マスカレイド/再構成
00
一般的に言えば、この世界は現実である。
宗教的に言えば、この世界は試練である。
間接的に言えば、この世界は苦痛である。
極端的に言えば、この世界は地獄である。
ならば如何して、僕達はこの世界を生きているのだろう。
苦痛であれば、地獄であれば。その現実から、その試練から。
――――逃げても良いのではなかろうか?
命を遂して何を得る?
カミサマとやらが居るという確信もないのに、試練は在るのか?
そもそも試練とは何か?
生きることが試練、それならば産まれたその日に死んだ赤子は?
僕達が生きている意味は有るのか?
無いとしてならば、僕達は何故産まれた?
この世界は無限か有限か?
愛とは、人を愛するということは何だ?
希望が無ければ絶望も無い、ならばそれらは存在するのか?
目を閉じて、耳を塞いで、全てのことから目を背けることはそんなにいけないか。
物語の主人公なら乗り越えられても、全ての人がそうではない。
逃げても良いではないか。
それが自己を守る術なのだから。
前向きじゃなくて良いではないか。
それも個性なのだから。
……全部、自分の人生なのだから。
01
『わたしはさ、最近気づいたわけですよ』
耳に当てた携帯の向こう側で、人を馬鹿にしているような口調の彼女はそう告げた。
彼女の声以外にも、その端末は向こう側の音を伝える。けれどその音に掻き消されること無い彼女の透き通った声が、ただ耳に優しかった。
『人間ってとても醜い存在じゃないですか。大人も子供も本能より欲に駆られて罪を犯すわけでしょう? 何処までも残忍で、残酷で、冷酷で――――汚い。善人面しながら影ではどれ程くっろいコトやってるんでしょうねぇ、なんて思ってたわけですよ。人助けしている人を見れば偽善者、ボランティアしている人を見かければ自己満足野郎って考えてたわけですよ。嫌って嫌悪して吐き捨てていたんですね、わたし。……で、ここからが本題なんですけど。昨日見ちゃったんです。似たようなことは何度も見てるんですけど、でもその人達ってそっち系ばかりだったんで、そういうのは初めてだったんですよ。―――人が、初めて非人道的罪を犯した所を見るのは。状況的に痴情のもつれつっぽかったんですけど、刃物を出した女に抵抗して、不意に男が女を刺しちゃったみたいで。“俺は悪くない。俺のせいじゃない。刃物を出したお前が悪いんだ!”って叫んで、まだ生きてた女を殴り殺したんですよぉ。おっかしいですよねぇ、びびったならその場からさっさと逃げちゃえば良かったのに、本当に殺しちゃうんですよ? 人間って恐ろしいな、と思いました。まぁ、わたし笑ってたんで恐怖も何も無いんですけど。でもわたしそれを見て“面白い”以外に“美しい”って感じたんですよ。人間らしい醜さが、馬鹿らしさが、くだらなさが、愛しいって思ったんですよ。わたし、とうとう狂ったかなって考えてました。今日の朝まで、っていうかついさっきまで考え込んでいて、答えが出たんです。それがなんかとっても嬉しくって。餓鬼みたいに、難しい問題が解けてそれを見て欲しいなんて思い、一番先に聞いて欲しいみまっちにこうして連絡しているわけなんですけど。いやぁ、やっぱりみまっち相手だと話しやすいなぁ。ついついお喋りに熱が入って、息継ぎを忘れてしまう程ですよ。この話以外のことも話したいところなんですけど、流石に携帯じゃぁ無理があるので今度手土産持ってみまっちの家行きますね。それでわたしが気づいたことなんですけど、実はわたし、思っていたほど人間が嫌いじゃないみたいなんですね。むしろ好きで好きで堪らなくて、愛しちゃってるほど人間が大好きみたいです。あ、いえ。前話したみたいに大人も子供も分け隔てなく、老若男女問わず全て大嫌いなんですけど、何て言えば良いのか“人間という存在”そのものが大好きなんですよ。泣いてる餓鬼とか、恋人に振られた傷心者とか、死に間際の老人とかに一切心震わされることが無いし、とどめも普通に刺せるんですけど、親殺しの子どもとか、恋人を死に至らしめた者とか、死が近いことを知って見苦しく足掻く彼等には優しく抱擁できるような気がします。絶望し狂って、醜く堕ちる人間ほど愛しく思うんですよ。醜いことこそ人間じゃないですか。だからわたしは人間が好きです、愛してます。だから人間の方もわたしを愛するべきだと思うんですよねぇ。くふふっ……わたしらしいと思いませんか? これがわたしの答えなんですけど、みまっちはどう思います? ―――――――あぁ、すみません。悪気は無いんですよ、ただ忘れていただけで。そう、ですねぇ。では明日、明日家に伺うのでその時に意見を聞いちゃいますね。応えてくれることを期待してますよぉ、みまっち。……じゃ、また明日っ!』
ぶちりっ、雑音に似た電話の切れる音。切れた後の独特な音を片耳から離して、笹榊壬蒔は携帯の画面を何気なく見上げた。【茲乃】と携帯に登録してある名前が画面に有ることを確認し、彼女の小さな体躯にしては無駄に広いベットへ背中から倒れこむ。閉じていない携帯がその勢いで手を離れたが、彼女は目を向けることは無かった。
布団に埋もれるようにしながら、顔をついっと横にする。蒼い双眸はどこかぼんやりと焦点の合わぬまま、可愛らしい花柄の布団を見下ろした。
通常ならば大体の人はここで「疲れた」とひとつ零すのだろうか。無気力に身体を横たえたその姿は正に脱力と言っても良く、そのぼやきがよく合っているように思う。けれどその本人である壬蒔は声一つ零さずに、静かに目を閉じた――――――――――……なんてね。
僕は閉じていた目を開き、今度は仰向けに寝転がった。暇で暇で、三人称的に心の中で語ってみたが、これでは物語に進みようが無いようだ、ということで止めておく。
日常を小説のように語ってみよう、とは引きこもりで遣ることの無い僕の暇つぶしのために始めたイベントであるが、会話の無い一人物語では三人称は禁じ手だと記憶の隅に保管しておくことにする。僕に合うのは一人称なのだ、うん。
というわけで。…特に今の語りとは全く関係ないが、不意に客人が遣って来たときの為に準備をしておく。
……え、引きこもりなのにぼっちじゃないのって?
