虚空の声②
輝叔父さん――棚町輝和――が自殺をしたと聴いて、僕は酷いショックを受けた。二十歳の離れた眼鏡と無精髭が似合う輝叔父さんに、僕は親愛と尊敬を抱いていたからだ。
しかし周囲の人間が僕と同じ印象を受けていたかと言うと、それは違った。むしろ周囲の大人たちは、輝叔父さんのことを軽蔑し、ああ言う大人にはなるなと口を揃えて僕に忠告をするほどだった。その意見はてんで見当はずれだ。どう頑張っても、僕は輝叔父さんのようにはなれないのだから。
勿論、その言葉に輝叔父さんを否定する意味はない。子供の頃に見ていた朝八時の特撮ヒーローになれないのと同じ意味において、僕は輝叔父さんのようになれないと確信していた。
輝叔父さんは定職に就かず、怪しげな生物を飼育し、謎の薬品や二束三文にもならないようなガラクタを集め、世界中の秘境を回っては友人を作っていた。自由の語源はこの人のことなんじゃあないだろうか、何度も思ったくらいだ。しかも資金面において親戚の誰かに頼るようなこともなかった。むしろ金持ちと言える部類だっただろう。一体何処から金銭が湧くのか不思議で堪らなかったが、道楽だと思っていた生物やガラクタを、広いコネクションを使って販売したり転売したりしていたようだ。輝叔父さんはそんな自分のことを比喩交じりに『錬金術師』と呼んでいた。
そういう飄々として常識に縛られていない輝叔父さんのことを、世間は『遊び人』だの『甲斐性なし』だの言っていたが、きっとやっかみだろう。世間一般で言う常識に従い、真面目に生きている人間よりも、自由に気ままにそれでいて自分の意思で楽しんで生きている輝叔父さんが眩しくて、妬ましかったのだろうと僕は思う。
憧れながらそれを憎むとは、大人と言うのは忙しい。ゆとり教育を受けていないから、ああも心に余裕がないのだろうか? きっと、最近の若者であれば、誰もが輝叔父さんに憧れるだろう。
そんな輝叔父さんが自殺したという話はまさに寝耳に水で、最初は何かの冗談かと思った。自殺と言う単語からもっとも縁遠い人間だと信じきっていた輝叔父さんの自殺は親戚中に波紋を呼んだ。死因はまだ高校生である僕に知らされることはなかったが、輝叔父さんの死体はすぐに火葬され、葬式には遺骨の納められた骨壺だけが置かれていた。父が言うには、恐ろしい表情で顔が固まっていて、とても人前に出せるものではなかったらしい。
それを証明するように、死体を見たという親戚は、誰一人この葬儀には参加していなかった。厳格な父ですら、式には出ずに自宅の布団で寝込んでいたほどだ。
ガラガラ蛇を素手で掴んだり、港のチキンレースに参加して若者達のヒーローになったりしていたあの輝叔父さんが、そんな表情をするなんてにわかには信じられず、僕は腑に落ちないものを感じながら、物言わず原型すら失った輝叔父さんに最後の別れを告げた。
遺影に選ばれた輝叔父さんの表情は、いつもの子供のような笑みだった。
葬儀は子供の頃感じていたよりも早く終わり、親戚一同は大きな和風の飲み屋に流れて言った。生前、輝叔父さんは騒がしいのが好きで、いつも愉快そうにしていたから、別段飲み会が開かれることに抵抗はないが、親戚達の酒の肴が主立って輝叔父さんの奇行だと言うことに僕はうんざりした。その癖、輝叔父さんの残した遺産について浅ましく話していりのが許せなかった。
輝叔父さんは近くの山を三つほど持っていた。その奥にはこぢんまりとしながらも、立派な屋敷を構えていて、それらを売れば幾らになるのかと、祖母(つまり、輝叔父さんの母親)は親戚の人に相談したり、取らぬ狸の皮算用をしたりしていた。と言うか、祖母は輝叔父さんの最後も見届けてないのか。放任主義の極みのような人だな。
それはさておき、僕としてはあの監獄のような屋敷には幾つか思い出があり、できれば輝叔父さんが残した遺言のような物がないか探してみるつもりだったので、売り払うと言うのは不都合な話であった。しかし高校生である僕は、遺産と言う経済的な話題に入る勇気も知識もなく、指を咥えて見ていることしかできなかった。
そんな風にもどかしい思いをしながら部屋の隅で出された刺身をつついている内に、僕は輝叔父さんと一番仲が良かったことから、面白い逸話がないかと酔っ払いどもに絡まれ、彼らを満足させる話をすることになった。
受けが良かった話を幾つか記すと、先程も言ったチキンレースの話、オウムにコントを仕込んでネット上に上げたこと、二メーターを越える女性の友人の水着画像等があった。逆に、南米の食虫植物の捕獲シーンや、幽鬼が描いた絵画の画像、アフリカに住んでいた呪術師が呪い殺された話の評判は悪かった。
もっとも、皆が興味を引いた話は、やはり輝叔父さんの資金源であり趣味であった、大抵の質問は「それは高いのか?」と言う下卑た物だった。中世の錬金術師バイ・ジンの書いた『恋慕呪術書』のドイツ語の写しや、『千寿死骸覚書』のラテン語本の一部、エジプトの古代文明の碑文のレプリカ、湿原に住む爬虫類とも哺乳類ともいえないキト・ヤートが数匹、本物のクルセイダーソードが一振り、平安時代の歌人大江定永の鬼神を描いた掛け軸があると教えると、その価値もわからずにそんなことを問うのだから、辟易せざるを得なかった。
話をする内に、酔っ払いは盛り上がり始め、祖母さんが屋敷の物の価値もわからずに捨ててしまう前に、どうにかそれらを貰うことができないかと言い始めた。どうせ貰った所で彼等は輝叔父さんの蒐集品を売り払うのだろう。価値と言うのは金銭の多寡で決める物ではないというのに。
それは置いておいて、伯母が売る前にそれらを貰い受けると言う案は、僕にとって魅力的なものだった。正直に言えば、あの屋敷の全てが僕は欲しい。あそこに有る物は、どれもこれも貴重な物であり、大金を積まれても譲る気はない。まあ、僕のじゃあないんだから、譲るって表現はおかしいけど。
酒に酔った人間に背中を押されながら、祖母の元まで行くと、あの屋敷には貴重な物、歴史的な物があることを強調して説明した。祖母は中々首を縦に振らなかったが、最後にはあそこで飼っている動植物の命を人質に取り、今すぐにでも山と屋敷を売り出した祖母の口から、二週間の猶予を貰うことができた。それだけあれば、学校の友人達や親戚の叔父叔母を利用して大抵の物を持ち出すことがなんとかできるだろう。
問題はあの強欲な親類の手からいかにして輝叔父さんの蒐集品を守るか、と言うことと、保護した蒐集品を何処で保管するのかと言うことにあった。
僕の父親は真面目なことだけが取り柄の堅物であり、新築したばかりの家に禍々しい名前の古書や、奇怪な生物を置くことを許してはくれないだろう。そもそも、キト・ヤートやクルセイダーソードは所持するのに法的な手続きは必要ないのだろうか? その辺は流石に輝叔父さんしか知らないぞ。
様々な問題が山積みではあるが、僕は深く考えることを辞め、今日は目の前の料理に集中することにした。一先ずは目処が立ったことだし、詳しくは後日考えれば良いだろう。輝叔父さんの友人の中には何度か面識のある人達がいて、彼らなら快く協力してくれるだろうと言う確信もあった。