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魂の価値③


 私は目が覚めると、すぐさまスマートフォンを手に取り、薫兄の番号を呼び出した。震える手で耳に携帯を押し付け、薫兄が出てくれることを祈った。普段ならばたかが夢と無視できたが、死のリアルさと夢の中の私の異常な発言に、私は子供みたいに暗闇と孤独が恐ろしくてたまらなかった。


 今が何時なのかわからないが、薫兄は中々電話に出てくれなかった。カーテンを閉め切った光のない部屋で、私は布団を頭からかぶりながら、ただただ薫兄が電話に出るのを待った。呼び出し音が鳴り続けること数分……少なくとも私に取っては耐え切れない長い時間を経て、ようやく電話が繋がった。


「……お前、今四時だぞ?」


 不機嫌そうな声の後に、欠伸が聞こえた。


「ごめんなさい。でも、何か声聞きたくて」


 対する私は、声に感情が出ないように言葉を返す。こんな時間に電話しておいてなんだが、薫兄に弱い所を見せるのは何だか気恥ずかしい。もっとも、薫兄の声を聴いて少し落ち着きを取り戻すと、今の発言の方がよっぽど恥ずかしいことに気が付いたけど。


「お前、何かあったのか?」らしくない私の言葉に、薫兄が心配そうな声で呟く。「まあいいや、今日は休みだし。そっちに行くよ。起きて待っていてくれよ?」


 私が頷くと電話は切れた。私はベッドから出ると、取りあえず顔を洗いに一階の洗面所に向った。薫兄も着替えや移動でそれなりに時間を使うだろうから、それまでにこの酷い顔を何とかしなくては。勢いで電話をかけてしまったが、まさかこんな青春の代表みたいなイベントになるだなんて。不謹慎かもしれないが、私はもう夢の中の悲劇の恐怖を殆ど忘れていた。


 橘先輩は意味深に言っていたが、所詮は夢だ。脳の作り上げた映像で、私の記憶の混成物でしかないのだ。薫兄と会える現実の方が何倍も重要だ。


 十五分もすると、薫兄が私の携帯に電話をかけて来た。家の前まで来たから、鍵を開けて欲しいとのことだ。私は両親が寝ていることを説明した後、ゆっくりと家の鍵を開けた。


「ったく、僕は病み上がりなんだからな?」


 まだ日も出ていないのに、薫兄はサングラスをかけていた。春先に叔父さんの家で倒れて以来、薫兄はいつもサングラスをかけるようになった。眼を病気で悪くしてしまったらしく、光に弱くなった瞳を保護するために、こんな日の昇らない時間ですらかけなければならないらしい。背は高いが、幼さの残る顔の薫兄には正直似合っていない。デザインを変えるように指摘したが、特注品らしく易々と変えるわけにもいかないいようだ。


 サングラスのことを触れると、薫兄は少しだけ恥ずかしそうに笑った。


「次のサングラスは、お前に任せるよ」


「それで、どうしたんだ? こんな朝方に」


 家に上がると、薫兄は何故か私よりも前を歩いて進んで行く。階段を忍び足で上りながら、小声で喋る薫兄の顔は、不思議と私を安心させる。


「大方、また夢だろ? 小さな頃は、寝て見る度に僕にそのこと話してくれたもんな」


 懐かしい。まだ夢と言う物がなんなのかわかっていなかった頃の話だ。いや、今も大して夢のメカニズムなんて知らないんだけど。


 その当時の私は、誰も彼も夢とは、夢の中の自分を見る世界のことだと思っており、他の人間がそうでないことを知ると、私は自分が特別だと思い込み自慢した。ただ、両親はそのことを気味悪がり、特別でなく異端だと解釈したことを悟ると、他言することは控えた。当時から叔父さんの影響でオカルト好きだった薫兄だけが、私の見る夢のことを認めてくれた。


 私は薫兄の言葉に「うん」と首を勢い良く縦に振る。この世でこんなことを相談できるのは橘先輩を除けば、薫兄しかいない。自分の部屋のように扉を開けて私の部屋に入る薫兄に、ブラック缶コーヒーを手渡して、私は今見た夢の説明をした。


