虚空の声③
その確信は見事現実となった。しかも僕にとって限りなく好都合な方向に、事態は転がっていた。
翌日、親戚の叔父叔母連中と連れ立って、山奥の輝叔父さんの屋敷に出向いた。正式な人数は覚えていないが、荷物を載せられるように大きなバン三台に別れて乗車していたので、十人を下回ると言うことはなかっただろう。
幾ら田舎の山奥とは言え、輝叔父さんが日常に暮らしていた家であり、砂利道ではあったが特に迷うこともトラブルもなく屋敷に着くことができた。輝叔父さんの趣味なのか、わざとみすぼらしく作られた牢獄のような面構えは、誰かを歓迎しているようには見えず、何人かは不気味だと嫌そうな顔をしていた。葛が蔓延る城壁のような壁の素晴しさがわかったのは、この中では僕だけのようだ。格好良いと思うんだけどな。
普段から鍵のかかっていない屋敷の錆びた門を開け、ぞろぞろと連れ立って庭を歩く。テニスコートが四面は並ぶ大きさの庭には、世界各地から取り寄せた、或いは模倣したオブジェや建造物が並び、それは一種の魔境のようで僕のお気に入りだった。カナダの先住民の霊的シンボルである滑稽な顔をした鳥の彫刻は輝叔父さんのお気に入りであり、僕もまたあの間抜け面が好きだった。そう言えば、輝叔父さんは鳥類に対する執着心が特に強かったと思う。
庭の中心に造られた五行を象った溜め池の魚が一匹跳ね、その魚のグロテスクさに、従姉の一人が悲鳴を上げた。未婚の若い従姉は、叔父の家を捜索するには向かない、全体的に露出が多い姿で、僕の話を聴いて簡単に大金が稼げると意気込んでいたが、庭の魔性と、魚の冷たい瞳に、もう帰りたいとぼやいた。
僕は適当に従姉を慰めると、先に行くように促した。二週間と言う限られた時間を有効に使うためにも、物の価値がわからず、それでいて短慮な従姉のような人間は絶対に必要だった。今日は、一般にも売っているような価値の低い物を親戚一同に回し、後日価値のある物を学校の友人一同と分け合う予定だった。できれば、遺書のような物を見つけたいとも考えていた。
バスガイドよろしく、庭にあるものの由縁や意味を説明しながら庭を横断すると、僕は重々しい雰囲気の扉に鍵を突っ込んだ。開方向に鍵を捻る。と、鍵には手応えがなく、首を捻る。そのまま冷たい鉄製のドアノブを捻ると、鈍い音を立ててドアが開いた。
「鍵。かけてなかったの?」
僕はあまりの無用心さに、咎めるような口調になりながら祖母に問うた。幾ら価値を知らないとは言え、こうも無用人だと軽蔑の念を覚えずにはいられなかった。
「さあ? 私、ここに来るの初めてだもの」
しかし祖母の口から出た言葉は、僕の予想の範囲外の言葉であった。聞いてみれば、輝叔父さんはここで自殺したわけではないらしい。この山の麓に近い場所で首を吊って死んでいたそうだ。父は恐ろしい顔をして死んでいたと言ったが、首吊り自殺とは、そうも恐ろしい 死体になるのだろうか? そうであるなら、僕が自殺するとしても首吊りだけはやめておこう。それにしても、近所だと言うのに息子の家に一度も訪れたことがないとは、祖母は輝叔父さんのことをどう思っていたのかがわかる一言だ。
輝叔父さんに若干の同情をしながら、僕は扉を限界まで開けると、全員に入るように促した。薬品や動物に古紙、そして芳香剤の混ざった混沌とした匂いを鼻腔に感じると、いよいよ輝叔父さんの家に来たのだと実感できる。全員が口を揃えて匂いに対して苦情を入れたが、こればかりは僕も好意的に解釈できない。輝叔父さんがここで暮らしていた以上、生活できないような匂いではないのだが、例えようのない存在感があり、どうしても気になってしまう。しかしそれでも慣れてしまうのが、人間の恐ろしい所だろう。
広い玄関には下駄箱がなく、代わりに幾つかのダンボールが無造作に置かれている。早速、祖母や従姉連中がそれを漁り始めたのを見て、溜息を吐く。どう考えたら、鍵もかかっていない玄関のほこり被ったダンボールの中に貴重な物をしまっておくのだろうか? しかも手当たり次第に傍にある物から、ゴミ箱を引っ繰り返すよりも乱暴な手つきでだ。貴重品を探すという気が微塵もない。事前には僕の言う通りに行動するとか殊勝な態度で言っていたのに、それすら守る気もなさそうだ。この様子だと、何が入っているかわからないケースでも、風化や酸化の恐れを気にすることもなく開ける公算が大きい。金銭でしか物の価値が理解できない人間と言うのは恐ろしいものだ、なんてこの場で言ったら、年上の親戚達はどんな表情をするだろうか?
