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『UNDONE』   存在の考察

作者: ノイズ




夜空が嘲笑う。

傾いた尖月が、ほくそ笑む口元みたいで、まるであたしをバカにしているように思ったんだ。

そんな事を考える程、自分は忌み嫌われているとしか思えなくなっていた。

あたしはきっと影だ。

そう思って育った。

生まれる前の世界。

ドロドロにとかされた『存在』は死からやってきた。

生と死を巡って、もう一度生成される時、固まりかけた魂を二つに分かつ。

そして一つは命に、一つはそうではないものに。

『命ではないもの』は、もう一度命になる為の部屋に、命を連れ戻すための役目を担っている。

そんな道しるべになる存在を煉獄に残して。

人間は死ぬ時、自分の魂の半分に会いに行くのだと。

だからあたしは死ぬのが楽しみだ。

あたしの半分はきっとニコニコ笑う、素直で良い子だと思う。

だって――

ここにいるあたしが、最強に嫌な奴だから。



まだ寒い早春。

十四回目の春。

誕生日を迎えて三日目。

双子の兄が死んだ。

最後の言葉は、

「藤が咲いたね」だった――


兄が長く暮らした病室からは、藤棚がよく見える。

まだ、兄が元気な時、母と兄はその藤棚の下のベンチで楽しげに話をしたりしていた。

そこでは、あたしにはニコリともしない母が楽しそうに笑っていた。

その頃、あたしは母の笑顔に会うため病院に行った。

否、見たかったのは、その笑顔が消える瞬間。正直言って、死にかけの兄などどうでもよかった。

あたしの魂は、もう彼のそばでいればいるほど汚れていくから。

弱くて健気で優しい兄が大嫌いで、そんな兄が大好きな母も嫌いで。死んだ兄の白い顔を見ても、何の悲しみも湧かなかった。病気が彼を殺さなければ、あたしが彼を殺していたかもしれない。だって、兄は母に奪われてしまった。

兄は母を選んだのだ。あの女のためにあたしを切り捨てた。

あの女の笑顔を得るために、兄はあたしを遠ざけた。ずっと一緒に居なければいけないのはあたしの方なのに。だって、あたしは兄の一部で、兄はあたしの一部だった。

だから、あたしは諦めた。生きるということを。

そんなあたしのカタワレは、動かないただの物になってしまった。

それでもあたしはその蒼ざめた唇にキスをした。

その行為に歪む母の顔がどうしょうもなく見たかったから。

薬臭く冷えきった唇から離れて振り返った時、母はあたしを睨みつけて唇を噛んでいた。

「私が間違っていたとでも言いたいの?」

強く噛んだ唇。わななく。

母の心を切り裂いた私の刃。

嗚呼、心が昂ぶる。

――ねえ、その傷跡を残したのはあたしだからね――

笑いを噛み殺しながらあたしは深夜の病室を出た。白い廊下を数人の白い人達が行き交う。

あたしの服は汚れた血のような褪せた赤。廊下の壁を指で辿りながら鼻歌を歌う。

気分がいい。

今つけたばかりの傷跡を思えば、少しの間は心穏やかに過ごせそうだ。

踊るように歩き出した。

母の顔は憎しみに満ちて、醜く歪んだ。

ねえ、あなたにはそんなことできないでしょう?

