【SIDE】ユズ
「頭がどうにかなっちまいそうだっ! なんなんだおめぇはっ。その爪も、あの言葉もどうなってやがるっ」
「少し喋りすぎだぞ」
「――っ、化け物おおお!! なんで死なねえんだよ! おめぇ、腹から」「もう黙れ」
目撃者は全員抹殺しなきゃ――。そんな物騒なことを考えながら全身に浴びた血を川で洗い流す。
ナオトの修行を見張って二週間。一時はどうなるかと思ったが、無事に終わることができたようだ。それにしても。
(鍛錬場で修行をさせるとはな。しかし、僕の方が一枚上手だったようだ。まさか鍛錬場の水源となっている穴から覗き見ていたとはタモンも思いもしないだろう)
言っておくがストーカーではない。友達の身を案じてのことだ。とはいえ、当初の目的は小一時間ばかり観察して終了するはずだった。だが、あの炎……。ナオトの身体は瞬く間に黒焦げになったが、次の日には元通りときた。そこが僕にとって問題である。
川から上がって草原に寝転がる。先程、首をかっ斬られた男の死体を横目に、自分のお腹に手を添えた。
「お前たちも懲りないな。どうして僕とナオトを狙うんだ」
数時間前、馬に乗った賊に見つかってしまった。大人数で攻められて、僕は来る衝撃をありのまま受け止めた。直後、激しい痛みが幾度となく襲いかかり、背中から岩に激突した。その瞬間、自分の口から血が玉のような形となって吐き出された。
衝撃の大きさに身体が跳ね上がって、弓のように弧を描いて腹が空を向いた。背骨が折れた。腹の肉が裂け、臓器が宙を舞った。咄嗟に両手で腹を押さえた。再び背中が地上に着いて、状況を理解すると、悶え苦しむほどの激痛が電流のように全身を走った。
痛みは直ぐに治まる。腸を引きずりながら賊を抹殺し、馬には逃げるように伝えた。ここまではいい。問題なのは、
(どうしてナオトが僕と同じ能力を持っているんだろう……)
これだ。
聞こえてきた野犬の遠吠えで起き上がり、彼らに死体を任せて帰路につく。そうして国内を歩きながら、ふと卒業試験を思い起こした。
ナオトは訓練校では気味悪がられていた。噂は横に置いておき、前髪が長いせいで相手からは目が見えていないし、わかりやすいくらいの他所行きの声で会話をしていたせいだ。
あいつは僕以外の誰にも心を開かない。相手が同期でも、家族でも、国帝でも、ヒロトを好いている女の子にですら。彼女の名前は確かレミだったはず。ナオトはもちろん覚えていない。
そんななかで、ついに始まった卒業試験。レミはナオトにこう言った。
「ヒロト、一人じゃないじゃん! どうなっているの!?」
この言葉には深い意味がある。
ヒロトは混血者ととても仲が良い。故に、単独行動をしていないときは混血者に合わせて動いている。つまり、一緒に行動したかったレミにとっては非常にマズイ状況だった。
卒業試験では上官の助けはない。獣・妖・ハンターのどの種と出くわしても近くにいる仲間と協力して突破して行く他なかった。
レミは一般の女の子だ。他の子に比べてほんの少しばかり優秀であり、勇気があるってだけだ。彼女のような子は他にも何人かいたが、賢い彼らはレミがヒロトを捜している間に突破口を切り開いていた。
出遅れたレミの周りには、茂みに潜むハンターの群れがヨダレを垂らして待っていた。先に行ってしまったヒロトの助けは借りられない。近くにいるのは、なぜか同じように出遅れているナオトだけだった。
僕はその様子を離れた場所から見ていた。
「さあ、気が変わったんじゃないかな?」
「――っ、とにかく行くわよ!!」
「どこに?」
「ふざけないで! 卒業試験なんだよ!?」
ふうーっと息を吐き出して、ナオトは前髪を掻き上げた。
「うぜぇ」
「……え?」
レミは初めて拝むナオトの素顔と、急に変わった口調に混乱していた。
「お前がいつ助けてくれたよ。人を下僕みたいに扱って、そのくせ裏ではひそひそと文句ばっか言いやがってよ」
「や、やめてよ……」
