10話 真実
「でもお前、こんな広い家に一人で住んでて寂しくないのか?」
俺はブランシュに尋ねる。
十人近くは住めそうなこの家に、一人で住むというのは俺には寂しいことのように思えた。
なんせ、町のとても小さい一軒家でも寂しかったのだから。
だが、ブランシュは首を横に振る。
「僕はあなたと違って寂しがり屋じゃないからね。人といる時にうるさいと思ったことはあっても、一人でいて寂しいと思ったことはないかな」
「……あ、もしかして俺、うるさかったか?」
「いや、そんなことはないさ。あなたたちといるのは楽しいよ」
よかった。迷惑だと思われていたらさすがにちょっとショックを受けるところだった。
「わたしもうるさくないよ! 静かにしてたもん!」
「うん、その声がちょっとでかすぎるぞ?」
急にでかい声出されると、耳がキーンってなるからな?
「まあ、子供は元気が一番だよね」
「おっ! ブランシュさんわかってるねぇ~」
急に上から目線になったなコイツ。
「悪いなブランシュ。リーベのヤツ、段々お前に打ち解けてきたみたいで遠慮がなくなってきた」
「いやいや、僕としては楽しませてもらっているよ。それにしても、こうして見るとなんだか本当に親子みたいだね」
「そ、そうか? 照れるな……」
確かに、自分の中にいわゆる「父性」と呼ばれるようなものが芽生え始めているような実感は感じていた。
まあこれだけ可愛い子と一緒にいたら誰だってそうなる……と思ってしまうこと自体、すでにかなり情が移ってしまっているからなのだろう。
「親子と言われて照れるなんて、昔の君では考えられないよね。……くくっ」
「おいおい、笑うなよなぁ」
と、リーベがむすっとした顔で声を上げる。
「親子じゃないよ、わたしはおじさんの許嫁だもん!」
「リーベは一旦黙っとこう。余計ややこしいことになるからな?」
「あっはっはっ! 許嫁って! 許嫁って! そのギャグ面白いね!」
ブランシュは腹を抱えて笑いだす。
それを見たリーベはますます不機嫌になる。
「ギャグじゃないもんっ! わたし本気だもんっ!」
「~っ! わ、笑いすぎて息が……っ!」
「どんだけ爆笑してんだお前……」
もう息も絶え絶えじゃねえか。
「もう、もうっ! ブランシュさんのばかっ!」
リーベが地団駄を踏みながらそう吐き捨てた。
それから数分後。
「はぁーっ。こんなに笑ったのは久しぶりだよ」
「むぅ~……」
涙を拭うブランシュに、頬を膨らますリーベ。
腕を組んでいるところからして、相当怒っているようだ。
だけどその組み方が少しぎこちないところなど、やはり年相応で可愛らしいと思ってしまう。
「ごめんごめん。悪かったって。お詫びにこの家にあるもの何か一つ好きに持って行っていいから」
「本当っ!? わーい、じゃあ探しに行ってくるね!」
リーベは一瞬前まで怒っていたことをすっかり忘れてしまったかのように笑顔になり、ぴゅーと部屋の外へと消えて行った。
「いいのかよブランシュ。結構貴重なものもあるんだろ?」
「子供が選ぶのなんて、大体はキラキラ輝いてる安物さ。そんな感じの物ならあげても痛くも痒くもないし、万が一高級品を選んだらそれはそれでその慧眼に敬意を表したいからね」
「でも、うちのリーベは天才だからなぁ。マジで高い物持ってくるぞ多分」
俺がそう言うとブランシュは一瞬呆け、そしてニタリと笑う。
「……あなたは本当に親馬鹿になったねぇ。くくくっ」
「笑うなよなぁ」
笑われたが、不思議と嫌な気はしなかった。
何故かと考えてみて、二つ思い当たる。
一つはブランシュ自身が俺のことを悪く思っていないから。
