傘と魔法とポストアポカリプス
自己増殖システムが暴走し自動生成された都市が世界を埋め尽くし、空からは終末戦争の傷跡である毒の灰が降り続ける世界。
その最下層で増殖する都市を探索し遺産を回収する『盗掘家』として生計を立てている少年、エルデはある日、何不自由なく生きられる世界の上層から迷い込んだ少女、ソラに出会う。
最下層の世界で生きる知恵以外の何もかもを知らない少年。
最下層の世界で生きる知恵だけは知らない、博識の少女。
この過酷な終末の世界を生きるため、二人は今日も都市を駆ける。
今日の天気は「曇りのち灰」だとエルデは聞いていた。
だから、今日の盗掘はもう終わらせて帰ろう。
そう考えていたのだが。
「てめえら、絶対動くなよ」
どうも、そんな日に限って厄介事が舞い込むのはこの世の常らしい。
「まだ死にたくはねえだろ……?」
喉に突き付けられたサビだらけの剣を見て、少年は溜息を付く。
名をエルデ。
この場から6キルロ程東にある人類の生存圏の一つ、階層都市セフィラ底区で暮らす盗掘家である。
彼は周囲の状況を目だけ動かし探る。
昨日の灰が溶け残り薄く積もった、森林よりなお密集した家屋や高層建築。
世界を埋め尽くす自己増殖都市の見飽きた光景だ。
この場にいる人間は、剣を自分に突き付けている強盗の頭。
部下が一人。
へたり込んで呆然としている、虜囚と思われるボロ布を被せられた少女。
逃げるか。
判断に要した時間は一瞬だった。
逃走経路を導き出し、行動に移そうとし。
そこに、間が悪いことに風が吹く。
他の三人は耐えたが、一人の体が動いてしまった。
強盗の部下だ。
彼は、バランスを崩してふらりと一歩前に足を出す。
「あ」
彼らの足場、横向きに生えたビルのガラス窓を靴が叩く、コ、という小気味いい音。
数秒と経たず、彼は死んだ。
一瞬だった。
最期に彼の目に映ったのは、数十本の人間の腕。
異形が彼の足元にある窓を突き破り殺到し、ビルに引きずり込んだのだ。
その姿が消えてから一拍を置き、窓から血が噴出する。
彼は六人目の犠牲者だった。
エルデは舌打ちする。
強盗に襲われた、という不幸は前座でしかなかった。
それとは比べ物にならない怪物と出くわす羽目になるとは。
「何故……ジバクシュがここに……!」
足元のガラス窓の下では、無数の腕とそれの根本となる肉塊が揺れていた。
ジバクシュ。
『天底』と呼ばれる増殖都市の最奥部を本来の住居とする、特級の危険生物である。
「ク、ソッ!」
部下の末路に己の未来を幻視したのか、強盗の頭がエルデに背を向けて駆け出す。
当然それは地下の捕食者に感知され、無数の腕が襲い掛かる。
「ウゼえんだよザコが!」
だが、その腕は彼の足元から生えた石の刃によって切り裂かれる。
落とされた手首から零れ出すのは青紫色の血。
それを見て、エルデはひ弱に見える強盗の頭がその地位を維持できていた理由を理解した。
灰術。
空から降る灰に含まれる『星片』を用いて起動する異能。
日々を必死に生きるエルデには、自身が使おうと思わない余計な知識は最低限しかない。
だが、使用者が技術を独占する程度には便利な代物である事を知っていた。
「ゲホッ!」
同時に、それが長続きしない事も。
石刃の生成はすぐに止まった。
強盗の頭は懐から青白く輝く液体の入った瓶を取り出し、内容物を口に含む。
盛大にせき込み、口端から血が流れ出す。
旧世界の終末から世界に降り続ける灰は心身を侵す毒物でもある。
神の奇跡を行使する灰術師は、その代償に命を削る必要があるのだ。
「あ、ぎ」
だが、彼の吐血は粗悪な灰液を飲んだという理由ではなかった。
喉を通し星片を補充し、次の灰術を撃つ前に、腹がジバクシュの腕に貫かれていたのだ。
「だ、助げ」
血の塊と共に、ごぼりごぼりと濁った言葉が漏れだす。
駄々をこねる赤子のように両手が振り回され、懇願の目がエルデと少女を順に見る。
彼が引きずり込まれるのを、エルデは無言で見送った。
今の攻防を見て、理解できた。
灰術の力を以てしても一時しのぎすら困難な相手であるという事が。
だが、逃走は難しい。
先は一度考えた選択だが、人間の機動で逃げ切れる相手ではない。
覚悟を決め、エルデは背から自身の得物を引き抜く。
「やるしかない」
あの強盗の頭と共に戦えたら、状況は少し違ったかもしれない。
話を付けるもなく死に急いだため、どうしようもないのだが。
言うなり、エルデは左足を地面に叩きつけた。
振動を機敏に感じ取り、冥府からの腕が襲い掛かる。
次いでエルデが構えた武器に、少女は驚愕に目を開く。
彼の手に握られていたのは、雨除けの道具、傘だったのだから。
────彼らが置かれる遺構探索という特殊な環境は、命を預ける武器にもいくつもの条件を要求する。