失礼な。大勢ではないけど友人ないし知り合いは多いよ、僕。一日一回は誰かが訪ねて来るし、その度に色々(特に愚痴)話されるもの。
……ていの良い聞き専門扱いされているような気がするのは気のせい気のせい。
ネガティブに陥りそうな思考を振り払って、ベットからそっと床に足を下ろし、床に両足が付いたのを確認してから立ち上がる。ベットから下りるだけでやけに慎重だって? ……うるさいなっ、以前気楽にベットから下りようとしたら足を挫いたんだよっ。「どんなドジだ」って皆に笑われて以来絶対繰り返さないと決めたのだ。
のんびりと台所に着くと、まず冷蔵庫を開けた。生活感の無い…というかお茶を淹れるときと手を洗うとき以外とんと使うことの無い台所にしては、この冷蔵庫だけが異様に大きく、存在感を主張している。その中には、流石料理をしない僕。と褒め称えたくなるような内容。
何故か冷蔵庫に仕舞われたレトルトカレー。温めるだけで食べられるレトルト食品。プリン、ゼリー等、手土産という名の餌付け用甘味。何処の誰が作ったのかさえ忘れてしまった、パックに入った料理の数々。それらを見た瞬間、レトルトは兎も角他の食品食べておくのをすっかり忘れていたことを思い出す。…これは確実にあの人がここに訪ねてきたら小言を言われるだろう。何時来るかな? 茲乃が明日だから、その後かもしれない。不思議なことにあの人と茲乃が来る日の被り率は、恐ろしいほど高い。互いを嫌悪しているらしい二人だけど、もしかしたら結構相性はいいのかもしれないな。
…甘味類は、客人用のお茶請け以外は地道に食べて減らそう。
暫く台所にすら立ち寄ってなかったせいか、嫌な予感がひしひしと感じられる。しかしそれを敢えて無視し、今度は冷凍庫を開けた。
唖然とする。
その驚愕はさっきよりも余程酷い。
氷はいい。うん、いいんだ。例え夏の間氷を作成しなくても、毎日かき氷が作れて更に有り余りそうな量の氷はまだいいんだ。
問題なのは、それ以外のもの。まずアイス。何処が変なのかと問われれば全然変ではないのだけれど、【おでんちょこあいす】なんてむしろイラッてきてしまいそうな名前のアイスが冷凍庫の半分を占めているんだ。…あれかな、一人にこれだけ送られたんじゃ無ければ、このアイスって流行なのかな。
その次にあるのが氷の彫像と化したノートパソコン。…おい、誰だこれ入れたの。熱膨張でもしたのか、それで冷やしてるのか。でも残念、これはもう確実に動かない。というか彫像となるほど長期間此処に置かれていたのか、良く今まで一切気づかなかったな、僕。
他にも何かありそうな気がしたが、怖いので目を背けて冷凍庫を閉めた。…次にここが開かれるのは、多分大晦日の大掃除であろう。そしてここを僕は絶対に開かない。
あの混沌よりはマシだろうと、今度はその隣にある棚に目を向けた。僕の身長では少し高いが、カウンターに置いてある椅子を移動することで補う。
一段目。箱が空いていないシリアルが数種類。うん、特に問題ない。
二段目。袋の空いてないインスタントラーメンと焼きそば。うん、ここも問題ない。
三段目。一切手のつけられていないインスタントスープ。うん、何で手をつけてないのばかりなんだろう。
四段目。薄力粉、中力粉、強力粉と小麦粉が三種類。料理しないのに何故有るのか不明。そして勿論開いてない。
五段目、そろそろ見えなくなってきて椅子を使用。惣菜パンが数点。消費期限が気になるので早めに食べることにしよう。
六段目、これで最後。でも中に入っているのは食べ物ではなく、女の人が露出だらけの服を着て写っているうふんあはん的雑誌。犯人が誰か早々に結論が出たので、写真を撮って犯人の幼馴染みのアドレスを探し、メールを送る。…同情はしない、強く生きろ。
さて、ここまで見てきた結果、客用お茶請けと茶葉が殆ど無いことが判明。何時客が来るとも知れないのにこれは駄目だろうと、近くのコンビニででも買いに行くことにする。
……引きこもりなら外に出るな? 偏見だよ、それ。
