12 亡くなっていく人との思い出 第2シーズン-6 シェアハウス物語
「こんにちわ、小川さん」
僕は、通称『ギルドハウス』と、この辺で呼ばれているシェアハウス
を訪れた。 以前に見たことのある建物とは、雰囲気がかなり変わっ
ていた。あたりは遠くで踏切の音がする程度で、あとは虫の声しかし
ない静かな場所だった。
「いらっしゃい。トシヤ君。久しぶりだね」
小川さんが、作品に埋もれるように、奥で作業をしていた。
工房の中は、ブーケ状の花と本のインテリアでいっぱいだった。
「聞いたよ。大学を休学したんだって。思い切ったものよね」
小川さんの作業が一段落するまで、僕は工房を見回った。
「僕も自分で驚いている位ですよ。特に両親に話をするのが一番、心
苦しかったんですけど、すんなり分かってもらえたと言うか、心から
賛成してくれたわけじゃないんですけど、いろいろと自分で考えて決
めた結果なら応援するって言ってもらえました」
「でも、あのお父さんが、よくって感じだよね」
「そうですね。でも、さっき、親父から言われたんです。誰が聞いて
も反対されるような決断を、よくもあっさりするもんだって。皮肉じ
ゃなくて、そんな風にできるお前が、うらやましいって言われました」
「そうなの。息子がうらやましいって、なかなか言わないよね」
小川さんが作業をやめて、飲み物を持って来てくれた。
「どうぞ。この紅茶なかなか評判がいいんだよ」
「ありがとうございます。いただきます」
やさしい味で、深みのあるような感じで、初めて飲む紅茶だった。
「ところで、小川さん。今日は誰も他に人はいないんですか」
僕は不思議に思って聞いた。
「今日は特別なのよ」
小川さんは窓から遠くを見ながら続けて話してくれた。
「ここに住んでいる和田さんっていう女性が入院してるんだけど、病状
があまりよくなくってね、もう話ができるのも、この数日の間位だろう
って主治医の先生から言われてね。それで、ここのみんなで、和田さん
に『ギルドハウス』にいるように感じてもらおうって、みんな、ずっと
和田さんの病室で過ごしているんだよ。だから、ここはカラッポなのよ」
小川さんに送られて来た動画を見せてもらった。
個室ではあるようだが、6人も7人もいっぺんに入れば窮屈過ぎる感じしか
なかったが、何だかみんな楽しそうだった。
「私は毎日3回、動画レターを送ってるのよ。入院されてから毎日ね」
僕は、和田さんが、どんな人なのか知らないが、ここの人たちに愛され
ているのは強く感じた。
「トシヤ君が来てくれて、本当によかった」
小川さんの声のトーンが低くなった。
「ここ数日、ここの人たちは病院へずっと行っているから、私も話をす
る相手がいなくてね。和田さんの話をずっと誰かにしたくて、仕方がな
いから、和田さんの病室に飾ってもらおうと思って作品を作っていたと
ころだったのよ。仕方がないってことはないわね。ただ、作りながら、
その作品に和田さんの話を聞いてもらっているように話していたの」
小川さんは、深呼吸して、話を続けてくれた。
「そんなに長い付き合いでもないのにね。どうして、そんなに和田さん
のことを誰かに話したいのか、自分でも不思議なのよ。それを聞いてく
れる人がそばにいてくれるのが、どれ程うれしいことなのか。トシヤ君
が来てくれて、それが今、自分でわかった感じなの」
小川さんは、和田さんのために作っている作品の細部をこまかく手直し
をしながら話してくれた。
柱時計が静かに鳴った。虫の声も止まったように感じた。
それから、小川さんは作業の手を止めて、しばらく和田さんのことにつ
いて話をしてくれた。
自転車で、ゆっくり家に帰りながら僕は考えた。
葬式でも法事でも、亡くなった人のことを話す場じゃなくなっているよ
うにも思えた。亡くなった人の思い出を、それを知らなかった人たちへ
話をしてあげるのを、意識してやらないとできなくなってしまっている
のだろうか。自然にそんな話をしたくなって、そんな話を聞きたくなっ
てとはならないのは、どうしてなんだろうか。
また、明日の朝、小川さんの紅茶をご馳走になろう。
人が亡くなるのが、近づいているのは悲しいことだけど、
人がそれで、人の優しさを感じることを取り戻せるのかもしれないと思
えば、最期の時間は、周り人たちのために用意されたものな
のかもしれないと思った。
月がきれいな空だった。