジか」
上段にその星の自転時間。
下段に全宇宙統括政府が置いてある惑星の自転時間、いわゆる宇宙時間が書いてある。
が、返済日がまちまちなうえ方角がぐちゃぐちゃなのだ。
気を取り直して質問する。
「あと、クーリングオフ期間」
「宇宙時間で三六五日」
俺は目を剥いた。
「は? そんだけの期間で、この光点全部回れってか!」
「だってー。一つの金融サイトで借りるとね、『綺麗なお嬢さん、ウチからも借りてくれませんか』って誘ってくるんだもん」
「……それが奴らの手なんだよ……」
「『借りてくれると金が喜びますよ』って言うからぁ」
やめた、百年の冷凍刑のほうがマシだ。
俺が立ち去ろうとしたら、魚と重力のコンボに見舞われた。
「っあ……! う、ウ」
あまりの痛さに頭をむしったら、毛がごっそり抜けた。髪の毛が絡みついた爪がみるみるうちに黒くなっていく。
「やん。クー、さっきまでイケメンだったのに、グロくなった」
おまえがムッとすんな。
「誰のせいだ! ……ったく。旅程日程組むから、おとなしくしてろ」
あああ。
綿密にスケジュール組まないと、即アウトだ。
ウチキンの利息率と取り立て、半端ないからな?
散々借金取りから逃げ回ってきたのだ、断言出来る。
俺が必死に距離やら速度、光速エンジン用のエネルギースポットや返済期限日を計算中なのに。
なんとゲン嬢、こともあろうに通販サイトに次々アクセスしだした。
「なにやってんだ! あんた、これから返済ツアーだっていうのに、これ以上借金増やすなっ」
「えー? だぁーって、『可愛いお嬢さんが着てくれると嬉しいなハートマーク』って書いてあるよ?」
だから可愛く首を傾げるな。
頭のなかで、ずっきんずっきんと脈打つ音が聞こえるのは幻聴であってほしい。
「……あのな……、金持ちのリッチツアーじゃねぇんだ。服なんて繊維生成装置がありゃ、要らねえの」
「やん、そんなのつまんない」
はああ。
ほんっと、このお嬢さん世間知らず。じゃなくて、宇宙知らずだ。
どんな金持ちの家に育ったらこうなるんだ。
「……親の顔が見てえ……。大体な、宇宙艇に積み込みできるスペースは僅か。そこに燃料七割、食料二・八割、積荷搭乗員合わせて〇・二割をぶち込むんだ。余計な物を積み込む余地なんかない」
「せっかくお洋服買ったのにぃ。じゃあキャンセルするねっ」
ぎょっとした。
「って、それもクーリングオフの対象かよ! いつまでだ、どこにだっ」
宇宙地図にもんのすごい数の、赤の光点が出没した。
「頭が痛てぇ……」
「私、今は重力使ってないよ?」
「言葉の綾って知らんのか」
のち、うっかり呟いちまった一言を俺は後悔することになる。