25話 脱出作戦
その日の午後。
俺たちは断崖絶壁の前にいた。
この街を抜けるには門のあるところを通らなければならないが、そこは兵士が守っており、なおかつ多くの人でごった返している。
そこからの脱出ルートをとるのは不可能だろうと考えた俺たちは、本来出入り口ではない場所から街を出ようと画策したのだ。
「すごく急な崖だぁ……」
顔を見られないよう深くフードを被ったリーベが呟く。
崖はリーベの何十倍もの高さがあり、どう考えてもリーベには上ることは不可能な代物だ。
いや、リーベだけではなくほとんどの人間にはここを上るなど考えられない事だろう。
だが、俺なら出来る。
剣を突き刺して昇っていけば、リーベを背負った状態でも必ず上までたどり着けるという確証が俺にはあった。
もっとも、リーベと出会う前の俺なら多分この崖を上ろうなんて考えは思いつかなかったと思うが。
リーベの型に嵌らない自由な発想のおかげで、俺の脳も少しは若返ってくれたようだ。
「準備はいいか、リーベ」
「うん。大丈夫だよ、おじさん」
とにかく時間がない。
俺はリーベの返事を聞き、すぐに背中にリーベを背負った。
焦る理由は見つからないためだ。
なるべく人目につきにくい場所の崖を選んだが、それでも崖を上るという行為はかなり目立つ。その上昇っている最中に兵士たちに気付かれでもすれば、弓矢が容赦なく飛んでくるはずだ。
俺が焦っているのには、さらにもう一つ理由があった。
ごく限られた人間にしか伝えられていない情報を、かつて勇者として魔王を討伐する側だった俺は知っていたのだ。
魔王は生まれたばかりの時は力も弱く、位置特定がおおまかにしかできない。逆に力を完全に制御できるようになると、これもまた位置特定が困難になる。
しかし、魔王としての力が覚醒したばかりの時に限っては、魔王としての力を制御しきれないせいで恐ろしく詳細な場所まで探ることができるのだ。
勇者の時はその情報を手掛かりに魔王の居場所を完全に察知することができた。
ならば今度も、国側の彼らは魔王――リーベの居場所を完全に察知できてしまったはずだ。
ほんのすぐ後にでも、追っ手が来るだろう。
一刻も早くここから離れなければならない。
このことを思いだしていなかったとはいえ、今思えば、あの朝食をとっていた時間はかなりのタイムロスになってしまった。
俺が焦る気持ちで崖に手をかけようとした、そんな時だった。
チカッ、と眩い光が目に飛び込む。
その瞬間、俺は壁に背を向けて戦闘態勢をとった。
それと同時に、周囲から鋭い声がこちらに跳ぶ。
「動くな!」
出てきたのは、鎧を纏った兵士たちだった。
やはり先ほどの光の反射は鎧が太陽光を反射したものだったか。
物々しい屈強な兵士たちは俺とリーベを渦のように取り囲んでいる。
その数はおよそ二十いくつか。
兵たちは皆敵意をむき出しにした顔をこちらに向けており、その形相はまるで鬼のようだった。
怖がったリーベがぎゅっと俺の服を掴む。
「おい、威圧するのを止めろ」
じりりと詰め寄って来る兵士たちに短く言う。
しかし兵士たちに殺気を収める気配はない。
「うちの子が怖がってるだろうが」
「ふざけるな! お前かその子供、どちらかが魔王だということは確定している! そんなやつらの言葉を聞く道理などありは――」
「やめろ、と言った」
腰に差した剣を抜く。
すらりと抜かれた剣は、太陽の光を浴びて美しく輝く。
濡れているかのように妖しい光を放つその剣を、俺は兵士たちに構える。
兵士たちはビクリと肩を震わせ、にじり寄って来る足を止めた。
「悪いなリーベ、ちょっと怖いところを見せるかもしれない」
「うん、大丈夫。……おじさん、気を付けて……っ」
「ああ」
心配そうに眉を下げるリーベにそう答え、兵たちに再度目線を戻す。
「魔王は俺だ。殺せるもんなら殺してみろ、人間ども」
それに応じるかのように、兵たちが剣や弓を構える。
俺に対する恐れを抱いてはいても、その動作は立派なものだった。
おそらく普段からの鍛錬の賜物だろう。
俺は今からコイツラと剣を交えることになる。
そしてどちらかが死ぬ、もしくはどちらもが死ぬ。
……初期対応を間違えたか?
