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URBAN LEGEND  作者: 安藤ナツ
Case3.

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14/32

魔王②

 隣の席の女子が授業中に腰から出血して倒れると言う怪奇現象から一夜明けた。


 言葉にすると随分と簡単に聞こえるが、あれはもう本当に地獄絵図だった。血の匂いに教室は軽くパニックになり、昼食の後と言うことも手伝って胃の中身を吐き戻す奴らが続出。一般的に女子の方がグロに耐性があると言うか、男女関係なく、七人ほどが教室で嘔吐した。その後も気分を悪くする人間が続出し、教室に残ったのは俺を入れても十三人。何故、自分は吐くことができなかったのだろうと考えながら、他人のゲロと血を掃除していると少し泣きそうになった。同級生の血液が染み込んだ雑巾を絞る感触と臭いは多分一生忘れないだろう。まだ手に血の匂いが残っている気がする。


 一体あれは何だったのだろうか? 学校側からは美帆さんの病状に対する発表はなく、頑張って汚物を片づけた俺達に対する特別な褒章もなく、地球は回って早くも翌日だ。


 マーライオンの如く吐いていた馬鹿どもに昼飯でも奢って貰おうと考えながら、阿鼻叫喚から一晩経った教室の扉を潜る。すると、何種類かの芳香剤の臭いが混じったきつい臭いが鼻を突いたが、吐瀉物の匂いと比べればましだろう。教室のカーテンに消臭剤をかけている人や、アルコールで机を除菌している奴までいた。それはどれも昨日最後まで経っていた猛者達であり、「亮司、お前もっと早く来いよ!」等と喚いていた。勿論、俺のカバンの中にも芳香剤が入っている。やり過ぎの気もするが、これらは臭いを消すためと言うよりは、吐いた奴らに対する当てつけに近い。


 悪くは思わないで欲しい。これくらいの権利を認めてくれ。むしろ、ここまで徹底する高校生の馬鹿馬鹿しさに拍手が欲しい。


「悪い悪い。途中に凄い格好良い女の人がいてさ」着物姿の美女だった。偶に町の中で見かけるのだが、ああいう人って本当にいるんだな。たまには早く登校するのも悪くない。


「ちっとも悪いと思ってないだろ!」


「ばれたか」


 そんな馬鹿なやり取りをしながら、カバンの中から芳香剤を取り出す。銀色の包装をされたそれは、銀イオンで除菌! と何とも馬鹿な売り文句の物だった。こういうのを見ると、ムキになって否定する人がいるけど、俺は素直にコピーライターを誉めるべきだと思う。なんと言うか、事実無根でも騙されそうになる。


 都合四つ集まった芳香剤を教室の隅に置くと、皆で手分けして床をアルコールでの消毒を始める。潔癖症と言うわけではないが、話の流れと勢いでそうすることに決まってしまったのだ。男子のノリを舐めるなよ。


 そうやって掃除をしている間に時間は進んでいき、教室に人が徐々に入って来る。何人かは俺達を見て申し訳なさそうな顔をし、大半の人間が凄く嫌そうな顔をした。俺達はそんな表情をしながら他人の消化されていない昼飯をトイレに流したんだ。ざまあみろ。


 クラスメイトの表情を堪能すると、自然と清掃活動は面倒になり、誰が言い出すでもなく終了した。


 そのまま四五人で集まって窓際の席に座ると、昨日の美帆さんのあれは何だったのかと、大富豪をやりながら何度目になるかわからない会話を交わす。寝ぼけて騒ぐだけなら笑い話だが、身体から血を流せるほど器用にぼけられる人間はそうそういないだろうから、病気説が濃厚だ。と言うより、それ以上は掘り下げられない。大して仲が良かったわけでもないし。


 話題が尽き、訪れた一瞬の沈黙の間を縫うように、


「アレは、一種の聖痕現象みたいなものじゃあないのかな? 思い込みと言うよりは、魂に肉体の方が引きずられた形になるんだけど」


 妙に自信たっぷりに妙な持論を語ったのは、聴いたこともない声。声の方に首を向けてみると、似合わないサングラスをかけた先輩が一人立っていた。こんな個性的な人間は学校に一人しかいない。


「棚町薫……先輩」


 俺は先輩の名前を口にする。あまりに唐突な登場に思わず呼び捨てしそうになってしまったが先輩は気にした風もなく笑う。


「ああ、悪いね、会話に入っちゃって」


 サングラスの位置を微調整しながら、申し訳なさそうな表情を造る先輩。手とサングラスで顔が殆ど隠れてしまって普通に怖い。たった二つ歳が上なだけとは思えない貫録がある。


「ちょっと美帆の件でお礼をね。君達が床を掃除したんだろう?」


 お礼。と言う言葉にすこしどきりとしたが、これはそのままの意味で『お礼』だろう。床を掃除しただけでお礼参りされたら堪らない。


「はい、俺達がやりました」


 先輩の登場にすっかりテンションの変わってしまった友人を代表して、俺が応える。しかし薫先輩と美帆さんは一体どんな関係なんだろうか? 


