君に染まってしまえば。
桜の花びらが降り注ぐ無人駅のホーム。私はベンチに腰掛け、ただ一人、その時を待っていた。空を見上げれば、雲の隙間に切ない青が覗いていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
私は田舎の町に住む女子高生、好きな食べ物はずんだ餅。男性は好きになった人がタイプです。
「最近暑くなってきたね」
隣を歩く幼馴染の美優がため息混じりにそう呟いた。
「ほんとそれ、風が欲しい……」
終わりがけの春の日差しは、冬仕様の制服を纏った私たちを容赦なく襲う。普段は前髪を崩してくる強敵の春風でさえ、今この時だけは仕事して欲しいなと思った。
しばらく通学路を歩くと、私たちのお気に入りの場所が見えた。通称、桜通り。地元のみんなはそう呼んでる。
決して広くない道の両脇に、桜の木がズラっと並んでる。覆うようにして伸びた枝が日陰を作り、私たちを強い日差しから守ってくれる。
「ちょっと休憩してかない?」
悪戯っぽく笑う美優は、私の返事も待たずに木陰に座った。
私も隣に腰を下ろす。
桜の木の向こうには小さな川が流れてて、聞こえるせせらぎがまた心地いい。
上を見上げれば咲き誇る桜の花が、一面に広がっていた。
はらり。
はらり。
咲いては散る桜の花がなんだか切なくて、――美しかった。
きっと美優も同じだろうな。
ただぼんやりと眺める花びらの雨。すごく綺麗なはずなのに、春の終わりを感じさせるこの景色が、酷く、酷く寂しく感じた。
*********
いつもの通学路。桜通りの桜は段々と花びらを散らさなくなった。私の大好きな春の匂いはもう止んでしまったらしい。
「もう夏だね」
「……うん」
気の抜けた返事が返ってきた。
日向も私と一緒で春が好きだから、春が終わって夏がやってくるのが悲しいみたい。
それとも、あいつの事を思い出したから?
*********
次の日、私はいつもより早く家を出た。美優が来るまでの間、少しでも長く、今年の桜を見てたかったから。
でも先客が居たみたい。通学路の先、桜通りの木陰に美優は座っていた。
「今日は早いじゃん。どうしたの?」
「あと何日、この桜が見られるのかなって」
美優は桜が見れなくなるのがよっぽど寂しいらしい。寝坊助の美優が早起きして桜を見に来るなんて。
「……寂しくなるね」
私気の利いた言葉はかけてあげられないけど、その気持ちは分かってあげられる気がした。
夏服を着てきた私は、今日こそ風に吹いて欲しくないと思った。これ以上、私たちの春を連れ去って欲しくないから。
*********
快晴。春が終わり、夏の景色が訪れた頃。
俺はあの町を思い出してた。都会に引っ越す俺を、寂しそうに見送ってくれたあいつのことを。
見慣れた無人駅を、俺を乗せた快速列車が通り過ぎた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
3月の中旬。俺は引っ越す事になった。
父さんが再婚し、4月からは都会のマンションで暮らすらしい。
転校の手続きなんかもほとんど終わってるみたいで、あとは春休み中にみんなにお別れの挨拶を済ませるようにとだけ言われた。
元々両脇が離婚して父さんの実家に引っ越してきたから、幼馴染はいないし、友達らしい友達には連絡し終わった。
「何するかなー」
俺はなんの宛もなくサンダルを引っ掛けて家を出た。まだ3月だって言うのに、太陽はギラギラと眩しく輝いていて、あまりの暑さにパーカーの袖をまくった。
しばらく歩くと、見慣れた通りに出た。通称、桜通り。
毎朝一緒に登校してた2人が大好きだった桜の道。
「今年で最後か……」
特別好きな訳でもない春の季節。あいつらが好きってだけの桜の花。
最後だと思うと、なんだか急に寂しくなってきた。
俺は木陰に腰を下ろした。
上を見上げれば咲き誇る桜の花が、一面に広がっていた。
はらり。
はらり。
咲いては散る桜の花がなんだか切なくて、――初めて美しいと思った。
*********
私は無人駅のホームで、その時を、待っていた。
去年の春、親の再婚を理由に引っ越して行った智。
私よりも背が高くて、男らしくて太いはずなのに、何故か落ち着く優しい声。
私は彼のことが気になっていた。
でも、思いは伝えられないまま彼は去ってしまった。
私が待ってるのは、彼を乗せる快速列車。
彼は、春が嫌いだった。
私と美優が毎日のように桜通りで止まるのが好きじゃなかったみたい。
そして、春が終わりそうになると、酷く落ち込む私たちを慰めるのが大変だったらしい。
引っ越す間際、嫌味ったらしく言われたのを今でも覚えてる。
反対に彼は夏が好きだった。
梅雨の時期の雨上がりのコンクリートの匂い、五月蝿いくらいに鳴く蝉の声。降り注ぐ夏の暑い日差し。
彼は、夏が好きだった。
*********
「あれ? 智じゃん、珍しいね」
声の主は日向だった。俺が自ら桜を眺めてるのがあまりにも珍しいらしい。
目をぱちくり動かしながら俺の隣に座った。
「俺……引っ越すんだよね」
俺の頬に桜の花びらが付く。
「そう、なんだ…………」
日向は俯いていて、表情は分からない。
静寂が流れる。春風に揺られた木々の音と小川のせせらぎだけが聞こえる世界で、俺たちは2人。無言のままだった。
――ッ!
一際強い風が吹いて、桜の花びらが宙を舞う。
春が終わってしまう、そんな気がした。
*********
春が終わってしまった。
ピンク色の桜の花は綺麗に散って、力強い蒼い葉っぱが枝を覆った。
無人駅のホームにはまだ新しい桜の花びらが残っていた。誰も使わないから踏まれず綺麗に残ってるみたい。
私はその時を待っていた。
彼を乗せた快速列車が通るのを。
初めは軽い気持ちだった。
もしかしたら彼の姿が見えるかもって。
でも相手は快速列車。止まることを知らず、私の存在なんて気にもとめないで走り去っていく。
あまりの速さに車内の乗客はおろか、電車のロゴでさえ確認出来なかった。
しかし、この無意味な行動を繰り返すこと約1年。
もはや日課と化す私の愚行が報われることとなった。
いつものように快速列車が通り過ぎるのを見送る。
やっぱり電車の中は見えなくて、今日も諦めて帰ろうとした時。私のスマホが鳴った。
『智:今もしかしてあの無人駅に座ってた? めっちゃ日向に見えたんだけど』
メールを開くとそれは彼からのメッセージだった。
嬉しかった。彼が引っ越して行ってから約1年。
彼の存在を感じるためだけに通う毎日。
実際のところただのストーカー行為でしかないけど、恋する乙女の行き過ぎた愛だと思えば無問題。
私は高鳴る気持ちを抑えてこう送った。
『日向:正解、明日も見つけてね。あと、来年は一緒にその電車乗るから。よろしく』
素直になれないお年頃。今の私にはこれが限界。
でも、初めてこの夏の景色が好きだと思えた。
君のことを思うあまり、去年の君みたいに影響されちゃったかな?
春が終わる。
春が終わる。
夏が始まる。
夏が始まる。
君色に染められた、私にとって初めての青い春。
それは夏の暑さに春の匂いが混じった、特別な日でした。





