3話 出発しんこー
町までもう少しというところで、俺とリーベは魔物と向かい合っていた。
この魔物はガガー。この辺りに良く出る四足歩行の黒い獣だ。
俺一人ならば全く危険などない相手なのだが、今はリーベがいる。
万が一にもこの子に怪我を負わせるわけにはいかない。
自然と慎重になる俺は、結果として手こずっているような形になっていた。
「負けるなー! 頑張れおじさーん!」
「声がでかいぞ……」
すっかり元気になったリーベが俺の背中で応援の声を上げる。
応援してくれるのは嬉しいが、耳元で叫ぶのは止めてくれ。鼓膜が破れる。
「グルルルルッ!」
俺の意識がリーベに行ったのを好機と捕えたのか、ガガーが俺に突っ込んできた。
「あ、来たよおじさん!」
俺は腰に差した剣を抜き、ガガーを一閃する。
ガガーは斬られたことにも気がつかないまま、その命を絶った。
「ふぅ……」
やっと倒せた。
中々我慢強いやつだったな。
あちらから来てくれればいつでも倒せたのだが、こっちからは動きづらい状況だった。
……さすがにこの子を背負ったまま戦ったら、この子が失神してしまうからな。
「おじさん、強いんだねぇ!」
リーベが俺の腰の辺りをぺしぺしと蹴り上げる。
「当たり前だ。俺は元勇者だからな」
「違うよおじさん! おじさんはもとゆうしゃじゃないよ! 今もわたしのゆうしゃだもんっ!」
その言葉に、俺はまた心が溶かされていくのを感じる。
リーベは俺が失っていた自信をくれる。
こんな子供に励まされるのは、世間から見ればみっともないことかもしれない。
だがしかし、今の俺にとってリーベはとても大切な存在だった。
「……そうだな。俺は勇者だ」
「そんなこともわからないなんて、おじさんは馬鹿だねぇ!」
「……お前、ちょくちょく口悪いぞ?」
女の子なんだから、もう少し気を付けような?
それからさらに歩くこと数時間。
「すぅー……すぅー……」
「起きろリーベ。……リーベ、ついたぞ」
日が暮れかけた頃、ようやく俺たちは最寄りの町へと到着した。
最初にゆっくり歩いた分、予定よりかなり時間がかかってしまったな。
俺は背中を揺らしてリーベを起こす。
ぐでんとしていたリーベは、一瞬にしてしゃんと意識を覚醒させたようだ。
「お、起きてたよ? わたし、寝てないよ?」
「そうだな。起きてた起きてた。起きてたな~」
「ほ、本当だし! だしだし!」
「もう日暮れなのにリーベは元気だなぁ」
「うん、わたし寝てたから。……あっ」
やっぱり寝てたんじゃないか。
俺がにやにやと笑うと、リーベは背中でがしがしと俺の腰を蹴ってきた。
「もうおじさん嫌いっ!」
「え……」
その一言に俺は雷で打たれたような衝撃を受ける。
視界がぐらつく。頭の回転が止まる。
き、嫌われた……?
そんな、俺はこの先どうやって生きていけば……。
「お、おじさん? 大丈夫?」
「あ、ああ、大丈夫だ。とりあえず今日は宿をとろう。……すみません、少しお話いいですか」
俺は宿の場所を知るため近くの人に話しかける。
しかしいつまでたっても返事がない。
「おじさんそれ看板だよ……?」
「こんばんは。……あ、違うか。かんばんは。看板だけに。なんつって。ははは」
「おじさんが壊れたっ!? お、おじさん、元気出してよぉー!」
がくがくと身体を揺すられ、俺はようやく正気に戻った。
それと同時に自分の醜態に頬が熱くなるのを感じる。
子供一人に嫌われたくらいで俺は何をこんなに狼狽えてるんだ俺は。
元勇者とも……勇者ともあろう男が情けない。
ぶるぶると首を振り、雑念を追い払う。
「……すまん。ちょっと取り乱した」
「もう、おじさんはわたしがいないと駄目なんだからぁ。……おじさん、下ろして?」
俺は望み通り、リーベを背中から下ろしてやる。
「よいしょっと……はいっ」
地面に降りたリーベは、俺に手を差し出してきた。
小さく細い手だ。白く柔らかそうでもある。それは俺にもわかる。
だが肝心なところ、リーベが何を望んでいるのかが分からない。
「……?」
事態が呑み込めない俺。
そんな俺を見かねたのか、リーベは俺の手を無理やりとった。
「お手て、握ってあげる」
掌に収まってし舞いそうなほど小さく、だがほんわかと温かい手が俺の手と触れ合う。
この子は天使かなにかか?
そう思いはするものの……。
「……俺、もうすぐ四十だぞ?」
いくらなんでも四十のおっさんが自分の子供でもない子の手を握るのは些か問題があるのではないだろうか。
それになんとなく気恥ずかしさもある。
別に女と手をつないだことがないとは言わないが、そういうのとは全く別の恥ずかしさというかなんというか。
気を抜くとにやにやと気持ちの悪い笑みが漏れてしまいそうな、そんな恥ずかしさを感じる。
「あー、そういうこと言うんだ。じゃあ握ってあーげない」
リーベはぴょいと俺の手を離した。
俺の掌を風が撫でる。
一度人肌の温かさを知ってしまうと、もう一人の寂しさには耐えられないのだ。
俺は今、身を持ってそれを知った。
「子供は手を握ってないとどこにいくかわからないからな。安全上の観点から握っておいた方がいいだろう」
今度は俺からリーベの手をとる。
するとリーベはくすくすと笑った。
「おじさんは素直じゃないねぇ」
「何のことだかわからんな」
なんだか手玉に取られたような気がしないでもないな……。
そう思う俺だが、不思議と悪い気はしなかった。
手を繋ぎ合った俺とリーベは町を歩き出す。
といってももう日暮れ間近。今日は宿に泊まっておしまいだろう。
「じゃあ宿を探すか」
「わかった。じゃあ出発しんこー!」
リーベはつないだ方の手と反対の手を勢いよく掲げる。
町の人々の視線がいくつかリーベへと注がれているのが分かった。
皆、リーベを微笑ましげに眺めている。
気持ちはわかる。なんだって子供というのは見る者の心を温かくしてくれるのだろうか。
「はは、すっかり元気だな」
「『元気だな』じゃないよおじさん! おじさんも一緒にやらなきゃなんだよ」
「……え? 俺も?」
一緒に? 冗談だろ?
「そう! いくよ? せーのっ……出発しんこー!」
「しゅ、出発しんこー……」
どんな羞恥プレイだこれは。
まさか四十近くの中年になって街中で出発進行することになるとは思わなかったぞ……。
町の人々の生暖かい視線に妙な居心地の悪さを感じながら、俺は泊まるための宿をとるのだった。