虚空の声④
強欲な親族が帰った後、大将さんは、ここの管理人を僕にやってもらうことはできないかと少々ぶっ飛んだことを頼み込んできた。輝叔父さんの集めた物は節操がなく、叔父さんが死んでしまった今、この屋敷の物品を一番把握しているのが僕に他ならないからだ。因みにどれだけ通っていたかと言えば、週に一回は学校帰りに訪ねていたし、土日を丸々あの屋敷で潰すことも珍しくなかった。輝叔父さんが旅行中には、奇妙な生物の飼育を頼まれたことも記憶に新しい。夏休みの半分以上はあそこで寝泊りしていた。最早、第二の実家とも呼べる。
給金は驚くほど高かったし、古文書等の翻訳も好きにできる。更に高校卒業後一人暮らしの当てができて、良い事尽くめで僕は一も二もなく引き受けようと思ったが、この場では取りあえず考えさせて下さいと返事を保留しておく。堅物の父親と、子離れができない母親を説得することから始めないと、後々に禍根を残すことになるだろう。
大将さんは残念そうな顔したが、僕に屋敷を自由に訪れても良いと言って、一枚の名刺を差し出した。金属製のそれをぼくは財布の中にしまい、僕が管理人になるまでの間はどうするのか訊ねた。
「あ、それは私が取りあえず、やるつもり。って言っても、私は何もわからないから、取りあえず、暫く学校帰りにでも寄って貰える? 謎の文字で書かれた本とか、骨董品の目録作りとかもしてほしいし」
「ええ。平気ですよ」断る理由が無い。
普段の行いが良かったのだろうか? この後も話はとんとん拍子に進み、僕は近衛さんと大将さんと一緒に屋敷の中を見回ることとなった。帰りは、大将さんの車で送ってもらえるらしい。信じられないことに、運転手がハンドルを握る高級車に乗って帰ることができる。月曜日に、友達に自慢しておこう。
屋敷は調理場や輝叔父さんの私室を除けば、その殆どが書庫や倉庫や保管庫や飼育室や研究室になっている。よくもまあ、ここまで手広く蒐集し管理できるものだと、僕は改めて輝叔父さんの異常さに驚いた。てっとり早く言うと、節操がない。
もっとも、高校生になってからは、輝叔父さんが旅行に出かける時に何度かこの屋敷を任されたことがあるので、管理だけであれば、僕になんとかできないレベルではない。流石に、蒐集や転売となると門外漢だ。輝叔父さんの友人にも、近いうちにメールや電話をする必要があることを頭の片隅に留めておいた。
三階建ての建物の内、使用していない部屋は一階に僅かしかない。来客用の部屋ではあるが、どこか牢屋のような圧迫感を感じさせるのは、窓がないからだろうか? 一部屋ずつチェックをしていき、一番まともそうな部屋を見つけると、近衛さんは泊まり込みでなく毎日通うことに決めた。
それは手間なのではと思ったが、近衛さんは「私、暇だから平気」と笑顔で答えた。普段何をしている人なのだろうか? 大将さんの顔を見ると、子供の育て方に失敗してしまったことを後悔しながら、恥かしそうに右手で顔を隠していた。近衛さんの就職事情には触れない方がよさそうだ。
気まずい空気の中、一階を一通り見回ると、次は地下に降りた。地下には飼育室が大量にあり、外の溜め池にいた珍魚とは比べようもない、貴重な生物がそれぞれの部屋に飼育されていて、それぞれの部屋から、空調の音が聞こえてきた。
階段を下りた一番手前の部屋の扉を開けると、二人に素早く入るように促す。部屋ごとに適温を保っているため、開けっ放しにしないようにと、近衛さんに説明した。取り出した携帯でメモを取っている所を見ると、この仕事に対する意識はそれなりに高いようだった。
「でも、どうしてここの管理や、輝叔父さんの蒐集を後援するんですか?」
部屋に置かれた七つのアクアリウムの温度と餌の量を確認しながら、大将さんに訊ねた。
「ここの空調の維持費だけでも結構な値段だと思いますけど」
温度も餌の量も問題なーし。一応、昨日一日の温度推移を確認したが、おかしなところはない。唯一つ以上なことは、この水槽にいる魚が水中にいる限り肉眼で確認できないことだろうか? 元気なのかどうか確認が取れない。が、死んだら見えるはずなので、生きてはいるだろう。
「ここの研究成果に比べれば、この程度微々たるものだよ。輝和はここにある膨大な試料を纏め上げたり、不可思議な生物の特性を見抜いたり、骨董品の修繕をしたりし、それを私や他の人間に回してくれた。その研究が世間の役に立つかどうかはわからないが、彼の働きは値千金の物ばかりだ」
輝叔父さん、凄い人だったのか……。しかし、そんな人の後任に僕を選ぶその神経を疑わずにはいられない。
「何言っているの、研究報告に君の名前も沢山あったわよ? 手伝っていたんじゃないの? 『天解文書』の目指すべき領域の一章翻訳とその概要。あれ、君が書いたんでしょ?」
でしょ? なんて小首を傾げられても、研究なんて壮大な言葉には覚えがない。そりゃあ、夏休みの研究と称して、輝叔父さんの仕事(昔は趣味だと思ってた)を手伝ってレポートを書いたことはあったが、評価されるほどの物ではなかったはずだ。天解文章にしたって、肝心要の呪文のほうを翻訳できていない。
「それでも、十分凄いわよ。普通の高校生にできることじゃあない。それとも自分のことを過小評価している? 君は自分が思っている以上に私達の間では有名よ? あの変人が弟子を取ったって」
「弟子ですか」
僕としては、あの輝叔父さんに師事している気持ちは全然なかったのだけども、やはり過大評価な気がしてならない。