そしてもう一つは、自分自身が後ろめたい感情を全く持っていないからだ。
結局気の持ちようというのは、いつ何時も最も大事なものなのだろうな。
そんなことを考えていると、部屋の外からドタドタと足音が近づいてくる。
「持ってきたよ~! どれにしようか選べなかったから、一番いらなそうなのにした! ブランシュさんの一番大切な物を持ってちゃったらブランシュさんが可哀想だしね」
「まさか遠慮までできてしまうとは、リーベはやっぱり天才だったか」
この子の天才具合が凄い。末恐ろしいぜ。
「それで? リーベちゃんは何を選んだんだい?」
「えへへ、教えてあーげない」
リーベはブランシュに向け、片目をつぶりながら自らの唇に指を当てる。かわいい。
「おいおい、僕の家のものなのに教えてもらえないのかい?」
「じゃあ俺にだけ見せてくれよ、それならいいだろ?」
「うーん……わかった、いいよ」
ここで俺が見ておいて、あとでブランシュに伝えればいいだろう。
俺はそう思いながらリーベが手に持った物を見てみる。
「っ!?」
心臓が早まるのが自分でわかった。
その言葉を何度か読み返すが、やはり何度読んでも変わらない。
たった三文字が、たった一つの言葉が、これだけ違ってほしいと思ったことはない。
だが、そこにある事実は決して変わりはしないのだ。
「……おい、ブランシュ」
「なんだい?」
「これは、何だ?」
俺はブランシュにリーベが持ってきた物を見せる。
それは、小さな容器だった。
その中には、赤い液体が並々と入っている。
それを見たブランシュは一瞬緑の目を大きく見開き、そしてすぐに平静を取り戻した。
「……さあ、なんだろうね」
「この『ランゼ』ってラベルはどういうことだ? それとこの中身……血、だよな」
ランゼと言えば、昨日俺が発見した、殺されていた人間の名前だ。
その名前のラベル、そして中身は血。
そこから導き出される結論は、俺の頭では一つしか浮かばない。
「お前が犯人なのか? ブランシュ」
「……あーあ、ばれちゃったか」
ブランシュは頬を掻く。
その動作はあまりにも自然で、俺は一瞬気が抜ける。
……コイツ、今の状況に対して全く危機感を覚えていない。
ゆっくりと立ち上がったブランシュは隙を見せることをまったく厭わず、大きく一つ伸びをする。
「ランゼを殺してシャワーを浴びたところで、丁度あなたたちが家に来てね。これ幸いと最初は君に濡れ衣を着せようと思ったんだけど……やっぱり一回殺すと昂ぶっちゃってさ。もう人を殺したくて殺したくて……。押さえきれなくてもう一人殺したのは失敗だったなぁ」
「……タチの悪い冗談なんだとしたら、今すぐやめてくれ」
今ならまだ間に合う。間に合うから。
頼むから、嘘だと言ってくれ。
そう願う俺の前で、ブランシュはいつもどおりの笑みを浮かべた。
「やだなあ、わかってるくせに。僕がこんな冗談言うタイプじゃないってさ」
「……人は、変わるだろうが」
「僕は変わらない。今も昔も、僕は人を殺すことに快感を覚える人間だよ、ヴォン」
そして予備動作も全くないまま、ブランシュは針を飛ばしてきた。
その矛先は俺ではない。
「え……!?」
リーベだ。
「ちっ!」
俺はすかさずそれを払い落す。
「へぇ。もっと鈍っているかと思ったんだけど、存外やるじゃないか」
「お前……リーベに手を出して、どうなるかわかってるんだろうな」
俺は腰の剣に手をかける。
そして抜いた。
その剣先を、かつての戦友へと向ける。
向けられたブランシュには焦った様子も見られない。
俺がリーベを庇った一瞬で距離をとったブランシュは、自分の武器である槍を手に取っていた。
ブランシュは俺に語りかけてくる。