「なあ、頼むからさ」
死んでくれねぇかな?――
言い終えると同時にハンターの群れがレミに襲いかかった。瞬きをしている間に茂み中へ引きずり込まれ、直後耳を塞ぎたくなるような悲鳴が響き渡った。剥がされていく肉、露わになった骨、消えていく臓物。ここから見えなくとも、ハンターが人間をどうやって喰い殺すかなんてわかる。
レミは必死に茂みから顔をだし、肉の削がれた口で叫んだ。
「あんまりだよお、酷いよおっ……」
ナオトは笑った。
「痛みを味わえ、クソ人間が」
ナオトは化け物として育った。幼い頃から囁き続かれ、ましてや命を狙われる日々のせいで、いつしか自分は化け物だと思い込み信じるようになった。そう、今のナオトを作り上げたのは彼女のような人間なのだ。
その後、無事に卒業を果たしたわけだが――。
(ここは……)
いつの間にか公園まで来ていたらしい。ベンチにはナオトが座っている。遠くを見つめていて心ここにあらずって感じだ。そんなナオトの意識を現実に戻そうと肩に手を置くと、
「みーんな、死んじまえ……」
虚ろな目で突然そんなことを口にした。
卒業試験を思い起こしていたせいか、唖然とし動けなくなってしまった。
「俺、今なんて……」
前言撤回だ。こいつは壊れかけているのではなく、もう壊れている。
「いくら取り繕っても無駄だ。今みたいにお前の仮面はいずれ剥がれる。訓練校は卒業したのだから、もうごっこ遊びはやめにしろ。青島に迷惑をかけるな」
「青島隊長には普段通りに接しているけど」
「周りに対してだ。苦情は全て青島にいくんだぞ?」
「そういう意味か。難しいな……」
少しの間を置いて、ナオトは白雪家について話し始めた。
ヒロトが1歳の頃に誘拐された事や、母親が行方をくらませた経緯。薄紫色の瞳を持つ者は必ず命を狙われるとのことを。そして、心の何処かで母親の行方を追い求めている自分がいることも話した。
「父さんとヒロトは母さんを知っている。それなのに、2人から一度だって聞いた事がない。白雪家の体質について説明された日だって一瞬で終わらせてしまった。爺ちゃんも、俺が聞くまで黙っていたしな」
「行方不明になったんだ。そう簡単に母親の話はできないだろう?」
「俺だって馬鹿じゃない。薄々気づいていた。家族は俺に母さんの事を伏せている。確信を得たのは父さんが体質について話したあの日だ。半ば強制的に話しを終わらせたのには何か理由があるはずだ」
「どうしてそう思う」
「小さい頃から母さんがいないのはヒロトだって同じだろ。性格上、問い詰めてでも聞きだそうとするはずなのにそうしなかった。つまり、ヒロトは母さんが行方不明になった原因を知らなかっただけで、他の事は知っているんじゃねぇのかなって……」
日が落ちているため空気が冷たい。手をさすりながら話しを聞いていると、
「炎・包火……」
ナオトは言霊を披露してくれた。右手に火が点火している。自己暗示をかけていないため、ただ燃えているだけのようだ。
「こんな場所でいいのか? 人に見られたらどうする……」
「別にいい。今さらだろ」
拗ねているような物言いだけど、僕を暖めてくれているのだろう。そのお返しにと言ってはなんだが、
「次の任務、僕たちは初の国外任務だそうだ」
曇っていたナオトの表情が見る見る内に明るくなっていく。
「どうだ、ワクワクするだろう?」
「当たり前じゃん!!」
互いに額がくっつくくらいに近づいて、ニヤニヤとする気持ち悪い顔を見せ合う。それから2人で腹を抱えて笑った。
僕は心配なんだ。闇影隊となってしまったこいつが、本当の意味で日常を取り戻せなくなるんじゃないかって、本人以上に恐れている。くわえてあの治癒能力。人間は自分と違う存在を受け入れることができない。こいつはこの先ずっと平穏には暮らせないだろう。
だけどこうも思う。
僕は人間が嫌いだ。だからこそ、唯一の友達にこちら側に来てほしい、と。だからあの日、僕はレミを助けなかったのだから。