虚空の声⑥
そう、よく考えて見るべきだったのだ。少し頭を捻ればわかるではないか。輝叔父さんが自殺した原因は、あの機械のせいなのだと。首吊り自殺で恐ろしい死に顔になるわけがないことを、死後の硬直があるとは言え固まってしまった瞼や顎を動かすことくらいはできるだろうと。幾らなんでも、大人達が死体を見たくらいで何日も寝込むはずがないだろうと。何より、祖母に死体を見せずに火葬するなんてことが有るわけがない。
詳しくは話す気がないので、上辺だけを伝えようと思う。
僕はあの声を聞いた後、丸二日眠っていたらしい。休日を寝て過ごすだなんて、産まれて初めてのことだったと思う。僕が目を覚ますと、やつれた顔をした母親とTシャツを来たラフな格好の近衛さんが言い争いをしていた。その原因はどうやら僕にあるようで、「薫君が起きなかったらどうするの?」「人殺し!」と母親が言うと、近衛さんが「だから、私のせいじゃあないって! 警察も調べているし、平気ですから落ち着いてくださいお母さん」と声を荒げる。二人はここが病院だと言う認識がないのだろうか?
僕の目が覚めたことに感涙する母親に頼んで部屋から出ていってもらうと、近衛さんに事情を聴いた。母親よりも、近衛さんの方が正確に冷静に伝えてくれそうだったからだ。
まず、近衛さんと大将さんは僕の悲鳴を聴いたらしい。尋常ならざる僕の悲鳴に、二人は血相を変えて三階に駆けつけてくれた。そこにいたのは、目と耳から血を流し絶叫し狂乱する僕と、僕の眼窩から零れ落ちた二つの眼球を啄むオウムの姿だった。あのラジオ型の機械は、作業机に落とした際に壊れてしまい、ノイズだけを撒き散らしていたそうだ。二人は常識的な手はずに則り、救急車を呼び、僕を神知教の病院にまで運んでくれたらしい。
そこまでの説明を聴いて、僕は首を傾げる。オウムのように、疑問符の形に。
「眼? 僕、普通に今、目が見えていますけど?」
近衛さんの説明を疑うわけではないが、現実として僕の瞳は普通に見えている。僕の問いに近衛さんは首を真っ直ぐに立てに振った。「押し出されたのよ。薫君の目の下から、もう一つの目が産まれたのよ」
近衛さんの奇妙な台詞に、僕の頭は混乱を極めた。そんな様子を見かねたのか、近衛さんはジーンズのポケットから手鏡を取り出し、僕の顔の前に差し出した。そこに映る僕の瞳は、琥珀色をしていて、濁りのないそれは猛禽類のそれだった。
「わお」
自らの眼に起こった異変を認めたくなかったので手鏡を白いベッドの上に落とす。現実逃避に少しの間目を閉じて、全てを否定する。
「薫君。あそこで君は何をしていたの?」
恐る恐る言葉を選びながら、近衛さんが伝えたいことを言わないようにしながら口を動かす。
「あの機械よね? 勝手に壊しておいたけど、アレはなんだったの?」
「……動物の声を聴く機械です」
正直に答えると、近衛さんは一層不思議そうに首を捻った。
「叔父さんが作った、言葉から概念を読み取る機械。それがあの機械の正体です」
自分でも何を言っているのか良くわかっていないが、僕は必死な思いで近衛さんに事情を説明した。叔父さんの研究のこと、叔父さんが自殺する前に完成したこと、叔父さんはそれの使用をとても楽しみにしていて、結局その成果を書かずに自殺してしまったこと、そして僕は迂闊にもあの機械を使い、オウムの声を聞いたことを。
変わってしまった瞳の色に混乱しながら、僕は少しずつ近衛さんに説明をした。
しかし当然と言うべきか、近衛さんにも僕の体に起こった異変は分らなかった。輝叔父さんが存命ならば、叔父さんに訊くのが一番確実なのだが。
でももう、叔父さんはもういない。
後日、僕は退院すると同時に、父親に輝叔父さんが死んだ時の状況を訊きに行った。もし、叔父さんがあの機械でオウムの声を聞いたなら、僕の瞳のような変化が起きていたに違いない。そんなことを思っての行動だった。
案の定、父は何も喋りたがらず、説得を無理と見ると、僕は大将さんに連絡をし、警察から叔父さんの最後が載った写真を見せてもらった。厳重に封筒に入ったそれを持つこともおぞましいと、若い警察官は吐き気を堪える表情でそれを僕に手渡した。
渡された封筒を開け、写真を取り出す。そこに写っていたのは、苦悶と恐怖の表情で血の涙を流す輝叔父さんの顔と、触手と羽を生やした奇妙で悍ましい身体だった。
その色使いやバランスは到底この世の物とは思えず、輝叔父さんが自らの姿を呪い、自殺したのだと確信させるには十分だった。恐らく、輝叔父さんは完璧に聴いてしまったのだろう。機械の調子が悪く、ほんの一フレーズをノイズ混じりに聴いただけだから、僕は瞳が生え変わるだけで助かったのだ。もし全てを聴いていれば、僕の体も今頃、吐き気を催す奇妙な羽毛まみれの軟体の身体へと変化していたに違いない。僕は静かに写真を警察官の手に返すと、大将さんの制止も振り切って、輝叔父さんの屋敷に戻った。
身体は羽のように軽く、どれだけ走っても疲れることはなかった。瞳以外も人外の何かに変わってしまったと悟るには十分だった。短距離走のスピードと、持久走の体力で走った僕は、山道を真っ直ぐに突っ切ることで車よりも早く屋敷に着くことができた。
屋敷の何処を探してもあのオウムはおらず、あの恐ろしい言葉を訊くのが僕で最後になることを祈りながら、叔父さんの作業日報を書斎にあった古いライターで燃やした。
今も鳥の鳴き声を聴く度、僕は恐ろしくなる。
あの小さな翼を持った生き物は、その小さな頭で何を考え、何を思い、何を語っているのだろうかと。
一体、僕は何を聴いてしまったのだろうか?
以上【虚空の声】でした。
お楽しみいただけたでしょうか?
次回【魂の価値】は、早い内にお届けできると思います。