【逸話】山吹神社事件・1
幻覚が起こる直前のこと。
白雪家内には不穏な空気が漂っていた。頬を膨らませながらふて腐れて、任務に出る父と兄を見送ろうともしないのはナオトだ。
セメルとヒロトには国外での特例任務が言い渡され、今日はその出発日である。ナオトは居間に鎮座し背を向けている。理由は一つ。青島班初の任務が雑用だからだ。
「ナオト、家の事を頼んだぞ? 父さんとヒロトはもう行くけど、いい?」
「放っておけよ、親父。早く行こうぜ」
ようやくナオトが2人に向いた。
「そうだよ、早く行けよ」
正門に着くと、そこにはヒロトが配属された赤坂班と、セメルの顔見知りが大勢集まっていた。セメルは特別だ。能力を買われ、決まった班に配属されておらず、任務内容でその日の班が決まる形となっている。
ナオトとヒロトもいずれこのようになるが、それはまだ先の話だろう。
任務の隊長を務めるのは、赤坂キョウスケという男だ。ヒロトの隊長である。
「よし、じゃあ早速向かいますか。内容は目的地に向かいながら説明するから、聞き逃さないでね」
なんとも気の抜けた口調のこの男。初めて組む者たちは口々に不満を吐露していた。それもそのはず、特例任務とは、三種討伐の中でも大掛かりなものだからだ。今回任命された隊員の数は15名。この人数は北闇だけであり、今まさに他国からも大勢の闇影隊がとある場所を目指して進軍している。総員、50名はいるだろう。
己の班員を率いて先頭を走りながら、赤坂は任務内容を説明した。
「小国・月夜の国領土内にある神社付近で、正体不明の生き物の足跡が発見された。それを発見したのは月夜の隣国である西猛の国の闇影隊だ。報告によると直径にして40センチだそうだ」
そこで、隊員達の大半が首を傾げた。それくらいの生き物なら、おおよそ体長7メートルほどであり、特例任務とするまでもないからだ。隊員が想像するのはゾウを討伐するイメージに近いだろうか。
特例任務という言葉が与える精神的な負荷は大きかったようで、隊員達の緊張の糸は切れかけていた。しかし、それも束の間――。
「生き物の正体なんだけど、調査の結果、犬とか狼とかそっち系らしいのよ」
淡々とそう口にした赤坂の背後で響めきが起きた。かくしてヒロトやセメルも同じ心境である。
自由に動いていたセメルが赤坂の隣に移動した。
「キョウスケ、今の報告は確かなのか?」
「やっぱりセメルさんでも驚きますか」
「当たり前じゃないか。野犬や狼の討伐は何度かあったが、そこまでのサイズは今までに一度だって会った事がないし、聞いた事すらない」
「ですよねー。食用を動物、討伐対象を獣としていますけど、人害認定の一種である獣は人間でも討伐できるサイズ。まあ、束で挑めばですが。にしても、今回の獣は想像すらつかないほどにデカい」
「しかもそれが犬の類か……」
「おそらく、セメルさんの力を皆が期待しています。だから今回は混血者よりも人間の数が多い。負担をかけるかもしれません」
「……いつものことだ」
セメルは赤坂の隣から離れなかった。息子の身を心配しているのだ。ナオトと同じく、ヒロトも本日が初任務である。いつも以上にセメルの顔は引き締まっていた。
こうして闇影隊一行は目的地に辿り着いた。その背後で、光のドームが居住区を丸呑みにした事に誰も気づかぬまま任務に取りかかる。
鳥居を潜って石段を登り、参道を通る。最初に出迎えてくれたのは、参道の両脇にある狛犬の像と拝殿だ。赤坂は拝殿の裏に回って本殿の前で立ち止まった。その後ろからは続々と他国の隊員達がやって来る。
まずは神主に挨拶をし、いくつか質問しなければならない。外を騒がしく思ったのか本殿の扉が開き神主が表に出てきた。
「何事だ」
慌てて頭を下げたのは西猛の国の闇影隊だった。経緯を説明し状況を確認する。ところが、神主からは予想外の答えが返ってきた。
「そんな生き物がいたらとっくに気づいている。私を馬鹿にしているのか?」
「い、いえ! とんでもない! 我々は神主様は勿論のこと、月夜の国まで被害が拡大せぬようこうして調査に当たっているだけです」
やけに頭の低い闇影隊の態度に、ヒロトは小声で疑問を口にした。