「失礼ですが。あなた達は泥棒ですか?」
玄関の奥から、良く通る声が聴こえて来たのも、丁度僕がそんな風に親戚連中の背中を見ている時のことだった。突然の登場に、ダンボール漁りに夢中になっていた親戚達は、現れた若い女を驚いた表情で見ていた。
長い黒髪に、時代錯誤な花柄の着物を着た彼女は、森嶋近衛さんだった。僕も良く知る女性で、輝叔父さんの友人の一人だ。輝叔父さんの葬式にも顔を出していたので、親戚の中には彼女の顔に見覚えのある人もいるようだった。
しかしそのことが輝叔父さんの屋敷に当然のようにいる理由になるわけもなく、誰も何も言わないことに見かねて僕は口を開いた。
「こんにちは。近衛さん。屋敷を僕達は輝叔父さんの遺書を探しに来たんだ。ほら。輝叔父さん、何も残さずに死んじゃったからさ」
右手を上げて、いつものように挨拶を交わす。この家を訪れた理由だけは少々でっち上げた。流石に、家探しをしに来たとは言えない。近衛さんは、その理由に納得したのかしていないのか、適当に頷いていた。
「こんにちは。薫君。相変わらず若いわね」
一回り以上歳の離れた近衛さんは、いつものように僕の若さを睨みつけるように言った。
「オジサンのこと、残念だったわね。良いわ、貴方なら間違いないでしょうし、屋敷を探すのを許可します」
「貴女。どうしてここにいるの? ここは輝和の家よ?」
一体どうして輝叔父さんの家を探すことに近衛さんの許可がいるのか、僕が不思議に思い訊ねる前に、祖母が口を開いた。その口調は刺々しく、殆ど初対面の近衛さんに噛みつくような物言いだ。彼女のことを泥棒か何かと信じて疑っていないように見え、土足のまま玄関を上がると、近衛さんの方に歩いて行く祖母の後ろ姿に、何度目かの溜め息が出た。
「どうしてって、ここは元々私の父の家だからよ。父と輝和さんは友達でね、彼が家を探していると言うことだから、父が周辺の山と一緒に貸したのよ。彼が死んでしまったから、私が引き取りに来たわけ」
腰に手を当てて、諭すように近衛さんが言うと、祖母が顔を真っ赤にして反論した。感情に任せた言葉は聞くに堪えず、僕の口から説明するのは憚られるが、要約すれば『証拠を見せろ』『輝叔父さんの物は私達が全て貰い受ける』『さっさと出て行け』の三点だった。それだけのことをたっぷりと時間と感情をかけて言う内に、他の親戚連中も同じように祖母の意見に同調し、収拾がつかない程の盛り上がりを見せた。
近衛さんは多少困惑したようだが、彼女達の目的が歴史的価値のある輝叔父さんの収集品だとわかると、袖から携帯電話を取り出し、何処かに電話した。電話の内容は定かではないが、彼女が何を口にしたのかは、五分も経てば理解できた。
五分後、屋敷の重々しい扉を開けて登場したのは、近衛さんの父親である森嶋大将さんだった。地元でも有名な資産家であり、神知教の設立者の直系である彼は、白衣を来た巨体を揺らしながら、僕にゆっくりと頭を下げた。
「久しいな。薫君。輝和の葬儀に出られなくて大変申し訳なった」
白髪交じりの髪をオールバックにした大将さんは、他の面々にも同じように頭を下げると、ここが自分の持ち物であり、輝叔父さんはここに置いてある貴重品珍品の管理人として雇う代わりに、この屋敷を貸したのだと丁寧な口調で説明した。輝叔父さん、働いていたのかと、自殺したことよりも大きなショックを受けた。叔父さんの説明の大半が嘘になってしまったじゃあないか。
輝叔父さんが買った物についても、祖母にまとまった額を渡すからどうにか譲ってくれないかと頼み込んだ。最初は祖母達も嫌がっていたが、売りに出すにもそれなりのコネと労力が必要なことを僕が説明し、大将さんの示した金額の巨大さに、最終的には快く納得してくれた。