「芳香剤も?」


「あ、はい。芳香剤もです」少々鋭い問いの声に、思わず声が上ずる。


「本当にありがとうな。血の後処理とか大変だろう?」和やかに俺の方を叩き、先輩がズボンのポケットから何かを取り出す。「ってわけでお礼だ」


 薫先輩の手から俺の手に渡されたのは、食堂の食券だった。緑色をした一枚三百円のそれが、厚みで言うと三センチ程。それが先輩のお礼だった。目算でも軽く百枚を超える量が有る。


「う、受け取れませんよ」


 反射的に、俺はそう言ってしまった。友人達も同じ気持ちだったらしく、それぞれ断りの言葉を口にする。初対面の人間に三万円を超えるものをポンと渡されても困る。


 嗚呼、小市民だ。


「そうだな。君達への感謝を金銭へと変換するなんて、我ながら愚かな行為だと思うよ。君達の行動の価値に食券で釣り合いが取れるとは思っていない。それでもこうやって渡そうとしている自分の浅はかさには落胆するばかりだ」


 この人は何を言ってるんだろうか? そんな難しい話じゃあないんだけど。


「いや、そうじゃあなくて、単純に多すぎますよ」


「いやいや。全員分のバイト代と芳香剤代だとでも思ってよ。どうせ教師は『自分達で使う教室を自分達で掃除するのは当たり前です』とか言って、君達には労いの言葉もかけないよ。だから、僕からお礼」


 それは確かに安易に想像ができる。なんと言っても、服が汚れるからと言う理由で着替えた後に怪我人を病院に運ぶ位だからな。


 しかしそれとこれとは話が別だ。やっぱり、この量は簡単に受け取れない。


 あげる。もらえません。と言うやり取りを繰り返すこと五分。


「そっか。じゃあ取りあえず今日の分だけってことで受け取って貰えないかな?」


 先に折れたのは先輩だった。


「それくらいなら、なあ」「はい。ありがとうございます」「あ、まだ一人来てません」


 俺達は安堵したように首を縦に振る。一食分くらいなら、受け取っても悪い気はしない。芳香剤の代金を立て替えて貰ったと思えば得をしたくらいだ。


 それでも薫先輩は少し残念そうに、昨日今日と掃除をした人間の名前を一人一人聴きながら、食券を手渡ししていく。教室中を回って総勢十二名に渡しても、先輩の持っている食券の束は一向に減る様子を見せない。一体何枚持って来たんだ? この人は。


「んじゃあ、僕は行くね。本当にありがとうな」


 まだ来ていない一人の分を俺に渡すと、先輩は予鈴と同時に颯爽と去っていた。なんて言うか、サングラスのセンス以外は良い人だったな。先輩が教室を出て行ったのを見届けて、俺達はそんなことを話した。


「しかし岩明の奴遅いな。どうしたんだ?」


 まだ教室に来ていない岩明の食券を胸のポケットにしまい込み、いつも同じ電車に乗って来る福本に訊ねる。メールをすれば手っ取り早いんだろうけど、それはそれで手間だ。


「昨日ので体調不良?」


「どーだろ? 別に待ち合わせをしてるわけでもないしな」


 福本が短く答える。仲が悪いわけではなくて、男の友情なんてこんな物だろう。男同士が登校するのにわざわざ待ち合わせをしていると言うのは女々しくて気持ち悪い。


「まあ、遅刻するなら流石に連絡を寄越すだろ」


「それもそうか」


 時計を見てみれば、始業まではまだ十分ある。このくらいの時間ならば、まだ来ていない人も多い。普段であれば俺だって教室にようやく着いた頃だろう。岩明のことはもう置いておいて、先輩の乱入で有耶無耶になってしまった大富豪を仕切り直し、ゲームを始める。プラスチック製のトランプをシャッフルし、五人に一枚ずつ渡していく。