殺到するジバクシュの腕。
その三本を、突きの連撃で弾き飛ばす。
──大前提だが、武器として使用できること。
しかし、三本という数はジバクシュの腕の十分の一にも満たない。
先行した数本の腕は、エルデの四肢を引き裂かんと掴みかかり。
「ッ、と!」
それは、開かれた傘によって防がれ標的に辿り着く事は無かった。
──軽装の彼らは一度の被弾が命取りとなるため、咄嗟の防御に優れていること。
とはいえ、いくら強強度の素材といえど、このレベルの怪物の攻撃を受け続けては突破される。
ただの人間が正面から殴り合うなど愚の骨頂。
エルデはジバクシュに向けた傘を正しく、雨を避けるように構える。
直後に一陣の風がビルの隙間を吹き抜けた。
読み通り。風の予測は盗掘家の基本技能だ。
彼の体は、傘が受けた突風により宙へと勢いよく浮かび上がり、ジバクシュの腕は虚空を掴む。
──高低差の激しい遺構探索において、落下事故を防ぎやすい事。風を利用できる事。
そして、一本の武器がこれら全てを兼ね備えている事が望ましい。
無茶ぶりともいえる条件を満たす回答は、意外にも兵器ではなく日用品の中にあった。
幾人もの職人が己の技巧を凝らし完成させたその名を『戦傘』。
足場から六メルトルは飛び上がったエルデは、柄に仕込まれたスイッチで一瞬にして傘を折り畳む。
風を受ける帆を失い、その身は重力に惹かれて一本の槍となりジバクシュの本体に高速で落下した。
青白く血管の浮いた肉塊に深々と傘が突き刺さり、水を開けた風船のように血と人骨が噴き出す。
遺構探索は、言うまでもなく命懸けの仕事となる。
自動生成システムの暴走により拡張され続ける増殖都市。
彼らは、刻一刻と変質する都市という名の迷宮を駆け抜ける。
道を阻むのは、異形の進化を遂げた原生生物や防衛機構。
休む間もなく死が襲い来る魔境を知恵と勇気で掻い潜り、眠る古代の遺産を入手し、地上に持ち帰る。
「……何とか、殺せたか」
傘という名の武装は、そんな彼ら『盗掘家』が生ける神話だった時代の象徴である。
ただ、一つ言うならば──
ほっと一息ついたエルデは、異常に気付く。
脇腹の異物感。
そこには、ぬるりとした血と背後からエルデを貫いた青白い腕があった。
──ここにいるのは、英雄でも神話の存在でもない、この世界の底を這いずる下級盗掘家という事だ。
「ぐッ……!」
焼けるような痛みに、エルデは倒れ込むように身を前方に投げ出す。
瞬間、エルデが居た場所に腕が殺到する。
受け身を取ったが、逃避がそれで叶うわけもなく。
蛇のように地を這い迫る腕。
死。
この世界にありふれた一文字が、エルデに迫る。
エルデの傍には、怯える少女。
囮、という単語が彼の脳裏に浮かぶ。
彼は英雄でも何でもない。
必死に生き、何でも利用してきた。
普段ならば、盗賊の虜囚である彼女を助ける良心はあったのかもしれない。
だが、非常時なら話は別だ。
「取引を、しましょう」
しかし、エルデの思考は少女の言葉と目の前の状況に打ち切られた。
ある一点を通った途端、ジバクシュが火に包まれたのだ。
青白い炎の中で、無数の腕が苦しそうに踊る。
灰塵爆発、という現象だった。
灰に含まれる星片は、塊の状態で衝撃を受けると励起し連鎖的な爆発を起こす。
少女が、エルデとジバクシュの攻防の隙にかき集め踏み固めた灰である。
爆風が、少女の羽織っていたボロ布を剥ぎ取る。
その下にあったのは、濃紺の服に包まれた狐の耳と尾。
「お前、頂区の」
エルデの声には憎しみが混じる。
耳と尾に因縁があるわけではない。
狐人など、ありふれた種族だ。
問題は服装の方だった。
その服は、旧世界の雑誌で見た学生服なるものに似ている。
教育機関など、底区には無いものだ。
加えて灰燼爆発などという、エルデの知らない物理現象。
エルデの中で二つの要素が繋がり、少女の素性を導き出す。
彼女は、この世界の上層でのうのうと生きていたのだと。
「私に、あの化物をなんとかできる作戦があります」
ぶつけられる負の感情を無視して、少女は言葉を続ける。
いや、無視しているのではないとエルデは気付く。
涙を浮かべ震えている。
胆力があるわけではない。
ただ、生きる事に必死なだけなのだと思った。
自分と、同じで。
「でも、お前にアレを倒す力は無い」
エルデは、そんな少女に残酷な現実を告げる。
上層のお嬢様がこんな場所にいる理由は知らないが、いけ好かない。
でも、生きるためなら何でも利用するのが自分だろう? と内心が囁く。
だったら、と思考したのは、同時だった。
世界の最底辺で生きてきた、その手立て以外何も知らない少年の。
世界の上層で生きてきた、しかし世界の底で生きる術は知らない少女の。
「「二人で、生き残ろう」」
全く真逆の二つの声が、重なった。