「あれだけ多くの人間を救って、あれだけ多くの人間を救えなくって。それから二十年たって、今更一人に拘るのかい? ……小さいなぁ。あなたは小さいよ」
「うるせえ。お前が誰を怒らせたか、思い知らせてやるよ」
「知ってるよ。『元勇者』だろ?」
「違え。お前は『勇者』を怒らせた」
互いが互いに距離を詰める。
先んじてブランシュの槍が振り下ろされた。
俺はその槍の柄目掛け、剣を下から上に振り上げる。
そしてそのまま流れた剣の勢いを利用して、ブランシュの身体に剣を振り下ろした。
ブランシュもまた傑物。正中線を斬ろうとした俺に対し、咄嗟に致命傷を避けた。
だが、それでも重傷には変わりない。
ブランシュは口から勢いよく血を吐き出し、その場に崩れ落ちる。
その流れ出る血の量を見た俺は、数分は持たないだろうとアタリを付けた。
流血の量から死ぬまでの時間を計ることなど、二十年前の魔族との戦いを経験していれば誰にでもできる。
「……あなたならわかってくれると思ってたんだけど、残念だなあ」
その口から発された言葉は、俺への落胆だった。
「二十年前はよかったよねぇ。今でも覚えてるよ、最初に生き物を殺したときの手の感触を。魔物をたくさん殺して、悪人もたくさん殺して、悪人以外もたくさん殺した。平和のために、平和のためにってね。くくっ、そんな誰でも言えるような大義名分を掲げただけで、僕たちの殺しは正義だったんだよ!」
俺は熱く語るブランシュを冷めた目で見下ろす。
目が合ったブランシュは、もう色を失った唇を上げ、俺にニィッと笑いかけた。
「よかったね。あなたは僕を殺すことで、もう一度あの感覚を思い出せるよ。あの全能感、あなたも本当は楽しんでたんじゃないのかい? なあ! なあ、ヴォ――」
そこまで語ったところで、ブランシュはこと切れる。
その亡骸は狂気に満ち溢れており、先ほどまでの穏やかだったブランシュとはとても結びつかなかった。
「残念だ。……残念だ」
わかりあえているとまでは思っていなかった。
だが、認めあえているとは思っていた。苦難を分かち合えているとは思っていた。
……どうやらそう思っていたのは俺だけだったようだ。
しばらく無言でただ立っていた。
何かをしようとは思えなかった。
最近ようやく立ち直ってきた心が、またポキリと折れてしまったように思えた。
そんな俺の耳に、ぺたんという軽い音が聞こえてくる。
リーベがよろめき、床に倒れ込んだ音だ。
その音で、ようやく俺は正気を取り戻した。
「大丈夫か、リーベ!」
一瞬の立ち合いでリーベのことまで考える余裕など、ヤツは与えちゃくれなかった。
こんな小さな子どもに、酷くショッキングな光景を見せてしまった。
「おじさん、大丈夫? 悲しいの?」
だが、逆にリーベは俺の心配をしてくる。
それでやっと気づけた。
さっきから視界がやたらと滲むのは、俺の瞳が潤んでいたからだったのか。
「よしよし、よしよし」
俺の頭を撫でてくるリーベ。
「……なんで俺が撫でられてんだ」
その手が震えていることに、俺は気が付いていた。
当たり前だ。目の前でさっきまで仲良く話していた人が殺人鬼で、それを俺が殺して――今リーベの心の中はぐちゃぐちゃだろう。
俺は自分の手を一度服で拭い、そしてリーベの金色の髪の上に乗せた。
そしてゆっくりと撫でる。
「よしよし、よく頑張ったな」
その言葉を契機に、リーベの蒼い目からポロポロと涙があふれ出た。
「……うぇぇ、怖かったよぉ……。ブランシュさんと、やっと仲良くなれたと思ったのにぃ……」
「そうだな。ごめんなリーベ。……ごめんな」
それ以外彼女にかけられる言葉を、俺は持っていなかった。