 自分で配った手札は、一桁のカードしかなく、一枚しかないAを如何に上手く使うかがポイントとなるだろう。幾らなんでも弱すぎる。積極的に大貧民以外を狙っていくしかやることがない。


 友人達が手札を減らしていくのを見ながら、首を横に振って「パス」と呟いて行く。どうやらカードが随分と偏ってしまったようで、俺以外の人間でゲームが盛り上がって行く。なんとか喰いつこうと、切り札であったAをここぞと言う場面に切り出すが、それもあっさりと流され、福本にキングのダブルを突き付けられてゲームは終わった。


 大量に残った手札を机の上の捨て札に叩きつけて、敗者の責任としてトランプを回収する。俺達の大富豪は一試合ごとに勝負の結果をリセットする為に、カードのチェンジはなく、回収と配布だけが仕事だ。それを温いと言う人もいるし、これくらいが丁度いいと思う奴もいる。俺は前者だけど。


 残り時間を確認しながらカードをカットしていると、「あ、次は俺も混ぜて」と聞きなれない声が掛かった。振り向いて見ればそれはやはり知らない男で、バッチの色から見るに同級生のようだが、見覚えがない。少なくとも同じクラスにこんな男はいなかった。


 しかし周囲の連中は「お、岩明」なんて声をかけている。確かに言われてみれば岩明に良く似ているが、よく見るまでもなく岩明とは似ても似つかない顔をしている男は、「へへ。寝坊しちゃった」と後頭部を掻いている。全然可愛くない。


「いやいや。お前誰だよ」


 見知らぬ男と友人達が親しげに会話をするのを見て、俺は薄気味悪さを覚える。これが俺の知らない友人だと言うのなら、孤独感だけで済むのだが、昨日一緒にゲロを片づけた――いわば戦友である岩明と見知らぬ他人を同一視する友人達は、本気で目の前の男を岩明だと思っているのだ。これが恐怖でなくて何を恐怖とよぶのだろうか?


「遅れたくらいでそんなこと言うなよー、亮司」謎の男は俺の名前を口にすると馴れ馴れしく手の中のトランプを奪うとカードを配り始めた。「さ、まだ一回くらいならできるだろ? やろうぜ、大富豪」


 あと四分しかないのに、男は平然とトランプを配り、俺の掌に十枚前後のそれを押し付ける。皆はそのことを微塵もおかしいとは思わず、当たり前のように大富豪を開始した。手札には絵札が多く、かなり強い物だった。が、そんなことはどうでも良い。


 この男は誰なんだ? 岩明とは似ても似つかないじゃあないか。


「そう言えば、亮司」七のダブルカードを出しながら福本が思いついたように俺の胸ポケットを指さす。「食券、岩明に渡しとけよ?」


「ん? 食券って?」


 岩明……らしい男が不思議そうに首を捻ってこっちを向く。うん。どう見ても岩明じゃあない。まるで別人だ。親戚と言われたら信じるかもしれないが、とてもではないが岩明には似ても似つかない。


「お前が来る前に、グラサン先輩がくれたんだよ。昨日の掃除ありがとうって」


「なんでグラさんが?」


 声も岩明の物とは少し何かが違う。


「桜井の幼馴染らしい。すげーぜ? 百枚以上の食券渡そうとしてくるんだもん」


「百? 受け取ったのか?」


 十のダブルをマークで縛った男が目を剥いて驚く。その大袈裟な表情は、岩明と全く同じだった。


「ばーか。受け取れるかよ。一人一枚ずつもらってお終いだよ」


 マークで縛られてしまった為、誰も男に続くことができない。優先権を獲得した誰かもわからない男がハートの五を机に叩きつけ、ゲームと同時に会話が再開される。


「ってわけで、代表して亮司の奴がお前の分を預かってるのさ」


「あ、ああ。俺が貰ったけど、岩明に上げる為にな」


 念の為に、『岩明』と強調しながら、ポケットから緑色をした紙片を取り出す。すると謎の男は「ありがと」と言って俺の手から食券を奪い取る。それを責める人間は一人もいない。やはり、この男のことを周囲の人間は岩明均その人だと理解しているようだ。手札のカエサルとアレキサンダーくらい違う人物なのだが、一体全体、皆の眼には世界がどう見えているのだろうか?


 手札は強力だったが、結局このゲームは貧民と言う結果に終わってしまった。

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