「なあ、隊長。あのオッサン、そんなに偉い人なのか?」
言いながら、神主にしてはまだ若い男性に視線を向ける。
「オッサンなんて言っちゃダメでしょーよ。彼の名前は山吹マコトさん。この山吹神社の神主さんね。それに、ここは文化遺産に認定されている由緒正しき神社なわけよ。お前の言葉を借りるならそうだな、お偉いさんだ」
「ふーん、そうは見えねえけど」
ヒロトがそう感じるのも無理はない。
神主といえば、顎で紐を結ぶ立烏帽子や袖が腰まで垂れる浄衣に袴、決め手は棒の先に紙の束がくっついている物を手に持つ姿を想像する。
ところが神主はというと、長袖の服に半ズボンだ。手にはうちわを持ちゲタを履いている。
「上の服がタンクトップだったら、親父の寝間着とほぼ一緒じゃねえか」
後頭部で両手を組みながら普段の声量で爆弾発言をしてしまったヒロトに、セメルと赤坂は顔を真っ青にした。
背後から凄まじい殺気を放ちながら、黒と赤を基調とした戦闘服を着る闇影隊が赤坂班の前に立つ。彼らは南にある南光の国の闇影隊である。
「今の発言は聞き捨てならんな。誰だ」
組んでいた両手を崩し、片手を上げるヒロト。子ども相手に南光の隊員は手を振り上げた。それを上体を少し後ろに傾けただけで軽々と避ける。
「んだよ、挨拶もなしに失礼な奴だな」
「ここを何処だと思っている! 神聖なる場所だぞ!」
「へえへえ。……よっと!!」
隊員の前からヒロトの姿が消えた途端に、隊員はどうしてか空を仰いでいた。直後、地面に叩きつけられる。姿勢を低くしたヒロトが足を払ったのだ。
「貴様っ、名乗れっ! 王家に報告してやる!」
「構わねえぜ。白雪ヒロト、以後お見知りおきをってな」
そこへ、ゲタをカランコロンと鳴らしながら神主がやって来た。うちわを扇ぎながら、もう片方の手で腰を摩っている。痛めているようだ。
一方、足払いされた隊員はというと、大衆の面前でいとも簡単に倒されてしまった羞恥に耳を染めながらも、白雪という名字に恐れの色を瞳に宿していた。なので、神主の姿など目に映っていない。
道を譲らない隊員をまたいでヒロトの前へ来た神主は、そっぽ向くヒロトに笑みを浮かべながら言った。
「君が白雪家の息子さんか。噂は耳にしているよ。王家も一目置いている家系だそうで」
「へえ。そうなのか、親父」
ヒロトが向いた方に神主も顔を向けた。
「あなたがセメルさんですか。これは失礼いたしました。似ていないもので気づかなかった」
「いいんですよ、息子たちは母親に似ましたので。私の遺伝子はもう1人の息子に髪色だけ受け継がれました」
残念だと肩をすくめるセメルに、神主は大口で笑った。
「それは悲しいものがありますな!」
「育てば育つほどにです」
「……して、あなたが動いているという事は調査は重要なものだとみた。全くもって身に覚えもなければ被害もないが。いいでしょう。神社の外であれば好きに調査するといい。ただし、御神木には触らぬようお願いします」
「ご協力に感謝いたします。なるべく早く済ませますので」
「では、私はこれで失礼する。腰を痛めましてな。本殿にいるので、何かあれば声をかけてください」
神主から了承を得た事により、総員一斉に調査を開始した。
神社からそう離れていない所では、西猛の国の隊員がセメルと赤坂班を足跡の発見場所まで案内をしていた。場所は本殿のすぐ真裏にある歩道の奥だ。
確かに、巨大な犬の足跡が確認できる。とその時、赤坂班の1人、混血者の子が鼻をひくつかせた。
「犬の類でしたっけ……?」
「なによ。なにか発見した?」
「その逆です。ナニも臭わない……」
言いながら、本殿の裏にある背の高い茂みへと歩みを進める。すると、そこには目を疑うような光景が広がっていた。辺り一面、同じ足跡が重なるようにしてあったのだ。
赤坂とセメルに緊張が走った。
赤坂は班員に周囲に同じ足跡がないか調べに行かせ、そしてセメルに問うた。
「見た感じ一体ですけど、違いますね。二体、ですかね? セメルさん、どう思います?」
「みたいだな。だが妙だ」
セメルが辺りを見渡す。
「……おそらく、二体は仲間だろう」
赤坂にはセメルが何を見てそう判断したのかわからないでいた。催促を求める声にセメルが応える。
