眼鏡っ娘の眼鏡で取った出汁は美味いっ!
鯖江鏡介は三度の飯より眼鏡っ娘が大好きな高校二年生である。日夜二次元三次元問わず世界全ての眼鏡っ娘に情熱を燃やす日々。
ある時そんな彼の前に、謎の化け物と一人の少女が現れる。
「き、君は……?」
「私の名前はリムリー・モノクルス。魔界眼鏡っ娘機構からこの地球に派遣された特派員よ!」
淡い緑の髪をたなびかせ、ご自慢のフルリム眼鏡をくいと上げるとリムリーはその化け物と対峙する。
「あなたに助けて欲しいのっ。このままじゃ世界中から眼鏡っ娘がいなくなってしまうっ!」
救え、世界を。救え、眼鏡っ娘たちの危機を。
「ところで敵って一体何なんだ?どうやったら倒せるんだよ!」
「あれは魔界と、そしてこの世界を脅かす存在の手下」
この物語は眼鏡っ娘に魂を捧げるとある少年の、世界を救うギャグコメディである。
「そしてそんな奴らを倒す方法は、宿主となった女の子たちの心の闇を救う事よ」
「だから、眼鏡っ娘が眼鏡を外したら実は可愛いって展開はタブーだっつってるだろぉおおおおお!!!!!!」
春先の暖かさもだいぶ体に馴染んできたとある日の放課後の事だった。
教室の片隅で、俺こと鯖江鏡介は友人たちに向かって魂の慟哭を上げていた。怪訝そうな顔を向けるクラスメイト達をものともせず、ありったけの怒りを俺はオタク仲間である佐上と村久保へと向ける。
「落ち着け鏡介。お前の眼鏡っ娘愛は十分に聞かされてきたつもりだ。だけど今日は随分と荒れてるじゃないか」
それに比べて友人たちは実に落ち着いている。まぁ、そりゃ入学の時から散々俺の眼鏡っ娘トークに付き合わされたのだ。今回の発作だっていつものことだと思っていやがる。
しかし、俺からしたらこれはどうしても話題にしなければならないことだった。
「佐上、お前昨日のホップは読んだか?」
ホップこと正式名称週間少年ホップとは中高生、はたまたいい歳した大人たちにも大人気の少年誌である。ラブコメからスポーツまで幅広い作品たちが連載され、クラスの普段オタクトークを繰り広げないような男子たちの話題にまで上がるようなメジャー誌だ。
「まぁ、当然読んではいるけどよ……」
佐上の言葉に同意するように隣の村久保も首を縦に振っている。
「じゃあ巻頭カラーの新連載は読んだか?」
「ああ、『君と彼女の秘密結社』を描いてたマブダチ先生の新作だろ。やっぱあの人の描く女の子、可愛いよなー!」
「あれがどうしたんすか」
確かに佐上が言っていることは分かる。マブダチ先生の描く女の子達はその誰もが透明感があって魅力的だ。それには村久保も同意している。
これに関しては俺達、ひいてはホップ読者の皆が同じ意見を抱いていることだろう。しかし、その中でも俺はどうしても許せないことがある。
「ヒロインが最初に眼鏡をかけて出てきたじゃないか」
「ああ、確か通学路でぶつかった女の子が実は転校生だったって奴だろ?その時偶然ヒロインの眼鏡が外れちゃって、その下の素顔に主人公は恋に落ちるんだよな」
「ベタだけど良かったっすよね」
「良かったじゃねぇええええええええええ!!!!!!!!!」
俺は村久保の襟首を掴み上げるとそのまま膝から崩れ落ちる。そんな俺を見兼ねたのか、先ほど掴み掛かったというのに村久保は俺の肩を抱きかかえて椅子へと座らせてくれた。
村久保は良い奴だ。確かに宗派は違うかもしれないが良い奴には違いない。こんな奴で世界中が埋まればきっとこの世界から戦争は無くなるのかもしれない。
村久保だらけの世界。……いや、やっぱり世界から戦争はなくならない方がいい。
「とにかくだなっ!俺が言いたいのは、眼鏡っ娘の眼鏡を外すと実は可愛いなんてのはもうこりごりだって話だ!」
「でも結構定番じゃないか?」
「定番だとか円盤だとかそんな話じゃねぇんだよっ!眼鏡を外して可愛い女はなっ!眼鏡をかけてても可愛いんだよっ!どーして眼鏡をマイナス要素みたいに扱うんだっ!最初から最後までかけてていいじゃねぇか!」
眼鏡っ娘がメインヒロインの作品が何と少ない事か。これは由々しき事態である。
いつの間にか周囲のクラスメイト達たちも下校準備や友人たちとの会話に戻っており、俺の方を気にかけている奴なんて誰一人もいなかった。
一年の頃からクラスメイトだった奴らは俺の発作に慣れっこだし、新しく同じクラスになった連中も俺がどういう奴かこの二週間ほどで理解したらしい。
「それを俺たちに言われてもなぁ」
「そっすよ鯖江君。結局この一年、アニメや漫画、はたまたゲームですら眼鏡っ娘はほとんどサブヒロインだったじゃないすか」
「まさしくそれだっ! 眼鏡っ娘イコールサブヒロイン。ひいては負けヒロインというのはどうかと思うんだ」
「でも眼鏡っ娘って地味じゃん」
「なるほど、佐上は血が見たいのか」
「違ぇって! で、でも実際そうだろう!? ほ、ほら、うちの紫崎さんならともかくさ……」
佐上の視線の先には友人たちと楽しそうに談笑しているとある少女の姿があった。
紫崎詩織。我が二年Cクラスのクラス委員長だ。肩まで伸びた柔らかな黒髪に華奢な体躯。誰にでも隔てなく優しく話しかけてくれるその雰囲気で男子人気はかなり高い。
しかしこれには実は裏がある。
彼女は普段オーバルタイプの赤いフルリム眼鏡をかけている。
オーバルとは丸いたまごのような形をしたフレームのことだ。そしてフルリムとはレンズが全てフレームに覆われている種類の事である。
優し気な雰囲気にそっと一輪の花を添えるようなその眼鏡が実に似合っている彼女なのだが、体育がある日だけ彼女はコンタクトレンズで登校する。
確かに分かる。激しい運動を行う可能性がある体育で眼鏡をかけていることは些か危険でもある。球技なんかでボールが当たった日には大惨事だ。
つまり、彼女には眼鏡をかけている日とかけていない日が存在している。
そして男子人気が高いのはその後者。つまり紫崎さんの男子人気はその眼鏡をかけていない紫崎さんに集まっているということ。俺がこの世界で最も理解が出来ても納得をしたくない事柄の一つである。
そんな時だった。彼女のことを考えていると、ふとたまご型のレンズの向こうの紫崎さんと目が合った。
眼鏡をかけた紫崎さん。やっぱり可愛い。その柔らかな微笑みに色を添える赤い縁が実に魅力だ。そう、そんな可愛らしい顔が少しずつ俺の方に近づいてきて……。ん、近づいてきて?