リーベを人質に装えば、手を出されなかった可能性も……いや、それはないな。
頭に浮かんだ考えを即座に払いのけた。
一人の少女の命と世界中の人間の命、秤にかければどちらが重いかなど知れている。
おそらく彼ら兵士は躊躇はするだろうが、それでも剣は弓をリーベもろとも俺たちに放ってくるだろう。
だから、これしか方法は無い。
結局戦うしか方法は無いのだ。
「急いでるんでな、加減は出来ねえ」
「兵士を舐めるな、魔王め!」
一人の少女の命と世界中の人間の命。その二つを秤にかけても、俺にとっちゃもう前者の方が重いんだ。
思い切り剣を振り上げ、右から左に一閃する。
筆を引くように平行に一本書かれた線は、赤い墨をぶちまけさせる。
無論、鎧を着た人間を剣で斬るのは楽ではない。だが、不可能ではない。
鎧をも斬りおとせる速度で剣を振ればいいのだ。
俺たちを取り囲んでいた前方の五人がどさりと崩れ落ちる。
これで諦めてくれれば、と思う間もなく、すぐさま次の兵士たちが距離を詰めてくる。
鮮血に怯むことなくこちらに襲い掛かってくる兵士たち。
それをリーベに近づいた傍から切り捨てていく。
リーベという守るべき対象がいる以上、飛び回って相手の攻撃を躱したり、素早い動きで相手を翻弄するのは得策ではない。
守るべきリーベを背に置き、そこから一歩も動かず大樹のようにこの子を守り抜くのが最善だ。
絶対にリーベは傷つけさせない。俺が守る。
「死に晒せ、魔王がぁ!」
「チッ!」
決死の一撃が、俺の肩を軽く掠る。
ぷしゅ、と小さく血が噴き出た。
彼らの特攻のような死を顧みない攻撃に寄って、すでに何か所か軽くない傷を負ってしまった。
身体中から少しずつ血が流れ出しているのを自覚しながら、剣を振るう。
まだ止まれない。
そしてようやく、最後の一人と渡り合う。
最後まで残った男は兵士たちの統率役のようだった。
やはりそうか、と思う。
優れた技量を持った兵士たちの中で、どうりでコイツだけはさらに一段上の力を持っていると思ったんだ。
男は血管が切れそうなほどの憤怒を顔に浮かべながら斬りかかってくるのを剣で受ける。
鍔が俺たちの間でカチカチと音を鳴らした。
「よくも俺の部下たちを……! 絶対に許さん! 勇者ともあろうものが、魔王になるとは何事だっ!」
「勇者とか魔王とか、そんな世間が決めた肩書はもういらない。俺はリーベだけの勇者になると決めた。リーベを傷つけようとするやつは誰だろうと斬る、それだけだ」
一歩後退する。
釣り合っていた力のバランスが不意に崩壊し、男は前へとつんのめった。
そこを剣で一刀両断する。
その場に立っているのは、俺とリーベだけになった。
「悪い、リーベ。怖い思いをさせた」
「おじさん、怪我してる。血が……」
「大丈夫だ。このくらいの傷、唾付けときゃ治る」
安心させるためにそう言うと、リーベは自分の手の平にれろーと唾を出した。
そしてそれをくちゅりと俺の傷に塗りたくって来る。
血だらけの俺に嫌な顔一つせず、一心不乱に俺を世話してくれるリーベはなんと優しいのだろうか。
問題があるとすれば、傷口に塗られた唾がクソ染みることだけだ。
「こ、これで治るんだよね?」
「……いや、唾では治らん。むしろ染みる」
「えっ!? ご、ごめんおじさん!」
慌てて俺から飛び退くリーベ。
そんなリーベの頭を軽く撫で、背中におぶる。
「……っ!」
連戦の後のおんぶは脚にクルな……。
だが、止まっているわけにもいかない。
とにかくこの街をでないことには、リーベはいずれ殺される。
俺は痛む体に鞭を打ち、崖に手をかけた。
「よう、ヴォン」
突如後ろから声をかけられる。
すぐさま振り返った俺は、一瞬呆然と立ち尽くした。
「……ドモン」
そこにいたのはドモンと、そしてレネリーだった。
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