7話 匂い
「良い人だったね、ブランシュさん」
「ああ、昔より丸くなっていた。個人的には今のアイツの方が話しやすくて助かったよ」
住所も教えてもらえたし、いきなり押しかけた俺たちにたいしてかなりの高待遇をしてくれた。
本当にありがたいことだ。
とはいえ馴染みのないこの街では住所だけでは場所がわからないので、地図を買うことにした。
近くの道具屋で地図を買い、広げてみる。
と、足元でリーベがピョンピョンし始めた。
「貸して貸して、わたしが読む!」
「……大丈夫か?」
「大丈夫だよ! わたし記憶喪失だから!」
「全然理由になっていないんだが……」
不安だが、何かをやらせることも子供の成長のためには必要なのかもしれない。
何でもかんでも駄目だ駄目だと言っていたら、子供の好奇心や向上心は萎んでしまうだろう。
それではリーベのためにならない。
俺はリーベに地図を渡すことにする。
「ほら、これだ。いいか? 今いる場所がここで、目的地はここだ」
俺の説明に、リーベはふんふんと勢いよく何度もうなずく。
「なるほど、これは興味深い資料だねぇ! ふむふむ、ここがこうなってるのかぁー」
……本当にわかっているのだろうか。不安である。
まあ、これも経験だ。今は駄目でもいつかは地図も読めるようになるだろう。
むぅむぅと唸りながら小さな手で地図の上を一生懸命になぞるリーベを見て、俺はそんな思いを抱いた。
……とか思っていたはずなのだが、迷うこともなく目的地までついてしまった。
「やったー! ついたー!」
達成感からか、誇らしげな顔をするリーベ。
「リーベ、お前は天才か?」
たしかに表札には「ランゼ」と書かれている。
まさか一度も道を間違えることなく目的地まで着けるとは予想外だ。
ズルもしようがないし……この子は天才なのではなかろうか。
いや、きっとそうだ。この子は天才だ。
もしかして、これが『親馬鹿』というやつなのだろうか。
そんな考えが頭をよぎったが、すぐに否定する。
……俺は違うな。絶対に親馬鹿ではない。
なぜなら、リーベは本当に天才だからだ。
「へへん、どーお? わたしの天才さにおじさんもびっくりでしょ!」
「ああ、正直驚いた。凄いなリーベは」
くしゃくしゃと頭を撫でてやると、リーベはえへへと笑いながら気持ち良さそうに目をつぶる。
かわいい奴だ。
「じゃ、早速チャイムを押してみるか――っ!? ……これは」
「どうしたの、おじさん?」
「……匂いがする」
「匂い? 何の?」
俺は目を閉じて鼻に神経を集中させる。
嗅ぎなれた匂いだ。……やはり、間違いない。
――この家の中から、血の匂いがする。
「リーベ、お前はここで待ってろ。絶対変な人に付いてくんじゃないぞ!」
状況の掴めていないリーベにそう言い残し、俺は家の扉を開ける。
鍵もかかっていない扉は容易く俺を迎え入れた。
中へと入った俺は匂いの濃い方へと屋内を進む。
そしてその根源にまでたどり着く。
「……!」
そこには一人の老人が腹に穴をあけていた。
ソファに深く身体を預けた老人の顔色は蒼白を通り越し、もはや完全に生気は無い。
「……」
一応近づいて脈を計るが、やはり息絶えていた。
死亡を確認した俺は周囲を観察する。
あたりに飛び散った血の乾き具合から言って、死後そんなに時間は経っていないはずだ。
思考は変わらず冷静なまま。まあ、死は身近だったからな。
だが、その思考はすぐにかき乱される。
「おじさん!」
外からリーベの声が聞こえてきたからだ。
「リーベ……っ!?」
何かあったのか。何があったのか。
俺は瞬時に死体のことを頭から消し去り、思考を切り替える。
そして一目散にリーベの元へ駆け寄ろうと一歩目を踏み出したところで、部屋に男たちが雪崩れこんできた。
「お前、そこで何をしているっ!」
そう言って魔力を帯びた腕を俺へと向ける数人の男たち。
だが、今の俺はそんなことに構っている場合ではない。
「何だお前らは。俺はリーベのところに――」
「我々はフォルク警備隊だ! 両手をあげろ!」
その言葉に俺はやっと今の現状を顧みた。
部屋には息絶えた老人。その上半身を抱き上げて脈の確認をしたせいで、血がべっとりと付着している俺。
そうか、さきほどのリーベの言葉は、この部屋に物々しい格好のコイツらが入ってくることを教えてくれてたんだな。今になってやっと得心がいった。
とはいえ、この状況。どうしたものか。
「言っておくが、俺は犯人じゃないぞ」
俺はこう言うしかない。
この場で言える言葉など、それ以外になかった。
「言い分は詰所で聞く。今は口を閉じ、腕をあげていろ。でないと手荒な真似をとらざるを得なくなる」
男の言葉はもっともだ。
状況的には今の俺は確実に最も怪しい容疑者。
そう易々と警戒を解いてくれるはずもない。
だがそれでも、言っておかなければならない言葉があった。
「一つだけいいか。家の外に、預かっている子供がいるんだ。彼女の保護を頼む」
「……わかった」
その返事に安心した俺は、男たちに大人しく手首を縛られた。
家を出ると、泣きそうな顔をしたリーベが俺に駆け寄ってくる。
それは警備隊の一人によって途中で止められ、俺の元に辿り着くことは叶わなかった。
男に制止を求められながら、リーベは俺に言葉を投げかける。
「おじさん、どこ行くの!? おじさんを連れてかないでよ、やめてよ!」
「悪いなリーベ。すぐに戻って来るから、少しの間彼らの言うことを聞いておいてくれ」
俺はそう答える。
今ほどリーベの頭を撫でてやりたいと思ったことはない。
しかし、今の俺にはそんなことすら出来ないのだ。泣きそうな彼女を安心させてやることすらできないのだ。
「本当に? ……おじさん、わたしを捨てたりしない?」
「ああ、絶対に。俺を信じてくれ、リーベ」
リーベは袖で涙を拭い、そして言う。
「……うん、わかったよおじさん。わたし、いい子にして待ってるね」
その笑顔に俺の心は酷く締め付けられた。
「おい、そろそろ行くぞ」
「……はい。時間をとらせてすみません」
そして俺はリーベを残し、警備隊の詰所へと連行されていったのだった。