悪意の図書館⑤
私が正式にこの屋敷の家政婦となって二週間が経った。散々言った通りに御給金も良いし、近衛さんは多少大雑把な所があるけど気のいい人で、薫君も薫君で少し理屈っぽくて苦手意識はあるものの今時珍しい好青年だ。職場で一番ストレスになるのは、仕事内容よりも人間関係であると言う考えを持つ私からしてみれば、ここよりも良い職場を見つけると言うのは難しいだろう。
今日も私は朝の八時に自分の車で屋敷を訪ね、薫君(結局、彼は殆ど学校に行っていない。もっとも、行く必要がないというだけのことだろうけど)に挨拶をすると屋敷の掃除を始める。広い屋敷ではあるが、基本的に人の出入りが少ないので掃除する場所は限られている。私一人でも屋敷内であれば半日で終わってしまう。
いつも通り、主要箇所の掃除を終えると正午を知らせる金が鳴った。私はそれを合図に、片手間で食べられるような物を薫君の為に作り始める。今日はご飯派の薫君におにぎりを二つ握り、おかずに出し巻き卵にしておいた。この時に近衛さんが来ているなら、ついでに近衛さんの分も作ってしまうのだが、今日は来ていない。細い身体に似合わない健啖家で、薫君よりも食欲が旺盛なくらいだ。
お盆に出来上がったばかりのそれらを乗せて、二階にある薫君の部屋に運ぶために階段を目指す。必要以上に入り組んだ廊下に最初は戸惑ったが、今は慣れた物でもう迷うこともない。屋敷全体に言えることだけど、廊下に絨毯か何かを敷こうと言う気はないのだろうか? 石造りの床もそれはそれで素敵だが、どうしても無骨だ。
いつか近衛さんに進言してみようと心に決め、私は階段を上る。
一階から二階へと、階段を上る。一階から地下に下る階段は、あの日以降一度も使っていない。あの日の記憶は確かに私の脳裏に残っていて、あの時は平気だった『あの部屋』が、今は恐ろしくて仕方がない。
薫君があの後念入りに調査した結果、あの場所には扉どころかその向うに空間すらないことがわかった今もそれは変わらない。
『認識なしに存在は有りうるんですかね? もしかしたら、認識されたからこそ、存在が許されているんじゃあないんでしょうか?』
私達の話を聴いた薫君は、サングラスの位置を直しながらそんなことを言っていた。
暗闇から浮きだした全ての出来事は、私があると想像したものだった。私の想像や思いが形となって表れたと言うのなら、例えばあの時、私が或いは近衛さんが『死』を口にしていたらどうなっていただろうか? もっと恐ろしい何かを口にしていたらどうなっていただろうか? 考えたくもない。
もしかしたら、今日も何処かであのドアは、誰かに認識され、存在を与えられるのを待っているのだろうか。