少なくとも、あの瞬間、母の心にはあたしだけしかいなかった。

そして、死んでしまったあなたを思い出すたびに思い出すだろう。

ああ――

あの傷は、いつまでもつだろうか――



「手を離しなさい。兄弟で、気持ち悪い――」

指を繋いでソファーで戯れるあたしと兄に、母がそう言ったのは小学生になったばかりの時だった。

その言葉に兄は驚いたようにパッと手を離した。

兄は小さな頃から母の機嫌には敏感で、母の嫌がることをしたがらなかった。

そんな兄が嫌で覆いかぶさった兄の首を捕まえて抱きついた。

母のパタパタというスリッパの音が近づいて、あたしはソファーから髪を持って引きずり落とされた。

「憎たらしい子!」

母の言葉と不安げな兄の顔。仁王立ちであたしを見下ろす母の鬼の形相。

心が昂ぶって、目を離せなかった。なぜか母のその顔を、とても綺麗だと思ったから。


その頃から、兄は母のいる前であたしに触れなくなった。

母は兄だけが好きだった。

兄もまるで母の飼い犬のように彼女にいうことを聞いた。

それでも兄とあたしは小さなころから二人で抱き合って眠り、手をつないで移動し、座れば足を絡ませた。

なぜそうしたのかなんてわからない。物心ついた時にはそうしていたから。

兄の体は冷たくて気持ちが良かった。

あたしにとってそれは当たり前のことだった。

けれど、母にとってそれは腹立たしいことだったようだ。

「離れなさい」

 いつと言わず、言われ続けた言葉。

 兄はそう言われると体を離す。そしてにっこり笑って母を見る。

 母はそんな兄を満足げにに見下ろした。

そして、触れ合いの場は近所の古い空き家の洋館に変わった。触れ合いといっても愛撫のようなものではない。刺激したいのは官能ではなく安心感。兄の温度とあたしの温度が一つになった時に訪れる安心感が、たまらなく好きだった。

