20話 幸せな頭
「うぅーん……おはよぉー、おじさん」
「おう、おはよう」
起きてきたリーベは眠そうに目をこすりながら、ゆっくりと洗面台に向かう。
そしてバシャバシャと音を立て始めた。大方顔でも洗っているんだろう。
「うわぁっ、冷たーい。でもきもちいー。ふんふふんふーん」
壁を隔てて聞こえてくる声は段々とはつらつとしてくる。
そして水の音が途切れると、こっちにドタドタと走ってきた。
「おじさん、おはよう!」
「おう、おはよう」
顔を洗うとやる気スイッチが入るの、俺もよくわかるぞ。
今日二回目の挨拶を、俺は笑顔で交わした。
時は過ぎ、夕刻。
俺とリーベは一緒に夕食を囲んでいた。
もちろん家で自炊である。基本は家出の食事の方が、周りを気にせずに楽しめて俺は好きだ。
「おおぉ……!」
並んだ料理を見て、リーベは目を輝かせる。
「おじさん、これってハンバーグでは?」
ここ最近でリーベの好みは少しずつわかってきた。
リーベの好きなものはカレーとかオムライスとか、そういういわゆる子供が好きそうなものが好きだ。頭は良くても、舌は年相応らしい。
リーベがハンバーグを好きなのも調査済みである。大人の調査力を舐めるなよ?
俺はしたり顔をリーベに見せつける。
「ああ、ハンバーグだ。お前好きだろ?」
「好きだねぇ! おじさんより好き!」
「そ、そうか……」
俺は肩を落とす。
たかが料理一品に、俺は負けてしまうのか……。
リーベには好かれていると思っていたんだけどな……。
ショックで食欲がなくなってきた。ハンバーグ一個なんてとても食べられる気がしない。
そう落ち込んでいると、リーベはぷっと吹きだす。
「もー、嘘だよぉ。おじさんの方が好きだって。だからそんなにショック受けないのっ」
「べ、別に受けてないぞ?」
「ふーん、そっかぁ」
リーベはニヤニヤと俺を見てくる。
その顔に居心地の悪さを感じつつも、俺の食欲は見事に復活していた。
……身体ってのは正直だなぁ。
「いただきます」
「いっただきまーす!」
両手を合わせた後、俺たちは食事に手を付け始めた。
「はぁ~、お腹いっぱいだよぉ」
夕食を終えたリーベは、幸せそうな顔でごろんと横になる。
そしてお腹をぽんぽんと叩いた。
この世の幸福の限りを味わっているかのような顔のリーベに、自然と顔がほころぶ。
そんな俺の前で、リーベはしばらくごろごろと床を転がり続けた。
そして「ねえおじさん、今日はもうこのまま寝ていーい?」と聞いてくる。
どうやら寝転がっているうちに眠くなってしまったようだ。
「風呂は入ったし、皿も……もう運んであるな」
「もっちろんだよ。わたし、出来る子だからね」
キッと決め顔をするリーベ。
寝転がったままじゃあんまりカッコ良くないぞ。
でもまあ、他にやる事といえば……。
「ああ、あと歯磨きはしたか?」
そう問いかけると、リーベはビクッと肩を跳ねさせる。
「……してないんだな?」
「すぅー、すぅー」
「寝たふりをするな」
肩が跳ねた時点で、寝たふりはバレバレである。
そんな猿芝居で騙されるほど俺は甘くないぞ。
背を向けているリーベの顔の方に回り込み、俺は厳しい口調で言う。
「リーベ、歯磨きしなさい」
「やだやだ、面倒くさいもん」
寝たふりは通じないと思ったのか、リーベは真っ向から拒否し始めた。
普段はちゃんと歯磨きもする子なのだが、今日はもう動く気になれないらしい。
「そんなこと言ってると、ちゃんとした大人になれないぞ?」
「歯磨きなんてしなくても大人にはなれるもんね。いーっだ」
指で唇を横に広げて「いーっ」と言ってくる。
なるほど、そう来るか。
ならばこちらにも考えがある。
「ちょっと待ってろよ」
俺はリーベを残し、洗面台にある自分用の歯ブラシを持ってきた。
そしてリーベの前まで戻り、俺はシュコシュコと歯磨きを始める。
しかも、満面の笑みでだ。
「ほらほらリーベ、歯磨きは楽しいぞぉ?」
リーベと暮らすことになってからから、隙間時間に子育ての本を何冊か読んだ。
そこに書いてあったのだが、子供というのは親が楽しそうにしていることは自分もやりたがるらしいのだ。
だからきっと、俺が楽しそうに歯磨きすればリーベも歯磨きをしたくなるはず!
「あー、楽しいなぁ! 歯磨きってこんなに楽しかったんだなぁ!」
チラチラとリーベを見ながら、俺はシュコシュコ歯ブラシを動かす。
リーベは俺の狙い通り、笑顔で歯磨きをする俺をじっと見ている。
どうだ、楽しそうだろうリーベ?
ほらほら、やりたくなってくるだろう? どうだぁ?
「おじさんそんなことで楽しめるなんて、幸せな頭してるんだね!」
……あっれえ?
なんか、思ってた反応と違うぞ?
よくわからないが、すごい屈辱的なんだが。
だが、今のリーベの対応が俺の中の正義感に火をつけた。
ここで引き下がっていいのだろうか。
ここで引いたら、それはすなわち俺の敗北なのではないだろうか。
……駄目だ。ここはリーベの将来の為にも、俺は引いてはいけない!
「あ~、楽しいなぁ~! すっごい楽しいなぁ~!」
俺はリーベの目の前で、ずっとシュコシュコ歯磨きを続けることにした。
俺は引かないぞ。リーベが根を上げるまで、これを続けてやるからな。
絶対にリーベに歯磨きをさせるんだっ!
「楽しいなぁ! こんな楽しいこと、リーベはなんでやらないんだろうなぁ~!」
「……」
リーベは黙って俺を見続ける。
ただし、その手をこちらに伸ばしてきた。
その手の先は、間違いなく俺が持ってきたリーベの歯ブラシへと向いていた。
お、これはもしや?
そう思いながらも、俺は焦らない。ここで焦ったら今までの俺の努力の全てが水の泡だからな。
「リーベ、この手はなんだ?」
俺はリーベに尋ねる。
リーベは床から起き上がると、恥ずかしそうに言った。
「……わたしもやるよ、歯磨き」
「おお、そうか! よし、一緒にやろう!」
俺はリーベに歯ブラシを手渡し、一緒に歯磨きを始めた。
すると、リーベはすぐに言う。
「ちょっとおじさん! やっぱり全然楽しくないじゃん! 騙されたっ!」
だが、そう言うリーベの顔ははにかんでいた。
はにかみながら眉をひそめるという、高度な表情だ。
その顔を見た俺は、思わず吹き出す。
「ははは、楽しくないなぁ、リーベっ!」
「ぷくく、楽しくないよ、おじさんっ!」
俺たちは互いに笑いあう。
楽しくないということ自体が、なんだかとても楽しくなってきたのだ。
その日の夜、ベッドの中で俺は思う。
過程はどうあれ、リーベに躾をすることができた。
俺も少しはリーベの扱いが上手くなったということだろうか。それならば嬉しいのだが。
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