僕の年齢だと中学校の制服を持っているべきだけれど、生憎と最初から通うつもりが無かったため、僕は制服を買っていない。だから規則に“外出時は学生服を着用すること”なんて記されていようと、僕は毎回私服で出かけるのだ。…まぁ、通っていない時点で校則なんてなんのその状態だが。
ドレッサーなんて洒落た物は持っていないので、箪笥の中から綺麗に畳まれた長袖シャツとGパンを取り出す。それらの上にサイズが三つほど大きい黒のパーカーを羽織って、洗面台の前に立った。
鏡に映るのは、一見小学生と間違えられそうな小柄な少女。言うまでも無く僕なのだが、相変わらず成長が見えないその姿に少し機嫌が悪くなった。腰より長く太ももまで届く黒髪を簡単に整え、ゴムで後ろ一つに括る。それを深めのキャスケットの中に隠すようにして被り、ぱっと見、男とも女ともつかないその格好で玄関へ向かった。
運動靴を履き、一度部屋を振り返る。癖のようなその一連の行動を終えて扉を開いた瞬間、向こう側から小さな悲鳴が聞こえた。
「うわっ……あー、吃驚したぁ」
胸を撫で下ろすようにして、リアクションを取る女性。柔らかい茶色の髪を緩くカーブさせ胸元に落とし、落ち着いた色の上品なワンピースにケープを着た、お嬢様然とした佇まいをする彼女。ここへ通うようにして来る中でもなかなかの古参で、名前は確か…あれ、何だっけ?
「黛明薫だよ!」
あぁ、そうだ。そうだったそうだった。
うんうん、と思い出して何度か頷き、僕は明薫を見上げるようにして見た。僕より大分高く、首が痛くなるその身長が憎い彼女。毎度のように『チッ…縮んでしまえ』と内心呪いの言葉を吐きかけているのだが、一向に縮む様子が無い。…生意気な。
「毎回思うけど壬蒔ちゃんって本当に私には容赦ないよね!! …他の皆は心の声が聞こえないから、外見通り小動物系少女だと壬蒔ちゃんを判断してるけど、私にとっては罵詈雑言ばかり連ねられるその声が恐ろしいわっ」
……良いんじゃないかな。明薫だけ、特別だよ?
「可愛く言おうとそんな痛い特別要りませんっ!」
もうっ、一人称に一々反応しなくても良いじゃないか。相変わらずの構ってちゃんは変わらないなぁ、やれやれ可愛い奴め。なんてため息混じりに首を振ってやって、綺麗に整えられた髪を乱すことに専念する。
その最中、「素直じゃないんだから」なんて意味不明なことを言う明薫の額をぺちりと軽く叩けば、にへらと何処か嬉しそうに彼女は笑った。
「それで、壬蒔はこれから出掛けるところだったの?」
手櫛で髪を梳きながら整えつつ、巨大女(明薫)はそう問いかけてきた。それに頷けば「着いてこっか?」という有り難くない申し出。しかし待てよ、デカイこの女一人いれば高いところの物も手が届く…と思えば、こき使ってやる気満々でその申し出を受けることにする。
「ついでに今の思考、全部私に伝わってるからね」
知ってるけど、それが何か。……あれ、何でしゃがみ込むの、黄昏てるの、ブルー入ってるの。
条件反射に近い感じで思ったことに相当なショックを受けたらしく、地面に“の”の字を描いてる彼女。正直面倒以外の何物でもないが、目の前でやられるのもうっとおしいので、ぽんぽんと優しく頭を叩いて『ほら行くよ』と促す。
「……確かにさ、壬蒔の心の声は毒舌や計算が多いけど、素直で心地よくて落ち着くんだよ。…だから尚更、他の人よりまともに感じて、凹むんだよね」
だからもう少し優しく接してはくれないだろうか。なんて本気なのか冗談なのか良く判らない表情で言われる明薫の言葉を、手をぱたぱた振って答え、僕はスーパーへ向かって歩き始める。後ろから慌てて追いかけてくる足音を聞きながら、音を一切立てないまま小さく、ほんの小さく、苦笑交じりに微笑んだ。
《この話の設定》
構成しなおしたは良いが、どこからゲームの話しを入れようか迷った挙句入れ切れなかったもの。このままだとゲーム作成者達の日常で終わりそう。そのうえ主人公の性格が変わっていったので断念。
余裕があればまた書いてみたいと思っているもの。