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魂の価値②

 私は毎日、不思議な夢を見る。


 空が虹色に染まり、豚が空を飛び、魚が理髪店で働くような、突飛で意味不明な夢と言う意味ではない。


 その丸で逆。現実味が有りすぎて、寝ていなければ夢と思えないような夢を見るのだ。


 今日の夢もそうだった。


 知らない町並みを、私は友人達と歩いていた。純粋な日本人であるはずの私の友人は、何故か誰も彼も金髪や高い鼻を持っていて、どう見ても日本人には見えない。風景も同じで、日本では見ないような広い道路に、洋画で見るようなプール付きの一軒家が良く舞台になっている。


 夢とは記憶の整理だと良く聞くが、夢の光景には全く覚えがない。潜在的無意識と言う奴だろうか? しかし隣を歩く友人達は流暢な英語を話しているのだが、夢の中の私はそれをしっかりと理解し、会話を行っているのはどんな理屈だろうか?


 勉強と言えば、夢の中の私は非常に勤勉だ。夢の中の私は、図書館に頻繁に足を運び、人体がどのようなメカニズムで動いているか、真剣に学んでいるようだった。早く眼が覚めることだけを目標に、私は彼女の操るシャーペンの先をぼーっと眺める。


 これが、私の見る不思議な夢の全てだ。



「ふーん。それって、続き物なのかい? 桜井ちゃん」


 目の前でサンドイッチを頬張る橘先輩は、私の話を聴き終えるとそんなことを聞いてきた。


「いつも同じ夢なんだろ? 前回の続きなのか、それとも毎回バラバラなのか。それだけはっきりと覚えているなら、時間の流れはわからないのかい?」


 橘先輩の質問に、私は素直に応える。


「成長してますね。時間の進む長さは毎回バラバラですけど、時間が戻ったことは一回もありません」


「ふーん。変わってるね、美帆ちんの夢」


 私の答えに、感心したように呟いたのは、指先に付いたポテトの脂を舐め取る梅原先輩。


 橘先輩と梅原先輩は、仲睦まじい恋人であり、共に薫兄の友達である。面識はそれほどなく、正直に言えば一緒にご飯を食べる程に仲が良いわけではない。


 が、最近体調不良を理由にした早退や遅刻を繰り返す薫兄の様子を聞くために、わざわざ一年生の教室にまで足を運んでくれた。


 しかし残念ながら、私も詳しいことは知らない。どうやら目の病気らしいけど、詳しくは説明したがらないのだ。正直に事実を話すと、橘先輩は「そ」とだけ言うと、私の夢について訊ねて来た。どうやら薫兄から聞いたことがあるようだ。


 私の知らない所で薫兄が私のことを話していると考えると、なんだか頬が弛んでしまう。


「変わってますか? でも、私にとって、夢ってそう言う物なんですよね」


「あーそれもそうか。結局、普通とか変わってると、主観でしかないもんね」


「でも、本当に不思議だよな。産まれてからずっと、同じ人間の夢を見るだなんて前例がないんじゃあないか?」


「かもしれませんね」


 私は今一その重要性がわからず、気の抜けた返事をする。


 前例がないも何も、私にとってはそれが当たり前で、不思議も何もない。太陽が東から昇るように、夢と言うのは同じ人物の一生を黙々と追いかける物なのだ。


 その後、私達は適当に夢の話に付いて花を咲かせると、五語からの授業に遅刻しないように早めに食堂を後にした。




 その日の番も、私は夢を見る。


 夢の中の私は、清潔そうな白い部屋に駆け込むと、悲痛な声で何かを叫んでいる。英語がわからないのではない。あまりにも感情が高ぶり過ぎて、言語としての体をなしていないのだ。その原因は、個室のベッドに寝かされた母親。勿論、夢の中の私の母親であり、私の実の母親とは似ても似つかない赤の他人だ。その夢の中の母親は、呼吸をすることすら機械に頼り、思考力も何もかもを失っていて、見ていて痛々しい。


 しかしそれも、今日までだろう。幾つものチューブで仰々しい機械に繋がれた彼女の命の灯が燃え尽きるのには、もう後幾何の時間もないだろうことが嫌でも伝わって来る。


 もっとも、そのことについて胸に来るような物はない。夢の中の私と私はあくまで別人だ。夢の中で毎日のように顔を合わせていた人物ではあるが、所詮は夢の中の住人。彼女に対する大きな感情はない。だから。私には橘先輩との『時間』に付いてのやり取りを思い出して、カレンダーを探す余裕があるくらいだ。


 独特の消毒臭い病室を見渡すと、置時計や腕時計がちらほらと確認できたが、カレンダーは何処を探しても見つからない。


 ただ、服装や髪形のセンスと言うか雰囲気がやたら古く思えた。二十年前の映画を見た時のような違和感が部屋にはある。今までは微塵も感じなかったのだが、橘先輩達との会話のお陰だろうか? 今日の私は妙に冴えている。夢の中の私と反比例するように。


 その内に、母親は息を引き取った。実は人が死ぬのを私は始めて見た。夢の中とはいえ、一つの命が消えたと言う不思議な瞬間に、私は震えた。ドラマみたいに機械音が鳴り続けることも、紙の心電図が乱れることもない、静かな死はなんとも不気味だった。


 それから暫く、夢の中の私は母親だった物に縋りつき、大粒の涙を何粒もぽろぽろと流しながら泣いた。私も、心で泣いた。何故だか、先程まではどうでも良かった人の筈なのに、どんどんココロが苦しくなって、何故あの人のことを知りたがらなかったのだろうかと、私は後悔までした。人の死は、ここまで重いものなのかと、打ちのめされた気分だ。


 と、そこで一つの変化が起こった。悲しみを含んだ声だけが響く病室に、数人の男が押し入ってきた。彼等は手慣れた感じで、チューブに繋がった機械を操作し始める。あれは、生前に使う機械ではなかったらしい。一体、死んだ人間の身体に何をしようというのだろうか? 冒涜も良い所の行動の筈なのに、私はその様子を泣きながら見ているだけだった。力づくでも止めるべきだろうと、私は意味がないと知りつつ、私に話しかける。


 その時、私は初めて気が付いた。私は何か、喋っている。壊れたラジオのようにぶつ切りな言葉で、母親に向けて祈りに近い様子で言葉を捧げているのだ。内容に、私は全身の血の気が引くのを感じた。


『待ってて、絶対に助けてあげるからね、お母さん』


 私は、何をするつもりなのだろうか。

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