6話 二十年ぶりの再会
「とうちゃーく!」
リーベがぴょんと竜車から飛び降りる。
それに続いて、俺も地面へと降り立った。
「久しぶりに来たな、フォルクの街」
街の入り口に立った俺は周囲の様子に目を配る。
前の町とは違い、人々はどこか忙しなさそうだ。
足早に歩く彼らには皆向かう場所があるのだろう。
なんとなく時間が早く進んでいるかのような、そんな錯覚を覚える。
人々の様子を眺めていると、下からリーベの自慢げな声が聞こえてきた。
「へへーん! わたしの方が地面に降りたの早かったから、わたしの勝ちだね」
「なんだその遊び、聞いてないぞ」
「そりゃそうだよ、だって言ってないもん」
無茶苦茶言いやがる。
傍若無人の極みみたいな言い草だな。
「それにしても、おっきい街だねぇ」
「ああ、この辺の中心だからな」
街の大きさも人口も、この辺りでフォルクに勝る都市は存在しない。
昔々に鉱山から鉄を採掘するために大量の労働力が必要になり、集まった人々が住みつくことによってみるみる人口を増やしたのがこの街の始まりだと言われている。
鉱山の鉄はもう百年以上前にとうに枯れ果てているのだが、人々は他の産業で生きていっているらしい。
「おじさんはこの街に来たことあるの?」
「ああ、かなり前に数回だけだけどな」
ニ十年前とそこまで変わってはいないと思う。
変わらない街並みに、変わらない忙しなさだ。
「よし、まずは俺の知り合いのところに行こう。アイツはこの街でも結構な有力者だからな、リーベのことも何か知っているかもしれない」
俺がそう言うと、リーベは顔を朗らかに綻ばせる。
「そっか、ここにはおじさんの数少ない友達がいるんだよね! 楽しみだねおじさん!」
「数少ないは余計だぞ。あと一応訂正しておくと、友達じゃなくて知り合いなんだ」
「あっ……。ご、ごめんなさい……」
本当にすまなそうな顔をされるとあれだな、結構クルものがあるな。
言っておくが、四十にもなると知り合いともどんどん疎遠になっていくんだからな?
まあ、お前もあと三十歳年をとればわかるようになるさ。
……いや、リーベには俺と同じ気持ちを味わってほしくはないが。願わくばこの子にはたくさんの友達ができてほしいものだ。
そんなことを思いながら、知り合いの家へと向かう。
知り合いの家は街の中心部に近い場所にあった。
俺たちは周囲の家々よりも一回り大きい家屋を見上げる。
そういえば、引っ越しでもしていたら困るところだったな。考えていなかった。
チャイムを鳴らすと、カーン、という鐘の音が鳴る。
軽い響きのそれが静まった頃、家の扉が開けられた。
「どちら様……おや、これは珍しい来客だ」
出てきたのは理知的な顔をした四十歳手前の男だった。
「久しぶりだなブランシュ。元気だったか?」
俺はそう言って、ブランシュに笑いかけた。
「どんな心変わりがあったんだい? あなたがこの街を訪れる日が再び来るとは思っていなかったが」
「まあ、色々あってな」
「ほう?」
紅茶をとぷとぷとカップに入れながら、ブランシュは眼鏡越しに俺を見る。
相変わらず何もかも見透かしていそうな透き通る目だな、と俺は思った。
最後に会ったときからもう二十年経つが、その顔はほとんど変化がないように思える。二十代半ばでも通用しそうなほどだ。
黄緑色の髪と眼は、日の光を浴びた葉のように相変わらず鮮明な色をしていた。
紅茶を入れたブランシュは俺たちに紅茶を差し出した後、向かいのソファに腰掛ける。
「さて……あなたが立ち直った経緯にも興味は惹かれるが、生憎僕もそこまで暇なわけではなくてね」
「悪いな、いきなり押しかけちまって」
さすがにいきなりすぎたとは反省している。
ブランシュは昔から頭が切れた。今何をしているのかは知らないが、おそらく相当の地位にいるであろうことは想像に難くない。
頭を下げて非礼をわびる俺に、ブランシュは手を横に振る。
「いや、いいんだ。僕とあなたの仲じゃないか」
「そんなに仲良くないけどな」
「おいおい、酷いことを言うね。まあ事実だけれど」
軽い冗談を交わし、俺とブランシュは笑いあう。
実のところ俺たちは本当に深い仲ではない。二十年前、魔王討伐の旅の最中に何度か共闘したことがあるだけだ。