「ああ、多分それは、クライオニスクじゃあないか?」


 すると、私の説明を吟味する風もなく、薫兄は当然のように聞きなれない言葉を口にした。


「く、クライオニスク?」


 取りあえず、オウム返しをする私。


「そ。人間の冷凍保存のことさ。英語、得意だろ?」


「まず、そんな技術自体が日本語でも初耳だよ」


「そうなのか? クライオニスクって言うのは、アメリカのとある非営利組織を発端とする医療技術の一つさ。まあ、医療技術って言うには、少し乱暴だけどね」


 コーヒーを一口含むと、薫兄は人差し指でサングラスの位置を微調整した。


「難病の人間や、どうしても死にたくない人間を、凍らせて保存しておいて、治療法が確立した時代に解凍する。一種のタイムマシーンみたいなものかもね」


 一旦凍らし、また溶かす。何ともオカルトなのかSFなのか判別しにくい思想だ。正直、医療技術と表現するのも、タイムマシーンと言うのも違和感がある。私にしてみれば、死を冒涜しているとしか思えない。


 それにあの時の私は泣いていた。夢の中の私もだ。それが蘇ると言うのなら、失われた母親の命と言うのは、一体なんだったのだろうか?


「そうか? ロマンあふれていると思うけど」


 憤る私に、薫兄が苦笑する。


「死者の蘇生に再生、それに復活って言うのは何処の国にもある、奇跡の一つだからね。別に突飛で気持ち悪いことをやっていうるって印象は僕にはないかな」


 薫兄は本気でそう思っているらしく、私の言葉の意味がわからないと首を傾げてコーヒーを一気に呑み込んだ。この人は、本当にいつもそうだ。目に見えない様な物を追いかけているくせに、普通の人が大切にするような心だとか情だとかを信じていないと言うか見えていない。


 もっとも、そんな言い争いは無意味だ。私が口で薫兄に勝てるわけないし、そんな勝敗なんてどうでもいいのだ。


 問題なのは、夢の中の私はどうしてそんなことをするかだ。


「言っただろ? 死者の復活を求めるのは別に特別変なことじゃあないって。死んだ人が蘇ったら、誰でも嬉しい物さ」


 サングラス越しでわからないけど、薫兄の目は何処か遠くを見ている気がした。叔父さんのことを思い出しているのだろうか? しかしどうにもそう言う感傷的な薫兄は想像できない。


「もっとも、今の所は凍らすことしかできないけどね」


 それを証明するように、薫兄は口元だけで笑いながら話を進めた。


「膨張率の関係でね、昭和の漫画みたいにお湯をかけて直すわけにはいかないんだよ」


「なんじゃあそりゃ」


 確かに、凍傷なんて言葉があるくらいだから、凍らせればいいと言うわけではないか。じゃあ、ますます医療技術もタイムマシーンも正鵠を射た表現じゃあないじゃあない。ただの死体冷凍だ。人間はマグロじゃあない。


「そんなことして意味あるの?」


「最初に言っただろ? 解凍技術ができるまで凍らせとくんだとさ」


 何と言うか、問題を先送りにしているだけじゃあないだろうか? そう言うと、「その通りだけどね」と薫兄も複雑そうに笑った。


「それでも、凍らせるのだって色々な試行錯誤があったんだ。魚や牛肉のようにはいかないし。死体をいきなり凍らせるわけじゃあないんだ。冷水にぶち込んだり、血液を無理やり循環させたり、特殊な薬液を注入したりしないといけないから。もっとも、解凍したためしがないから、現在の手法が正しいとは限らないのもまた、格好がつかない所だけど」


 とことん意味のない技術だ。


「クライオニスクニについてはそんな物かな? しかし、どうしてそんなマニアックな夢を見たんだろうな? アルコー延命財団のCMか?」


 人の夢にコマーシャルを送れる技術の方が、クライオニスクより数倍凄いと思う。


 冗談はさて置き、確かに私の見る夢は謎だ。謎なんだけど…………。


「それって、今更触れることかな? やっぱり夢だよ」


 私はそのことについて本気で考えるつもりはない。だって夢なのだから。


 夢で起こることに意味を求めるなんて、不毛だ。


「その不毛な夢に振り回される僕の身にもなってくれよ」


 う。それを言われると弱い。


 しかし夢とわかっていても、怖いのだから仕方がない。所詮、目に見えるこの世の全ては、脳が作り上げた映像だと言うことを突き付けられるような気がするのだ。現実と言う言葉がとてつもなく脆く思えてしまう。


「そう言えば、夢の中の美帆の名前って何だっけか? 聴いたことあるっけ?」


 何故このタイミングでそんなことを訊いて来るのだろうか?


