専従魔術師は喪失中~大嫌いな王様と≪真実のキス≫をしなければ死ぬそうです~
十五歳にして王の専従魔術師を務める医薬魔術の大天才、キルシェは窮地に陥っていた。
師から呪いをかけられた。
お互い忌み嫌っている王、ルドルフとキスしなければ七日後に死ぬ。
断腸の思いで呪いについて打ち明けたキルシェに、稀代の魔術師を失えない王も腹を括った。
しかし彼の指へ、頬へ、あまつさえ唇へキスをしても呪いが解ける気配はない。
≪真実の≫とは恋人同士のキスなのではないか? 王の指摘により全てが終われば忘却薬を使うことを条件に惚れ薬を飲んだ二人。
けれどこんなに大好きになっても呪いは消せない。
──そもそもなぜ師はこの王への不敬罪にも当たる呪いをキルシェに掛けたのか。
タイムリミットに焦る中、キルシェはルドルフ王の幼馴染として、故郷で過ごした幼少期の記憶を取り戻し――
「――王様になるならこの想い出はいらないね」
そう、そうしてキルシェはこれまで、王と自身の記憶を奪い続けてきたのだ。
「――もう行かないと」
澄んだ青空に響く鐘の音に、キルシェはクッキーを摘む手を止めた。その呟きに同じテーブルで歓談中だった令嬢たちは一斉に残念そうな顔をした。
普段は与えられた城の私室兼実験室に引き籠っている彼女だが、宮廷の庭園でのお茶会にだけはよく顔を出す。
庭園には多くのテーブルが設えられ、甘いお菓子や紅茶、軽食が饗されていた。色とりどりの季節の花が咲き誇るそこは貴族たちのお気に入りであり、格好の社交の場であった。中でも春である現在は隣国から贈られたサクラが盛りであり、美しく儚いその花に貴族たちは毎年のことながら夢中になる。その中でくたびれた黒のローブをぞんざいに羽織っただけのキルシェは、花に負けじと色鮮やかな貴族たちの中では浮いていた。
よく見れば幼い顔立ちは愛らしく、素材自体は悪くない。丸い金の瞳にそれを縁取る長く細やかな白銀の睫毛。滅多に日の下に出ない肌も淡雪の白さだ。しかしやや毛先が桃色を帯びた白銀の髪はぼさぼさで、しかも大きな黒縁眼鏡でその容貌を隠してしまっているのだから、おおよそこの社交の場では敬遠される風体だった。
その上キルシェは貴族ではない。隣国との境にある、貧村の出だった。けれど少女は十五歳にして最年少の宮廷魔術師であり、内でも五名しかいない、王の傍に侍る専従魔術師という肩書きを持っていた。医薬魔術の大天才として、王の主治医として名を馳せている。
だから実際はいつも誰もが我先にとキルシェをお茶に誘う。そして今日も真っ先に彼女の汚れたローブを掴んだ伯爵令嬢とその友人たちと、午後のひと時を過ごしていた。
今日の話題は現王ルドルフへの恋心について。一度恋の秘薬についての相談に乗ったことがきっかけで今では密かに恋愛薬の専門家とまで呼ばれるキルシェに、その手の相談は事欠かない。しかしキルシェ自身は初恋すらもまだの初心であった。
席を立とうとするキルシェの薬品で荒れた手を、やわい可憐な指先で令嬢は引き止める。
「もう少し、キルシェ様」
「申し訳ない、マーガレット嬢。これから師と会うんだ。なんでも隣国に旅に出るそうで」
「オウレイ国に?」
「そう。内乱が落ち着いたようだから」
「ではお引止めできませんわね」
再度キルシェが謝罪を述べかけたときだった。華やかな悲鳴がそこかしこから上がり、キルシェはその原因を認めて顔を顰めた。
周囲の者が続々と席を立ち、近衛を従えたある男に向かって一礼している。まだ年若いこの国の王、ルドルフがお茶会に現れたのだ。
「おや、美しい花の中に一輪みすぼらしいものが混じっているな」
周囲に姫君たちを纏わせて、厭味ったらしく王はキルシェの元へとやってくる。いまだ椅子に腰を下ろしたまま、キルシェは嫌々ながらそちらへ顔を向けた。
「陛下こそ、随分としまりのないお顔をなさっておられる。隣国を招いての舞踏会の準備にお忙しいはずですが、こちらにいらっしゃる余裕がおありとは」
「そういうお前はどうなんだ? 今回の舞踏会からの逃亡は絶対に許さないからな」
キルシェはにやりと笑って胸を張った。
「私は医薬魔術の専従魔術師として、皆々様の相談にお答えしているので。お仕事です」
「少しはそのこましゃくれた口を閉じて、格好をどうにかすれば僅かでもまともな見てくれになるだろうに」
「美しく装うのは私の役目ではありませんから。私は花ではなくこの国の花をお育てする土壌ゆえ、このように薬品にまみれているのが相応しいのですよ」
「お前の口上を聞いていると頭が痛いな」「私もです、我が王」
残った紅茶を一息に煽り、キルシェは席を立った。そして心配げに自身を見つめている令嬢へとそっと耳打ちした。
マーガレットは恋するルドルフと親密な関係になるために、特別なパフュームの調合をキルシェへと依頼してきたのだ。キルシェはそれを、明日には届けると彼女に伝える。
頬を染めてマーガレットは頷いた。
「おや、モテモテだな、専従魔術師殿」
「お戯れを。日々可憐な花々をお傍に置いていらっしゃる陛下ほどではございません。では私はこれで。皆様、陛下。ごきげんよう」
キルシェはローブのフードを目深に被り、ひらりと軽やかな物腰で一礼した。
