第9話 意味
冬合宿が終わった後、1軍から2軍に落ちた藁谷は、再び2軍で練習試合の日々に明け暮れる。1周目ではほとんどが3軍で、練習試合もあまり出来なかったことを考えると試合経験自体は積み上げられていると実感できる藁谷だが、内心では焦りもあった。
自分は人生2周目でも1軍にはなれないのだろうか。白星や金木、坂上や柳が1軍に定着しているのにも関わらず、未来知識すら活用しても1軍になれない自分が惨めな存在にすら思える。
番匠の肩の怪我から半年、湘東学園が出られなかった春の選抜甲子園では3年振りに甲子園出場を果たした大阪の履陰社が優勝する。番匠が2軍に落ちてから、1軍のエースは園城寺美姫が務める。最速131キロのストレートに加え、決め球の高速シンカーは普通の高校生だとバットに当てることすら難しく、強豪校の4番でもヒットにすることは簡単ではない。
カーブやチェンジアップ、シンカーなど緩急の取れる変化球を多く投げられることも特徴であり、コントロールも良いのだが、スタミナはそれほどない。先発として、1試合を投げられるスタミナは持ち合わせていなかった。
藁谷が2年生になると、新入生が入って来る。その中にも当然推薦組というのはいて、当たり前のように2軍にいる藁谷をあっという間に追い越し、1軍へ定着する。藁谷が1軍になるチャンスは、1つ上の世代が引退するまでないと肌で感じ取れてしまった。
「ああ、駄目だな私。球速も変化球も、コントロールもスタミナも、何もかもが足りないよ」
そして泣き言を吐き捨てた翌日、2軍での練習試合で東京の強豪帝央高校相手に4回9失点の炎上をした藁谷は3軍にまで落ちる。2周目では、初めての3軍だった。今まで散々左投げということで重宝して貰えたが、今年の1年生には左投げが2人いた。そちらを育てる方が期待値は高いということを悟った藁谷は、1人静かに物陰で泣いた。
……1周目の時、藁谷の代には左投げがおらず、1つ下の代には左投げが1人だけいた。しかし今回は、2人いる。新入生の面子が若干代わっているのと、藁谷が左投げとしては低レベルなのにも関わらず、1軍の試合に出れていたことが左投げの新入生を誘った。
そして、藁谷が2周目ということは同室である番匠にも大きな影響を与えていた。1周目はひたすらに3軍で努力を重ねている藁谷を見て、番匠は再度エースとして背番号1を背負い、夏の県大会で完封を続けるのだが、腐っていく藁谷を見て番匠も悪影響を受ける。
自然と、藁谷の2年目の夏は園城寺がエースに居座り続けた。番匠は調子が思うように上がらず、またコントロールの悪化を受け、先発を任される試合自体が少なくなった。代わりに2年生の柳が先発をし、要衝を抑えるピッチングを続けるが、準決勝の統光学園戦で園城寺と柳は打ち込まれ、ベスト4に終わる。
1周目は、甲子園ベスト4まで勝ち進んだ世代。それが自身のせいで県大会ベスト4止まりになったのかと自責の念に駆られた藁谷はどうしようもなく泣き続けた。
2年目の秋初戦、藁谷は2軍への昇格を果たしたものの、1軍のベンチ入りをすることは出来ず。1周目の時はすぐに負けた2年目の秋だが、今回は順調に勝ち進んでいることに、藁谷は違和感を抱く。
準決勝まで来て、ようやく新チームの始動が早かったからこそ勝ち進めたのだと気付いた藁谷だったが、そもそも湘東学園の引くクジが違っていた。神奈川県大会の準決勝も勝ち、決勝で負け、秋の関東大会に出場した湘東学園は、関東大会の初戦で宿敵咲進学園に負けて選抜出場を逃す。
戦力は十分にあったはずだが、そもそも1つ上の世代や2つ上の世代と比べて、総合的な戦力が藁谷の学年は低かった。未来知識は坂上にそれとなく伝え続けたが、半分は当たり、半分は外れるため、最初は信用されていたものの、次第に距離を置かれるようになる。
未来知識を他人に話した時点で、自身が過去とは別の行動をとった時点で、未来は変わる。当然のことだが、起こるはずのことが起こらなかったこと、起こらないはずのことが起こることは藁谷に精神的なダメージを与え続けていた。
2年目の冬合宿に入る前、藁谷は2軍の試合で先発をする。対戦相手は静岡の強豪三島東高校であり、藁谷にとっては苦い思い出のある高校だった。1周目の時に先発し、滅多打ちを食らい、3回までに11失点をして試合を壊した、苦い思い出だ。
右投げだった前回は、徹底的に遅いカーブを狙われ、ストレート主体に切り替えた途端にホームランを量産される。それは左投げになっても変わらないだろうと思い、ふと、左投げの利点とは何だろうと藁谷は考え直す。
球速も遅い、変化球も大したことはない。コントロールは相変わらずイマイチ。そんな自分でも、何かを掴みたい。そんな想いを抱えて、藁谷はマウンドに立った。
2作同時の毎日更新が時間的に厳しくなったためもう片方の作品の更新、完結を優先いたします。本当に申し訳ありません。