「えっと、鯖江君」
「はへぇ」
急に名前を呼ばれたもんだから自分でも呆れるほど気の抜けた声が口から漏れた。
「えっと、ごめんねお友達とお話し中に。実は地理の安田先生から明日の授業で使う資料を取りに行って欲しいって頼まれてたんだけど、この後私予定があって」
「もちろん」
即答。俺が美少女眼鏡っ娘からのお願いを断れようか。いや、断れない。むしろ断る理由がない。
「ありがとうっ」
そう言って紫崎さんは笑顔を浮かべた。その笑顔だけで俺はきっとフルマラソンでも走り切ることが出来るだろう。え、やって見せろって? いや、ほら、言うだけならタダだから……。
「俺達も要るか?」
「いや、どうせいつも授業で使ってるあのデカいマダガスカルの地図だろ。それぐらいなら俺だけで十分だよ」
放課後と言ってもそろそろいい時間だ。友人と他愛ない話を繰り返す日々も有意義かもしれないが良い子は帰る時間でもある。
「分かった紫崎さん。それだけ持っていったら俺も帰るよ。佐上と村久保もまた明日な」
「おう」
「また明日っす」
今だ騒がしい教室を出て資料室までの廊下を歩く。
我が佐倉丘学園は県内でも有数のマンモス高である。この少子化のご時世において常時1000人を超える生徒が在籍しており、放課後となった今では校庭には部活に励む生徒の活気溢れる声が響いていた。
そんな声をBGMにどこか冷たい廊下を行くと目的地の資料室はすぐに見えてきた。
「……ん?」
異変に気付いたのは教室の扉に手をかけてすぐのことだった。
足元に纏いつくように扉の隙間からどす黒い煙のような何かが滲み出ている。思えば、この時扉を開けずにすぐに職員室にでも駆け込んでいればこんな厄介ごとに巻き込まれることは無かったのかもしれない。
しかし、恐怖心よりも若さゆえの好奇心が勝ってしまった俺はそのまま扉を開け放ち資料室の中へと足を踏み入れた。
「し、紫崎さんっ!?」
部屋の中心で見覚えのある女の子が倒れているのが見えた。この俺が見間違える訳がない。顔の輪郭の脇からちらとはみ出したあのフレームは間違いなく直前に見た紫崎さんの眼鏡だ。
「ま、待てよ……」
そこで妙な違和感に気づく。俺は直前に紫崎さんと教室で会話をしている。そしてその後すぐに最短ルートでこの資料室に向かったはずだ。
あり得ない。紫崎さんが俺より早くこの資料室内にいるのはあり得ないことなのだ。
「ぐはぁ……っ!?」
瞬間、俺は謎の力によって資料室の壁に叩きつけられた。ガラガラと棚から資料が零れ落ちる。しかしそんなことに気を遣っている余裕なんかない。
一体何が。衝撃で一気に肺から空気が押し出され上手く呼吸が出来ない。ゆえにそれに気付くのに一瞬遅れてしまった。
「なん、だよっ……」
先ほどまで足元を漂っていた黒い靄が部屋の中央で何やら形を帯びていく。それはまるで巨大な腕のような何かになると俺の方へと再び襲い掛かってくる。
「……っ!?」
直後、その腕に掴まれたまま部屋の壁に押し付けられた。ギリギリととてつもない力が全身を壁で押し潰そうとしてくる。
激痛と酸素不足で頭が回らない。俺に一体何が起きて――
「無事!?」
その時だった。俺を掴んでいた腕を切り落とすように何かが横切った。
「かっ……はっ……」
ようやく酸素を取り戻した体が、自分を救った何かの姿を反射的に追いかける。
緑色の髪が見えた。視界の端で腰まで伸びたそれが小さく揺れていた。
「い、一体何が……っ。それに、君は……?」
思わず俺はそう問いかける。うしろ姿から見て恐らく少女。
その子は俺の方へと振り返ると、その特徴的なフルリム眼鏡を中指で小さく持ち上げこう告げる。
「私の名前はリムリー・モノクルス。魔界眼鏡っ娘機構から派遣された特派員よ」
頭に小さな角を生やした飛び切りの美少女眼鏡っ娘が、そこには居た。