キルシェは九つのときに故郷から王都へやってきた。育ての親でもある師、ヴァネッサは才能あるキルシェにより高度な学びの場を与えるため、宮廷魔術師の任用試験を受けさせたのだ。
ヴァネッサは自身もまた偉大な魔術師ではあったが宮廷魔術師の誉は望まず、王都の外れで魔法薬の店を営んでいる。
「ただいま戻りました、師匠」
自宅兼店舗に入ってきたキルシェを一瞥し、師は素顔のまま美しく笑った。彼女はその美貌を隠すべく大抵は仮面をつけているため、彼女の素顔にはキルシェは今でも見惚れてしまう。
外した愛用の仮面は傍らのトランクの上に乗せてあり、どうやら旅の間も重宝されるらしい。
「おかえり、キルシェ。もう出るところだ」
「そのようですね。間に合ってよかった」
「宮仕えの調子はどう?」
「ぼちぼちです。専従になってもう二年ですし」
「それにしちゃ顔色が冴えないが」
「ああ、いえ、これは……」
言葉を濁すキルシェに、ヴァネッサは嘆息しながら真紅のローブを羽織った。
「また陛下がらみだね? どう、うまくやっている?」
キルシェは、途端に渋面を作った。
「……いいえ。いいえ、師匠」
目を逸らし、苦々しくキルシェは否定した。
お互いの優秀さは認めているものの、キルシェとルドルフは性格の面においてはまったくそりが合わない。
「お前、本当に王が嫌いだねえ」
「はあ、治そうとは思っているのです」
誠意のない口調でキルシェは応じた。
魔力持ちは今でも迫害の対象だ。普通の人には見えないものを見、摩訶不思議な術を扱う。前王の時代に魔力持ちに対する保護法はできたものの、まともに機能しているのは首都周辺のみ。
ルドルフは前王以上に魔術師を重用し、その地位向上に努めている。だから魔力持ちとしてルドルフに感謝はしている。
だが嫌いだ。そうだ、嫌いなのだ。目の前にすると怖気がはしるほど、キルシェは心底彼のことが不快だった。
「そんなことでは、この先どうする?」
ヴァネッサは深い溜息にキルシェは眉根を寄せ、訊ね返した。
「この先? この先がなんだというのです。今まで通り、我慢すればいい」
「王もそろそろ婚姻の時期では?」
「は? ええまあ。おかげで恋の秘薬の相談が後を絶ちません。今回の舞踏会もオウレイの姫君との見合いの意図があるとかなんとか、ただあの方はまだお遊びが楽しいようで」
「お前は王が誰かの夫になっても構わないの?」
「はあ? なぜ私が? 師匠、その言い方では私が王に恋慕しているように聞こえる」
この質問にはさすがにキルシェも我慢がならず、師に向かって噛みついた。ヴァネッサは瞑目し、やがて目端を緩めてほろほろとわらった。
「……そうか。お前はやっぱり、変わらないままなのね」
キルシェの怒りに反して、師の口調はどこまでも静かなままだった。それがなにやら空寒く、異変を察知してキルシェは半歩後ずさった。
「それならば私も、手段を講じないわけにはいかない」
「……師匠?」
「いらっしゃい、キルシェ」
その言葉はキルシェに有無を言わせぬ強制力があった。自然と足はヴァネッサの呼びかけに応じている。
ヴァネッサはキルシェの脚高の椅子へと座らせた。その頬を両手で包み込み、覗き込むようにして目を合わせる。
「お前にひとつ、特別な魔法を掛けてあげる」
「――は?」
キルシェはぱちぱちと瞬きして、怪訝な眼差しを師に向ける。
「なんだか嫌な予感がするなァ……」
口元を引き攣らせて笑うキルシェに、ヴァネッサも艶やかな笑みを深める。
「キルシェとルドルフ王の仲が深まるように祈願して。私からの祝福だ」
頬から首に滑らされた手のひらが、胸部へ至る。黒のローブ上から、そこが焼け付くような痛みを放った。
「ひッ!?」
咄嗟に服の中を覗くと、そこには固く蕾を閉じた花の痣が紅く刻まれている。
「キルシュブリューテだ」
降ってきた声にキルシェははっとして顔を上げた。
「七日で散るようになっている。期限はそれまでだ。それまでに、王と真実のキスをなさい」
「なっ、な……っ!」
怒りに打ち震えるキルシェを眺めながら、ヴァネッサは仮面をはめる。すると師の人間味が薄れて、一気に無機質なものへと変わった。
そしてその顔のまま、ずいとキルシェに面を寄せ、少女の心臓に人差し指を突きつけた。
「七日で真実のキスができなければ、お前の命はそこで終わり。呪が発動してお前は死ぬ。
だからね、いいかい。必ずキスをするんだよ。私がお前にしてやれることは、それだけだ」
「――ッ!」
キルシェが何かを言い出す前に、師は素早く身を翻した。キルシェは椅子を蹴倒してヴァネッサを捕まえようと追いすがる。
「師――ッ!」
タンタンタン、と軽くやわくヴァネッサのブーツの底が歌う。少女の指先がローブを掠めた刹那、師の姿は空に溶けた。
キルシェは躓いて床に倒れこむ。頭の中を、師の言葉が乱反射する。
その言葉が胃の腑にしみ込んだ瞬間、キルシェは絶叫した。
「――――っなんだって!? キス!? あの男と!? 意味が分からない! 祝福だと!?」
声を荒げて怒鳴り散らし、キルシェは勢いよく衣服を捲り上げた。心臓の上に刻まれた複雑な文様は、読み解けないほど高度な魔術だと一目でわかる。芸術としても一級品の代物。しかしこれはキルシェの命数を七日に限定するのだ。
「こんなの呪いの間違いじゃないか……!」