「そうそう。君が設計したクルセイダーソード=レプリカの使い勝手もかなり良かったし」
「使い勝手って、あんな鉄の塊を何に使ったんですか?」
「そりゃあ、主に叛く敵をぶっ殺すのに」
近衛さん、こんなキャラクターだったっけ? もしかしたら輝叔父さんの死にショックを受けているのかもしれない。そういうことにしておこう。大体、キリスト教徒じゃあないだろこの人。
全部の水槽の餌の具合をチェックし、水温に異常がないことを確認すると、部屋を後にした。その他の部屋も回り、同じ様に餌と室温のチェックをする。輝叔父さんが死んでから一週間経過しているとは言え、この程度の期間であれば、誰もいなくても機械的に餌が落とされるようになっており、特にこれと言った問題はなかった。
危惧していたキト・ヤートも全員無事だったので何よりだ。この調子なら、二十四時間体制の観察カメラの確認も必要ないだろう。少なくなっている餌を補充し、近衛さんに餌の購入方法と補充のタイミングを説明した後、僕たちは地下を後にした。階段を上りながら、大型の生物はいないので、近衛さんも一先ず安心しだと笑った。ただ、爬虫類の食事用の冷凍鼠にはドン引きしていたが。しかたないよな、あれを子供の蛇が食べやすいように包丁で切っている時は僕でもかなり心に来る。
一階は先程回ったので、足はすぐ二階に向けられた。二階は主に保管スペースであり、古書の翻訳や解読(勿論、お遊び程度ではあるが)が好きな僕が一番活用していた階であり、一番落ち着く場でもある。古書の分類も僕が殆どやったので、説明も容易い。基本的には時代ごとに分類したつもりである。あいうえを順だと、発音や翻訳者によって随分と位置が変わることがあるし、内容で分けるのは無理が大きかったからだ。昔の人間は手当たり次第にでも研究していたのか、記載された情報の幅が広過ぎる。それに、僕は本をジャンル分けやカテゴライズすることがあまり好きではなかった。漫画も小説も論文も、僕にて取っては変わらぬ本だ。文章だ。
部屋を変えれば、妖しいミイラの一部や、奇怪な生き物の頭骨。巻物や掛け軸と言った日本風の物も当然多々ある。オーパーツ好きでなくとも見た事のある水晶髑髏が、近衛さんの目に留まったようだった。大将さんは一番最近の書物がある、つまり輝叔父さんと僕の書いた書類の保管室へと足早に歩いていった。
これらの部屋も当然空調が行き届いており、少し寒いくらいだった。この部屋の物は全てクリアケースに厳重に保管されているので、掃除は床やケースの周りだけでいいと説明した。
「いや、私がやる必要もなさそうだし、もう若い娘を雇うわ。面倒だし」
返って来た答えに、僕は「えー」と声に出す。先ほどの決意は何処に、ニートここに極まった発言だった。
「薫君はどんなタイプが好き? メイドとかどう?」
「僕はあざといメイド服が軽蔑するほど嫌いなんで、普通に白いエプロンの似合う清楚な女の子がいいですね。フリル撲滅運動ですよ」一体、僕は何を言っているんだろう?
「胸は?」「大きいほうがいいですね」
間を置かずに答え、無言で熱く固い握手を交わした。僕は、何をしているんだろうか?
「うんうん。良かった良かった。オジサンみたいに、研究に熱中しすぎて枯れているのかと思ったけど、その心配はなさそうね」
そんなことを僕は心配されていたのか。少しショックだ。まだ若いんだから、流石に興味はある。特に、同級生でありオカルト話のできる橘裕太と、その彼女の梅原祥子を見ると、壁を無言で殴りたくなるほどに感情が湧いてくるんだぞ。いや、沸いてくるのだろうか? 最近の悩みは、幼馴染との距離感がわからなくなったことだったりするんだ。卑怯なんだよな、急に女っぽくなりやがって。
「君の彼女欲しいアピールはわかった。落ち着け」
「すいません。取り乱しました」本当に、何を言っているんだろうか僕は?
「なんなら、お姉さんが慰めてあげようか?」
まじで?
「二十歳過ぎても相手がいなかったら、お願いしますよ」
どう返すのが正解なのかわからず、僕はどぎまぎしながら適当に返事をした。
「あー、その頃までには結婚してたいな」
僕の言葉に真剣な表情で呟く近衛さん。二十歳でいきなり結婚はすこし勘弁して欲しいので、お手柔らかにお願いしておこう。そして、近衛さんの歳は僕の中で永遠の謎にしておいた。これからここに通う予定なので、会う機会も増えるだろうし、関係は良好にしておきたい。
暫く雑談交じりにケースにしまってある物の説明をしながら、大将さんが奥の書類の保管室から出てくるのを待った。僕にとっては見慣れた物ばかりであり、説明も一区切りにすると、視線の先は自然と近衛さんに向いた。いや、変な意味じゃあなく。
近衛さんの着ている着物の帯や根付には積み重なってきた時代が感じられ、マニアな心が揺さぶられるのだ。
そんな僕の視線に気がついたのか、近衛さんは意味ありげに笑う。「わかる?」
「わかる、わからないで言えば、わからないですね。その着物の柄は、平安時代くらいの物を、近代になってレプリカにした物だと思いますけど」
「うんうん。こういう古物の専門家じゃあないのに良くぞそこまで見抜いた。やっぱり、君はあのオジサンの弟子だよ」
「趣味の範囲ですよ。持ち上げられると、痒くてしかたがないですね」
「まあでも実際、私の父親とかは期待していると思うよ。稀代の錬金術師だったオジサンの後釜になれるのは薫君だけだろうし」
期待の錬金術師って所ね? と最後に付け足していたが、僕は無視した。