追想紙
これはおれの追想です。
これはおれの心です。憧憬です。執着です。恨みです。身勝手な愛です。憐みです。思い出です。あの日の影です。最後の一瞬まで残しておきたい記憶です。
これは、おれからふたりへの手向けです。
五十日祭の帰りに形見分けとして先輩のご家族から貰ったのは、濃紺の大きな紙袋だった。袋の口からはラッピング材らしき桃色の不織布と透明な袋、そして橙色のリボンが少しだけ見えている。
「プレゼント用に包まれていて、カードにあなたの名前が書いてあってね。だからこれはあなたが持って行ってくれませんか?」
「……ありがたく、頂戴します」
遺影を見ても、供物を見ても、それこそ最期の別れの際に遺体を見ても、現実とは思えなかったのに。先輩がおれにくれるはずだったという紙袋を、あの人とは違う老年の男が渡してくることが、手にずしりと響くその重さが、指に食い込む紙紐の感触が、いっそ喜劇かと錯覚してしまうほどに「先輩は死んだのだ」という現実を伝えていた。
先輩が亡くなったと連絡があったのは、病に倒れた共通の友人の葬式から二月ほど経った頃だった。最初は何のジョークかと電話をぶち切ろうとしたが、父親と名乗る男の話を聞いていると、どうやらそれは本当のことらしかった。死因は、交通事故。当たり所が悪かったのか、即死だったそうだ。
納棺師という職業柄、遺体というのは嫌と言うほど見慣れていた。人の死体というのは穴という穴から血が噴き出しているような身体だろうが、苦悶の表情に彩られた死に顔だろうが、結局のところ等しく冷たく重い人の身体をした大きな肉の塊。
それに化粧や処置を施し、衣装を着せて尊厳ある人間に戻すことが納棺師の本分である、とおれは思っている。この倫理観は各方面から規制がかかっているものの、人の考え方はそう簡単には変えられない。変えるつもりもない。それは紛れもない事実なのだから。
けれど、それでも。それでも、いざ親しい人間の死を目の当たりにすると。人というのはこんなにも虚無感に襲われるのか。
病で先に常世へ行ってしまった友人は痩せ細って、とても小さくなってしまっていたけれど、運と処置が良かったのか、安らかに美しく、幸せそうに棺の中で眠っていた。施された化粧もあの子好みで美しく、可愛らしかった。
あの時は一人じゃなく、隣に先輩がいて。
先輩は静かに、穏やかに、悲しそうに微笑みながらあの子へ「よく頑張ったね」と声をかけていた。おれもその隣で、「よう頑張ったよ、本当に。おれも早めにいけるように頑張るから」と声をかけることが出来た。その後先輩にどつかれたけれど、気にも留めていなかった。おれは確かにあの子の死を受け止めることができた。そう思っていた。
しかし、あの人は。先輩まで、おれを置いていってしまった。ひとりで親しく思う人の遺体は、見たくなかった。
色の落ちた顔。冷たい手足。棺に横たえられた身体は一見綺麗に見えるのに、眼は処置が遅かったのか、薄く薄く開いていて。やはり処置をしなければ、人間の遺体というのはただの肉の塊なのだということを再確認した。ああ、おれが化粧を施してあげられれば良かった。血色良く見せるためなのかもしれないがセンスがない。こんなどぎついピンクの口紅なんて、先輩の好みじゃない。処置だってもっと根性出せよ。ガムテープでも何でも使って生前の姿に近づけろ。普段の先輩なら、こんな顔、決してしない。こんな姿、先輩じゃない。
人の死というのは遺体を見て感じるのではなかった。ある一つの瞬間に、強烈に「その人間はもうこの世にいない」ということがこの身にたたき込まれるのだと知った。葬儀で夢のようだった先輩の死は、最期の贈り物と共にやってきた。良い感覚じゃない。こんな感覚、あんまりだ。
アパートに帰って最初にしたのは、黒のヒールを脱ぐことだった。うっすく施したメイクを落とし、喪服を脱いで、くったくたの部屋着に着替え、ベッドに倒れる。今日は休日で、明日から五日間の有給。職場からも「ゆっくり休め」と代わる代わる声をかけられた。普段はイベントや美術館に行くよりもきりきり働けと社長も部長も課長も言っていたのに、なんてことだ。そんなにひどい顔をしていたのだろうか、おれは。
ベッドに倒れたら、もう何もしたくなかった。普段なら暇つぶしに触るスマホも、大好きな怪奇小説も、薄い漫画も、今は手に取る気すら起こらない。けれど目を閉じたくない。
閉じれば必ず、あの子と先輩が出てくる。
黒い総レースのワンピースがとてもよく似合う可愛いあの子。腕には銀の華奢なブレスレット。染めたことのないぬばたまの髪は美しく風になびいて、まるで夜を統べるお姫様のよう。
対する先輩は橙がかった枯葉色のシャツワンピースと重い生地でできた紅色のフレアスカート。髪に挿している簪は、金木犀の蜻蛉玉だろうか。その姿は、夕焼けに溶けるようで。