当時も別に雑談に花を咲かせたりしたわけでもないし、特別気が合う訳でもなかった。
ただ、同じ苦難を乗り越えた仲間だ。
あの時の経験を共有できる人間はさほど多くない。だから、こうして会えば自然と話が弾んでしまうのは半ば当然と言えた。
「まあ、大体アタリはついている。その子が関係しているんだろう?」
「よくわかったな」
「常識的に考えればすぐにわかるさ。何の関係もない幼子をわざわざ連れてくるなんて考えづらいしね」
「俺の子かもしれないだろ?」
「それはもっとも考えづらい説だね」
この野郎、言ってくれるじゃないか。
たしかに自分でも結婚できると思ったことはないが。
「それで、その子は?」
「ああ、この子はリーベっていうんだ」
リーベはブランシュに向かってぺこりとお辞儀をする。
「初めましてブランシュさん、わたしはリーベです。ヴォンおじさんの許嫁です!」
「嘘をつくな嘘を」
「許嫁だって!?」
「お前も信じるな! どう考えても嘘だろうが!」
俺が大きな声を出すと、ブランシュはニッと端正な顔を笑みで歪める。
「そう怒るなよ。少しふざけただけじゃないか」
「……お前、そんなに軽いヤツだったか?」
昔はもっとお堅いやつだったと思ったのだが。
「それを言ったらあなただって、当時と比べて随分と身体が鈍っているじゃないか。人は変わるものだよ」
「それもそうか。……それもそうだな」
「そうそう。だから『僕が実は双子で、数年に一度入れ替わっている』なんてことは絶対にないからね?」
なんだそのしょうもない嘘。俺がそんなのに引っかかると思ってるのか?
というかコイツ、本当に変わったな……。
そう思っていると、リーベが声を上げた。
「えぇ!? ブランシュさん双子なんだ! 凄い、サインください!」
「ごめんねリーベちゃん、双子は嘘なんだ」
「う、嘘……。そうですか……」
リーベはしゅんと俯いてしまう。
なんて純真な心なのだろうか。それに比べてブランシュの卑劣さといったら……。
「おいブランシュ、お前うちのリーベを悲しませたな? どんな罰がお望みだ?」
「僕よりもあなたの方が変わったよね、間違いなく」
俺が変わっただって? だとしたらそれは、リーベのお蔭と言うしかないな。
「まあ、個人的には今のあなたの方が好みだよ」
ブランシュは笑いを混じらせながらフッと軽く息を吐き出した。
「悪いな、俺には男色の気は無い」
「僕もないよ。……それよりリーベちゃんが聞いているというのに、そういういかがわしい言葉を口にしてもいいのかな?」
……しまったっ! ついうっかり――
「ねえねえおじさん。だんしょく?ってなんのこと?」
「今すぐ忘れろリーベ。忘れるんだリーベ」
「う、うん、わかったよおじさん」
ふぅ、危ない。こんな乱れた言葉を知るのはまだ十年は早いからな。
「いい加減話を戻すぞ? 俺はこの子の親を探してるんだ。実はこの子、記憶喪失なんだよ。リーベというのも俺が付けた名で、この子の本当の名前じゃない。この街の広範囲にパイプを持っているであろうお前に頼めば何か情報が得られるかもしれないと思ってな。……不躾だが、頼めるだろうか」
俺の嘆願に、ブランシュは顎に手を置いて考える素振りを見せる。
「なるほどね……。うん、いいよ。協力してあげよう」
「本当か! ありがとうブランシュ!」
「ありがとうブランシュさん。ブランシュさんは良い人だね!」
「はは、良く言われるよ。……人探しに関しては、僕よりも適任な人がいる。住所を教えるから、彼のところに行くと良い」
そう言ってブランシュはスラスラと紙に万年筆で文字を書きこんだ。
名前は……どうやらランゼという人のようだ。
「はい、これ」
「恩に着るぜブランシュ」
俺はそれを受け取り、すぐにその住所へと向かうことにした。
心配しているだろうし、一刻も早くリーベを親御さんの元に届けないと。
それに、あまり長居したんじゃブランシュも忙しいだろう。
帰ろうとする俺たちに、ブランシュは見送りに出てきてくれる。
「また来てよ二人とも。今度はもっとゆっくり話そう」
眼鏡越しに見える彼の瞳は、とても優しげなものに思えた。
「ああ、また今度」
「ブランシュさんさよならー!」
俺とリーベはブランシュの家を離れ、メモに書かれた住所へと向かうのだった。