「これだけの大きさの生き物が暴れれば、地形に被害がでてもおかしくはない。しかし、見てみろ」
「確かに、言われてみれば変ですね」
踏み荒らされた草があるだけで、樹木や転がってる岩には傷一つ無い。さらに、セメルが妙だと言ったのにはこんな理由もあった。
「ここは神社から近い場所に位置する。それなのに、なぜ神主は気づかなかったんだ? 地響きがしたはずだ。足跡から推測するに、静かに歩き回っていたわけではなく、これはかなり動き回った跡に見える」
赤坂は案内人に尋ねた。
「発見した当初、どういった状況でした?」
「我々は任務からの帰りでした。突然の豪雨に近道をしようとここへ道を外れました。すると、1人が派手に転んだんです。その時、足跡を発見しました。ですが、すでに生き物の存在はなく、念のために調べはしたのですが……」
「なるほど。進展はなかった、と」
「はい。それと、先程2人が話していた件ですけど、神主様は豪雨のせいで気がつかなかったのでは? 本殿は広く、雨音が響き渡っていたでしょうし、雷も鳴っていましたから」
「一理ありますね」
そこへヒロト達が戻って来た。報告では、足跡は疎か臭いすらなかったと言う。ますます奇妙さを放つ足跡に、一先ず他の隊員と合流する事にした。鳥居の前に集合し、そこで各班隊長達による会議が行われた。まずは赤坂からだ。
「北闇の報告になります。最初に発見された足跡付近に同じ足跡が、しかも二体分だと思われる痕跡を発見しました。しかし、当初雨が降っていたにもかかわらず、他の場所に足跡はありませんでした。以上です」
「西猛の報告。我々は参道入り口にある手水舎より西方面を調査した。歩道から外れて森を進むと、そこにも足跡がいくつか発見できた。だが、時間がたっているのか、かろうじて目視できる程度だ。以上」
「南光からは、俺が。念のため、神社から半径5キロ圏内を回りながらここに到着した。1キロ地点までくると、西猛と同じく古い足跡を発見。つまり、北闇が調査した新しい物と、西猛が新たに発見した足跡。合わせて数カ所に痕跡があるという事になる。以上だ」
それから、視線はセメルへと集中した。
10歳という若さで訓練校卒業し、すぐに任務成功率をたたき出してきた。噂は瞬く間に全国へ広がり今では引っ張りだこだ。だからこそ、これからの作戦を彼に委ねるのだ。
待望の眼差しを一身に浴びる我が父親を見て、ヒロトは鼻で息を漏らした。青春時代に父親と過ごせない理由を心得ているからだろう。この光景はヒロトにとって望ましものではない。
しばらく考えた後、セメルは告げた。
「皆の報告をまとめてみると、痕跡は神社を中心にして周囲に残されている。それに、今は季節の変わり目により雨の日が多い。足跡が残っている理由が天候だと仮定すると、生き物は雨天に限り出現するのかもしれない」
なにせ、体重のある生き物だ。乾いている地面では、あんなにはっきりとした足跡は残っていなかったはず。つまり、安易に発見されたのは地面が泥濘んでいたからではないか。
セメルの予測に誰もが頷いた。
「よって、雨を待つ。野営地を片付け、各班、神社から500メートル地点に展開する」
不安の余波が広がった。ただでさえ正体不明の巨大な生き物だというのに、4・5人で行動しなければならないからだ。
そんな彼らにセメルは「任せろ」と言い切った。
「あえて1キロ地点にしなかったのは、緊急事態に俺が動きやすいからだ。500メートル地点であれば各班との距離も近い上に伝達も行いやすい。それに、決め手は雨だ。俺の能力を最大限に発揮できるし、上手くいけば捕獲も可能だ。それを皆の手柄にしよう。王家もきっと俺たちの活躍を称賛するだろう」
皆の心に希望の光がくすぶる。評価が上がれば国での評判も良くなり、任務の数も増え、名を世界中の人に知って貰えるからだ。闇影隊にとってこれほど願わしいものはない。
美味い作戦に各班すぐに行動に移った。セメルは神社の石段に残り、他は散り散りに500メートル地点へ展開する。
生温い湿った風が吹くその日の夜。山中に湿気が漂い、身体にじんわりと汗が滲む。遠くからは雷が落ちる音が聞こえてきた。
もうすぐ、雨が降る――。