「ラウラ・C・マークルだけど?」


 私は夢の中の自分をこう呼ぶのが苦手だった。私を私以外の名前で呼ぶなんて違和感の方が強い。夢の中の私はあくまで夢の中の私なのだ。


 薫兄は少しだけ考えるような素振りを見せると、「じゃあ、ちょっと調べてみるか」とズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。オカルト好きな癖に、新しい物も大好きなのだ。そう言うと


「オカルトには『古い』って意味はないんだけどな」困ったように頬をかいた。


 検索サイトに薫兄が慣れた様子で文字を打ち込む。しかも、英語の綴りでだ。本当に妙な所で万能なんだよな。検索結果から出て来るのも当然だけど英字サイトばかりだ。ヒット数も一万件近い。架空の人物にどうしてこんなヒット数が。


「うーん。ラルフ・C・クラークは有名だからね。間違ってヒットしたみたいだ」


「有名人?」俳優か何かだろうか?


「いや、『金剛時代』って言うオーパーツの著者」


「オーパーツの本?」オーパーツと言えば、その時代に有り得ない物の存在のことだ。水晶の髑髏だとかバグダッド電池とかが有名どころだろう。しかし、本のオーパーツとはどう言うことだろうか?「人類誕生以前の本ってこと?」


「何だ、知っているのか」思いつきの言葉が、見事に正解だった。「南極の氷の下から発見された本の著者だ。しかも、書かれていることはナノテクノロジーに関する英語の論文だって言う、意味不明でハチャメチャなオーパーツさ」あー、電子データでもいいから手に入らないかな? と言う叫びが後に続いた。


「へー、そんな本が在るんだ、でも、それが今関係するの?」


 夢の中の私の名前が、そんな珍しい本の書き手と同じ姓を持っているなんて、どんな意味があるのだろうか?


「ないね」


「ないのかよ! 意味深だったのに!」


「ご都合主義がそうそう起こるはずがないだろ? 僕達は主人公じゃあないんだから」ざっくりと薫兄が関係性を否定する。漫画だったら、後々の伏線になったりするのかな? 「これは思ったよりも大変かもね。少なくとも携帯で探すには骨が折れるな」


 最初の一件目をクリックして、薫兄はサングラスを少しずらして文章を読むと苦笑した。


「全然関係ないね。この本を題材にしたSF小説のサイトだ」


 他にも数件を適当にチョイスしてみるが、ラウラの情報は出てこない。もう少し細かく検索するには、パソコンでなければ難しいらしい。「叔父さんの屋敷なら、余裕だと思うけど」とも付け足す。翻訳ソフトがどうとか、知り合いを頼れば、とかブツブツと独り言をしている。


「あれ? なんか急に真剣になったね?」


 さっきまでは、どうせ夢だろ。くらいのスタンスでこの話を聴いていたのに。


「ああ。僕にも思う所があってね。美帆の夢が少し気になるんだよ。祐太にも言われたし」


「ふーん。私に取っては今更で、所詮夢なんだけどなー」


「何だよ、小さい頃はどっちが夢でどっちか現実かもわからなくなって泣いていたくせに」


 う。随分と昔のことを引っ張って来るな。


「ま、所詮夢には賛同だよ。命に係わることでもないしね。ただ気になるだけさ。後は僕が一人で適当に調べておくよ。今日は久々にどっか遊びに行こうか」


 缶コーヒーを一気に煽ると、薫兄は勢い良く立ち上がった。


「朝飯をジョースターかフランシーヌで食って、その後のことを考えよう」


 携帯で時刻を確認する薫兄を、私は見上げる。随分と背が高くなってしまったな。昔は、私の方が背は高かったのに。


「ジョースターの割引券あるよ」


 何時頃から身長で負け始めたのかを思い出しながら、私は財布に入っていた割引券を取り出す。


「じゃあジョースターで」薫兄が迷いなく目的地を決める。パスタ限定だが、薫兄は躊躇うことなく「じゃあたらこスパで」とメニューを決める。イタリア人だって、朝からパスタを食べないと思うんだけど、問題はないらしい。


 薫兄を部屋から追い出し、適当に着替えを終えると、カーテンを開けた。いつの間にか登っていた太陽が、鋭く私の部屋に差し込んできた。夢が終わる時間が来たのだ。

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