まぶたの裏であの子は美しく愛らしく微笑んで、先輩は静かに佇んでいた。
受け入れたと思っていたあの子の死は、実は受け入れられていなかった。
先輩の死をついさっき自覚してしまった。
まぶたを閉じるとその事実が突きつけられる。
どうしても、信じられなかった。
「ふたりとも、死んだなんて嘘でしょう」
こんなにも鮮やかに思い出せるというのに。
ただただぼうっと時間だけが過ぎていく中で、ふと視界に入ったのはあの紺色の袋だった。贈り物だと、言っていた。のろのろと起き上がって紙袋を手に取り、中をそっとあさってみる。橙色のリボンを解くと、入っていたのは箱に入ったろうそくの火のような色のガラスペンと小瓶に閉じ込められた色とりどりのインク、そして和綴じの帳面が三冊。
どこで見つけたんだ、あの人は。
先輩はいかにもアナログなものが好きだった。絵を描くにも文を書くにもデジタルで全てが済んでしまうこの時代に、紙と鉛筆と画材で絵を描き、原稿用紙と万年筆で文を書くことを好んだ人だった。
『書くときに手に伝わる感覚が好きなんだよねえ。色も、ものも綺麗でしょう。思った通りの色や形にならないことも多いけれど、そこが良いんだよ』
実に先輩らしいチョイスだった。
箱を見ればガラスペンはイタリアのものだし、インクも和綴じの帳面も個人の店で作られたもの。どれもこれも結構な値が張るはずなのに、あの人は。いくらつかったんだ。
『可愛い後輩への贈り物に、私がけちるわけないでしょう』
夕焼けの笑顔で持てるものの証左のような台詞を、きっと先輩は言うに違いない。今までなら見るからに高そうなものは丁寧にご遠慮申し上げていた。三倍返しにするぞと脅すこともできた。けれど、もはやそれらを行うことはできない。その現実が、こんなに辛い。
「先輩、最期の贈り物なんて洒落になりませんよ。勝ち逃げですか」
おれに、格好もつけさせてくれないんですか。
泣くこともできず、叫ぶこともできず。ただ贈り物を眺めていて、ふと、思い浮かんだ。
……これを使って、物を書いてみようか。
先輩やあの子の姿も。声も。服装も。今までのやりとりも。全部、全部、おれの中に残っている。
それらを先輩からの贈り物を使って、全部全部書いてみようか、と。
おれ以外に誰の需要があるのか。いや、ない。おれしか見るものはいない。あの先輩だったなら、おれのたった一人の可愛い友人だったなら。あのふたりだったなら、きっとおれの文を読みたいと心から言ってくれたに違いない。誰よりも真剣に読んで、可愛いあの子は真顔でおれを見ながら圧のすごい感想をくれたに決まっているし、あの人だったならきっと日本語の間違いを指摘しながら「よい文だね」と落ち日のような笑顔で褒めてくれただろう。
けれど、ふたりはもういない。
そう、誰も見ることはないのだから。つまり、好き勝手に書いていてもかまわないということだ。文法も形式も漢字の間違いも知ったことか。人に見せるものならいざ知らず、おれの他に見る人はいないんだから。
かつて先輩はこんなことを言っていた。
かの「枕草紙」は宮中でのやりとりや筆者である清少納言の日常に感じたことだけが書かれたわけではない。その本質は彼女が最も愛した己が主、中宮定子への礼賛だ、と。
無論それは先輩の考えの一つに過ぎず、彼女自身も可能性の一つだと自嘲していた。しかし今回はその考えに全力で乗っかろうと思う。おれが先輩の遺した草紙に書くのは、可愛いあの子や先輩とのやりとりだ。かつての日常だ。彼女たちへの礼賛で、今もなお続く愛しさで、悲しさで、ほんのわずかの恨みだ。
さて、書くことを決めたならまずはこの帳面に名前をつけなければ。どんな名前が良いだろうか。せっかくの和綴じの帳面なのだから和風が良いだろうか。そんなことを思いながら表紙を捲り、ほのかに黄みがかった白い紙をそっと撫でて、最初に使うインクを選ぶ。ここはやはり草紙にかけて薄緑や深碧のような緑系統の色が良いだろうか、けれども濃紺も深紅のインクも綺麗で捨てがたい。さてどうしようかとさんざん悩んで、結局選んだのは、無難な墨色のインク。なに、慌てる必要はない。小瓶のインクはまだまだたくさんある。思い出したとき、思い出せる限り、その時の気分の色を使って文字を書こう。
次は文章を書かねば。最初は何を書くべきなのかを考える。失敗はできない。おれしか見ることはなくても、最初の文だけはおれだけのもので、おれだけのものじゃない。……ペンにインクをつけ、息を整えて最初の一文を綴る。
ふたりへ。
これはおれの追想です。
これはおれの心です。憧憬です。執着です。恨みです。身勝手な愛です。憐みです。思い出です。あの日の影です。最後の一瞬まで残しておきたい記憶です。
これは、おれからふたりへの手向けです。