この気持ちが双子ならではのものなのか、あたし達兄弟だけの事なのかわからないが、幼い頃からそうやって互いを触り合い安心感を得た。

頬を寄せ指を繋いで体を寄せ合えば、兄の温度があたしの体に浸透してあたしの熱さを和らげた。兄も同じように冷えた体温をあたしで温めようとしていた。

「遥は温かいね」

兄は何度もそう言った。

「葵はとても冷たいわ」

冷たい手を繋ぎながら。

今から思えば本当に何か体の欠陥を補うために彼はそうしていたのかもしれない。

洋館の存在と、そこでしていたことはすぐに母にばれた。

その半年後兄が倒れ、入院して、そこにはいつも母がいたから、二人は触れ合うことはなかった。

兄の病状は一進一退を繰り返し、徐々に体力を奪われて行くだけだった。

そして冷たいキスへと――

もう、温度を与えても仕方のない唇――

もしかしたら、あたしは兄を生かすための生命維持装置だったのかもしれない。

だったら、あの女は馬鹿だ。兄の生命維持装置を外したのはあの女なのだから。


所詮一人では生きてゆけないから二人で生まれたのだ。

きっと。

あたし達は死んでしまう――

わかっていた。

当然のことだと思ったのだ。

だって、引き離されたのだから。

あたしの中では激しい感情が吹き出す。荒れ狂う嵐のように。

熱い――

体が熱くてたまらない。

ドクドクと脈打つたびに、柔らかな血管が収縮して熱を送る。

これでもかと、この身体を熱する。熱くて、熱せられた何かが飽和して限界が訪れた時、この体はどんなふうに壊れてしまうのか。


傷付けたい。傷付けたい。傷付けたい――

壊して。壊して。壊して――

小さな頃から言葉が嫌いだった。

人それぞれ理解が異なるから。

想いが真っ直ぐ届かない。

黙って、いつも黙ったまま行動を起こす。

いつだって、母を苦しめたい。

想いはふつふつと湧いて溢れる。

止められない。

怒りの、侮蔑の、蔑む目。

あたしを見つめる目。

その強い感情はあたしだけのものだ。

そこにある真実が欲しい。


だからナイフを握った――



鼻歌は、唇に伝わって震えが声を歌に変える。

今度は、手の甲の太い血管を抉ってをみた。

ピッと血が飛んだ。脈に押し出されるように。

足を止めて来た道を振り返る。

血の道。

草が倒れて赤く染まった道。

あたしが付けた、あたしの体中のおびただしい傷は、道になる。

道しるべ――

あの人の笑顔が奪いたい。

そのための道しるべ。

激しい鼓動と押し出される血のリズムがワルツを催促する。

たどり着いたのはあの日の洋館。


見上げた空の、鋭利な月まであたしを馬鹿にする。

ガラス張りの六角形の部屋。

中央のソファーは、在りし日の兄がそこに置いたものだった。

「やっぱりいた」

ソファーの真ん中にちょこんと座る。あたしそっくりの女の子。

ほらね、笑ってる――

あたしの道しるべ――

「やっと会えたわ。アタシ、ずっとここでアナタを待っていた――」

 彼女は笑う。鮮やかな赤のビロードのワンピースを着て。

「会いたかった」

あたしはソファーに腰掛けて彼女に向かう。

鮮やかな赤と、黒ずんだ赤は出会ってしまった。

「どうして?」

彼女は問いと微笑みを垂れ流す。

「だって、会えるってわかっていたもの」

「辛いの?」

「辛くなんかないわ」

「怖いの?」

「怖くなんかない」

「どうして?」

「もういいわ。早くあの部屋に連れてって」

「あの部屋に行ってしまったらもうアナタと話せないわ?」

「どうして?」

「だって、あの部屋ではアタシはあなただもん。もう少し話したいの」

彼女はあたしの手を取る。

温度を感じない不思議な手。

きっと同じ温度だからだ。

一ミリの違和感のない手。

「次に会えるのは、次に死ぬ時なんだから」

「そうね」

二人はおでこをくっつける。

「痛いの?」

「イタクなんかないわ」

「淋しいの?」

「サミシクなんかない」

「どうして?」

微笑みを絶やさない唇にキスをした。

「熱いのよ。ただ、どうしようもなく、熱いから――」

「そうね。あなたは焼けるように熱いわ」

「そうなの」

「かわいそうに。本当に、燃え尽きてしまいそう」

抱きしめあって溶けてゆく。

心地いい存在の充溢――

たりないものが満たされてゆく。

そうか、あたしはこれが欲しかった。

「もう一人にしないでね」

最後に泣いたように笑ったのが、『あたし』か『アタシ』か、もうよくわからない。

それほどにまで濃い存在に成り果ててゆくから。




「これでよかったのかい?」

男は問う。

「ええ。……エゴだと言いたいのでしょう?」

女は答えた。悲しみなのか怒りなのかよくわからない表情だが、迷っているわけではないようだ。

「俺にどうこう言えることではないけれど、ここからは神の範疇かもしれないからね」

「どんな厄を呼ぶとしても、この存在はこの体の中で細胞分裂を繰り返しているわ。それは命でしょう?」

「命と言われれば、今のところは……そうだね」

女は妊娠していた。

男には妻がいる。

互いに医者と言う立場の不倫だ。

女の腹の中には双子がいる。

否、双子になるはずだったが、そうならずに体が繋がった、異形の存在だった。

シャム双生児。

おまけに遺伝子は男でも女でもない半陰陽。

両方とも人間にするには何かが足りない。

育つ段階で心臓が止まって、掻き出すことになる『命』のようなものだ。

腹の子に興味を持ったのは研究者だった。

ここは政府が管理する特別な研究室。その存在は限られた人間しか知らない。

子宮内の子供の手術だ。

助からなくて当然の命。

摘出して専用の培養液に胎児を鎮める。臍の緒の代わりの細いチューブから栄養を吸って、命を留めている小さな異形。

二人に切り分けて、なんとか人間の形にして外の世界を見せてやるか。

二人合わせて、一人に作ればいいと。

女は考えた。

不完全な二人か――

完全な一人か――

「二人がいい」

 これは私のものだ。

 可哀そうに――そう思った。

一人だけ残せば長く生きることが出来るかもしれないのに。

 女は男の興味を引きたかった。

 コレが不安定なほど彼は目を離せなくなる。

 専門分野の稀な症例とはそういうものだ。

 一方は小さく内臓も未熟だが、心臓が力強い。

一方は大きさも内臓の機能は問題ないが心臓の動きが弱くゆっくりだ。

心臓の丈夫な方が少しは長くもつだろう。

本当にかわいそうに。

心臓が弱い方はそんなに長く持たないだろう。

可愛がってやろう。

もし命になることが出来たら。


 共に芽生えたものだ。

 全て分かち合っていい。

 胎児の父は、おもちゃのように胎児を弄りまわした。

 女はまるで愛撫をでもされているかのようにそれを受け入れた。

 パズルのように――

 死んでも構わないから、やりたい放題だ。

 所詮命のようなモノ。

 欲しいのは命ではなく、データなのだ。

  

女は春に生まれた双子に、男女兼用の名を用意した。

 遥と葵――

 

 観察をしよう――

時々刺激を与えて。

彼らは、何を選んで、何を捨てるのか。

性が無いのか、それとも生殖機能がないだけなのか。

憎しみはどう反映するのか。

身を守るため、

生きるため。

生で有り続けるため。

コレは何になろうとするのか――

人間を完成に導くものは何なのか。

そして、

存在の、完成とは何なのか。


始まりと終わり。

生と死。

喜びと悲しみ。

陰と陽。

表と裏。

男と女。

全てが対である意味も。


全てこの二人が握っている。

否、一人か。

違う。

一つだ。


これは命ですらないのだから。

  

さあ、実験を始めよう――


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